第八話 復活之木阿(一)

 正光寺はさながら越中御所であった。神保じんぼの者どもにかしづかれながら過ごす日々は、さすが京都の豪奢には及ぶべくもなかったが、それでも権力への執着がなくなった義材にとっては十分すぎるほど十分な待遇だった。

 義材は復権の志を失った内心を長誠ながのぶに吐露できなかったが、実のところをいうと、それまで越中における利権を貪っていた長誠にも、京都に君臨する政元と事を構えてまで義材よしきを復権させなければならない理由がなかった。長誠からしてみれば、面倒を見るにやけに金のかかる無為徒食の貴人を抱え込んだかたちだが、主君尚順ひさのぶの意思だからそれは仕方がない。もし義材を推戴して上洛の兵を挙げんか、日常生活の面倒を見るどころではない膨大な出費が神保にのしかかってくるわけだから、無為徒食でも大人しくしてもらっていた方がまだマシというのが長誠の本音だっただろう。

 こういった長誠の姿勢を、後世の視点から「退嬰的だ」と批判するのは簡単だが、人口集中地帯だった畿内ですら銭不足に喘いでいた当時、越中一国で上洛の戦費を賄えという方がどうかしている。現実無視の暴論というよりほかない。

 もし尚順あたりから

「義材様を推戴して上洛せよ」

 と命令されても、長誠は言を左右にして従わなかったのではあるまいか。

 長誠が、義材という恰好の御輿みこしを得ながらなお浮き足立たず、己が身の丈をしっかり見定めて静観の姿勢を崩さなかったのはひとつの見識といえよう。

 お互い口に出さなかっただけで、実は両者の思惑は一致していたのだった。

 そんな越中御所に続々と挨拶に訪れる北陸諸大名。応永年間(一三九四~一四二八)に畠山本家から分立した能登畠山家の当主義統、越前朝倉貞景、越後の上杉房定、加賀守護冨樫泰高らであった。

 彼らはこぞってこんなことを言うのである。

「一朝御上洛の号令を戴かんか、軍勢を率いて御陣に馳せ参じる所存」

 ――冗談じゃない。

 権力の座にあればこそ引きずり降ろされもしたし、殺されそうにもなったのではなかったか。それを、誰がいまさら……。

 などとおくびにも出せぬ義材は、引きつった笑みを浮かべながら

「うむ。時節到来の折には頼みにしておる。本日は大義であった」

 通り一遍の答礼をするのがやっとであった。

 もっとも、北陸諸大名とて本気で義材を将軍に据え直そうなどと野心をたくましゅうしていたわけではない。武家社会のような高度儀礼社会においては、自らの利害に影響しない範囲において紋切り型の言動に徹し、無用の波風を立てないのが標準的な振る舞いだったというだけの話だ。義材のもとに挨拶に訪れたというこれら北陸諸大名のうち、結局誰ひとりとして政元を打倒しようという者が現れなかった歴史的事実が、そのなによりの証拠だろう。

 さて、引きも切らず挨拶に訪れる人々との面謁を終えた義材はその日、夕餉に供された吸い物をすすっていた。

 口の中に拡がり、次いで鼻腔に抜ける磯のかおり。

(こういうのでいいんだよ……)

 幾人もの毒味を経たのちに供される冷え切った汁物や川魚。たまに供される海魚は、内陸である京都に運搬する必要からか、とんでもなく塩辛い干物というのが当たり前だった。

 どこまでが建前で、どこからが本音か慎重に見極める必要がある宿老どもの言葉。耳に心地よい言葉を真に受けて煮え湯を飲まされたことも一再ではなかった。

 ――越中ではそれがない。

 歴代将軍が、顕職を後継者に譲ってのち、大御所として君臨しようと志した理由が理解できる気がする。将軍というものを取り巻く煩瑣な事柄はすべて子に譲り、飢えや貧困とは無縁の楽を享受できるとあっては当然のことといえた。

 謀反という不法の行為によって心ならずも将軍職を逐われた義材だったが、義材はいま、期せずして大御所的立場に据わることとなったのである。

 ――誰が好きこのんで今の立場を手放すというのか。

 義材が北陸の美酒に唇を潤そうとしたその時であった。

「おそれながら……」

 近侍の者が告げる。前将軍の食事を遮ってまで言上する何事か重要事が発生したのであろうか。

「何事じゃ」

 喩えようのない不安に襲われ、呟くように尋ねる義材。

 近習は次のように答えた。

 つい半刻(約一時間)あまり前、汚らしい坊主の親子が義材との面謁を求めて訪ねてきた。同朋衆どうぼうしゅう木阿もくあとその子幸子丸こうじまると申せば分かるなどと申して頻りに面謁を求めるのだが、身形があまりに汚らしいものだから俄に信じられず、追い返そうとしたが、それではとばかりに尼僧を呼び立て、

「大樹妹君、祝渓しゅくけい聖寿しょうじゅ様であるぞ。それでも追い返すと申すか」

 などと申すではないか。

 見れば尼僧も相当にくたびれ果てた身形であり、騙り者かとも思われたが大樹妹君いもうとぎみを名乗る以上殺すことも出来ず、いま寺の一室に籠め置いている。

「会われますか」

 困惑とともに訊ねる近習。

(も、も……木阿……!)

 動揺する義材。

 長瀬平左衛門に手引きされ、上原元秀邸宅から脱出する際、一行にはいま少しの余裕があった。木阿弥父子と連れ立って脱出するくらいのことは出来たはずだった。義材は木阿弥を捨てていくことに罪悪感を感じていたし、その義材の逡巡を見てとった平左衛門は、木阿弥を連れて行くことを拒否しなかった。

 その木阿弥父子を連れて行かなかったのは誰に強制されたものでもない、義材自身の決断ではなかったか。

 自分が逃げ延びたあと、その場に残された木阿弥がどんな目に遭ったか、義材は知らなかったが、酷く責められたであろうことは容易に察しがつく。これまでさんざん投資してきた主に見棄てられ、どこに消えたのか知りもしないことを打擲されながら問い詰められたに違いなかった。義材がいずこに消え去ったか

「教えて欲しいのはこっちだ!」

 とでも言いたかったに違いない。

 そんな木阿弥がどこでどうやって妹と落ち合うことが出来たのか知らぬ。自分が失脚したあと、妹がどんな目に遭ったのかも知らぬ。近習が見立てているとおり、妹を名乗る尼僧は、木阿弥が自分と面謁を果たすダシに使うための騙り者なのかもしれぬ。

 義材にとって木阿弥父子との面謁は億劫以外の何ものでもなかった。しつこく居座って離れないなどと聞くにつけ、やはり本物のように思われる。会えば黙って逐電したことを責められ、将軍に復位することを求められるだろう。

(しかし……)

 妹は違う。会って本当の妹であるかどうか見極めなければ一生後悔することになろう。

「会おう」

 沈思黙考の後、義材は答えた。

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