第十話 義材公政元御和睦之次第(一)

 もとより木阿弥もくあみごときは一人ではない。累年義材よしきに入れ込みその権威に寄生するかたちで出世を遂げてきたような人々にとっては、義材復権こそが夢であった。義材の近臣種村たなむら視久みひさは強硬派の首魁であった。

 翻って義材一党の面倒を見ている越中守護代神保じんぼ長誠ながのぶや、義材近臣団のひとり吉見義隆らは穏健派。

 正光寺では今日も、今後の方針を巡って飽くことなき議論が続けられていた。

「まずもって入京を果たすために政元殿と和睦する、これぞ肝要」

 かく唱えるのは長誠。先主畠山政長に付き随って、応仁文明の大乱を戦い抜いた歴戦の勇士は、戦争の困難をここにいる誰よりも知り尽くしている。できるだけ穏便に話を進めようという所以である。

 長誠は

「義材が諸方に号令しさえすれば各所から諸侍が参集するだろうから、政元を討ち果たすなどさほどの難事ではない」

 とする楽観論に断固反対の姿勢であった。

 ただ、このような楽観論が蔓延したのもゆえなき話ではない。義材が越中入りを果たした直後の明応二年(一四九三)九月、長誠は、政元より差し向けられた義材討伐軍を完膚なきまでに叩きのめし、退けているのである。

 細川方の敗退を知った京洛の人々の間では、「義材上洛間近」の雑説が流れ、あまつさえ政権交代を見越して土一揆が蜂起する惑乱ぶりであった。

 しかし、かかる戦勝の余勢を駆って長誠が上洛するということはついになかった。京都における泥沼の戦争を忘れていなかったのだろう。武士である以上、攻められたら反撃はするが、防勢の枠を越えて積極的に政元を攻めるなど、長誠にとって思いもよらないことであった。

 元来戦争には慎重だったはずの長誠が政元を破ったことで、楽観論が幅を利かせるようになったのだから皮肉なものだ。長誠は自らの責任において、強硬論を鎮めなければならなかった。

 そんな長誠に同調したのが吉見義隆だった。

「左様、武力によらずとも上洛を果たしさえすれば、義材様は自ずと周囲から推戴されるに相違ございませぬ」

 政元の力で室町殿の座に据わった義高が、依然として将軍任官を果せないでいた事情は縷々述べてきたとおりだ。任官に必要な献金がなされていなかったからである。

 そもそも政元は、幕府内における実権を握ろうなどと画策して義材を追い落としたのではない。日本全体が銭不足に喘いでいた当時、幕府の実権を握ったからといっても負担が増すばかりで、そんなものになんの旨味もなかった。政元が挙兵したのは河内出兵が脅威だったからだ。

 その河内出兵を主導した畠山政長は既にこの世の人ではない。政元にとって、義材は脅威ではなくなっていた。

 それどころかこのまま政元が義高に抱きつかれてしまえば、政元は好むと好まざるとに関わらず幕府の実権を握らされることになるだろう。財政基盤が脆弱な義高に代わって、政元が幕府や朝廷の諸経費を賄わねばならなくなってしまうのである。

 政元にとっては、いまや義高こそ忌むべき存在になり果てていた。

 それだけではない。やはり武力によって義材を追い落としたという事実は、義高政権に暗い影を落としていた。入京さえ果たしてしまえば、あえて政元を倒さずとも、周囲が義材を放ってはおかないだろうとする義隆の観測は、それなりの説得力をもって聞こえた。

 しかし

「逐一ごもっともなれど……」

 静かに反論を始める種村視久。

「こちらに争う気がなくても、相手はどうでしょうな」

 過去の所業を咎められ、誅殺されることを恐れた政元が、義材に再び刃を向けるかどうかは、まったく政元の胸三寸に委ねられているのである。そうなってしまってから臍を噛んでももう遅い。

 視久はそのような意見を述べたあと、次のように言った。

「いちど主に牙を剥いた犬は始末するべきでしょう。もしそれがかなわぬというのであれば、より強い犬を手懐けておいてから入京する他ございますまい」

「待たれい。より強い犬とは誰のことぞ」

 長誠が色をなして問う。長誠が政元打倒に消極的である以上、視久の言う「より強い犬」が長誠を指していないことは確かだ。戦争回避を弱腰と難じられることは、長誠にとっては心外であった。

「左様、たとえば越前の朝倉、あるいは山口の大内などがそうでしょうな」

 神保では力不足だと言わんばかりに言ってのけ、ツンとした佇まいをみせる視久を前に、長誠は歯噛みするばかりであった。

(これだから嫌なんだよ……)

 義材の本意などほったらかしにして、好き勝手な意見を口にする人々をただ眺めるしかない義材。議論は、飽くまで義材の上洛と復権を前提に進んでいく。そのうえで「政元を打倒するか否か」に集約されつつあった。

 義材は政元との会談を思い返していた。危うく毒殺されかかり、一命を取り留めた直後のことだ。

 あのとき政元は、謀反に及んだ理由について、河内出兵が細川京兆家の基幹領国である摂津の脅威になっていたことを包み隠さず説明している。政長に担がれてあんなことさえしなければ、今ごろこうはなっていなかったということだ。

(だから、次はもっとうまくやれる)

 政元の真意を知った以上、上洛できたとしても、義材は同じ過ちを繰り返さない自信があった。

 しかし……とも思う。

 視久の言うとおり、義材に誅殺されることを恐れた政元が再度挙兵に及ぶかどうかは、政元が決めることであった。上洛するのであれば政元を打倒するか、政元に匹敵する武力を携えたうえで上洛するというのでなければ、常に政元の影に怯え続けることになろう。

「河内派遣軍はいまや雲散霧消し、当家の脅威はなくなり申した。安心して御上洛召されよ」

 そんな政元の甘言に乗って上洛すれば殺されるかもしれない。

(これだから嫌なんだよ)

 どこまでが建前で、どこからが本音か分からない家臣たちの言葉。目の前で議論を戦わせている家臣たちの本当の思惑ですら分からない義材に、遠く離れた京都にいる政元の真意など知り得るはずがなかった。

「わしはこのまま越中にとどまる。ここで海産に舌鼓を打ち、美味い酒を飲んで、ときおり歌を詠み、そしてしずかに生涯を終える。それがわしの望みじゃ。誰も文句を言うな」

 そんなふうに宣言して、このまま越中に逼塞できたらどんなにいいだろう。しかしそれは、足利という家に生まれた以上、いくら望んでもかなわない文字どおりの「夢」であった。

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