第七話 義材公越中美食紀行

 越中正光寺を御座所と定めた義材よしき。ここでの暮らしは、義材にとって悪いものではなかった。洛中のようにごみごみしておらず自然の彩りに満ち、美濃在国中の何気ない日々を思い起こさせる質素な暮らしぶり。

(良いよ。越中は実に良い)

 クーデターによって将軍の座を逐われて以降、義材からは憑き物が落ちたように権力への執着心が消えていた。神保じんぼ長誠ながのぶの手引きに従って越中へと落ち延びてきたのは生命の安穏のためであって、断じて復権のためなどではない。

 ただ尚順ひさのぶにしても長誠にしても、慈善目的で義材を匿ったのではない。自らの栄達を果たさんがために義材復権を後押しするのである。将軍還任など求めていない義材の真情は、これら応援団に向かっては、決しておおっぴらにできないものだった。

夕餉ゆうげの支度がととのってございます」

 安穏のなかに身を置いていた義材に、お付きの若侍が告げた。

「かぐわしいの」

 えも言われぬかおりが鼻をくすぐる。運び込まれてきた膳には、湯気の立ち上る温かい吸い物や白米が盛られた椀。

 将軍在職当時は、調理場から義材の元に膳が運ばれてくる間に何度も毒味が入るために、冷えた飯を食べるのが当たり前になっていたがここではそれがない。

 京都にいたならば毒味がいないことに不安を感じもしようが、ここは尚順の領国越中なのだ。毒殺される不安は義材にはなかった。

 改めて膳を見ると白身魚の切り身。輝いて見えるのはことのほか脂が乗っているためか。見慣れぬ魚料理に

「これはなにか」

 と問う義材。

「越中の海に産する赤鯥あかむつと申す魚で、別に喉黒のどぐろとも申します。漁師どもの食する脂の多い下魚ではございますが、ご心労重なる御身に滋養のあるものを召し上がっていただこうと思い進上いたしました」

「湯通ししてあるな」

「軽く。虫を落とすためでございます」

 虫、とは寄生虫を指している。アニサキスを死滅させるために軽く湯通しするくらいのことは、当時既に行われていたに違いない。

 義材は、諸白もろはく(清酒)で満たされた皿に切り身をひと切れ浸した。脂の玉が諸白に浮き上がったが濁りはない。

(ほう……)

 義材は、それだけで喉黒の美味を疑わなかった。

 と、魚の切り身を酒に浸すという一見行儀の悪いようにも思われる義材の所作を描いたここらあたりで、当時の調味料について解説しておかねばなるまい。

 刺身に限らず、魚料理を食べる際の調味料として真っ先に醤油を思い浮かべる人は多いのではなかろうか。醤油は当時から存在しており、味噌などと並んで原材料に塩を使う調味料は既に一般的だった。

 貴重だったのは甘味料だ。

 サトウキビの国産化に成功し、砂糖が国内に広く流通するようになるには江戸時代も半ばを過ぎた十八世紀まで待たねばならず、それまで砂糖は輸入品であって容易に手に入らない代物だった。

 では甘味料は皆無だったのかというとそういうわけではなく、往古の昔には甘葛あまづらと呼ばれる甘味料をシロップのようにかき氷にかけて食した記録もあるにはあったが、そのひとかけを抽出するためにブドウ科植物のつたが大量に必要で、決して一般向けではなかった。

 砂糖は高級輸入品で滅多に手に入らず、大量生産に向かない甘葛のようなものしかなかった時代、最も安直に手に入る甘味料といえば米だった。

 米を原材料とする加工品といえば清酒が思い浮かぶ。室町時代には酒の精製技術が進歩し、度数の低いどぶろく(濁り酒)から脱皮して諸白(清酒)が製産されるようになっていた。

 清酒は、米のエッセンスを凝縮した当時としては唯一といっても良い甘味料だったのである。

 天文年間(一五三二~一五五五)に成立したとされる逸話集『塵塚物語』には、政元の父勝元が鯉料理を食してその産地を言い当てる逸話が残されている。鯉の造りを浸した酒が濁らなかったことから

「此鯉は淀より遠来の物とみえたり」

 と、鯉料理に関する蘊蓄うんちくを披露する有名な逸話である。

 現代を生きる我々からは刺身を甘い味付けで食べる発想はなかなか出てこないが、それは砂糖が当たり前のように流通しているからであって、甘味料が貴重だった当時は、ありふれた塩辛い調味料ではなく甘いシロップ(清酒)に浸して食すのが贅沢とされたようである。

 ウマいマズいとか合う合わないの話ではない。美的感覚同様、味覚もまた時代の常識に左右されるということだ。

 義材が喉黒の切り身をなんの疑いもなく酒に浸した背景について解説しておいた。本題に戻ろう。

 義材は酒に浸した切り身を口に運んだ。

(これは……!)

 大なり小なり鼻腔に飛び込んでくるだろう泥臭さを覚悟していた義材だったが、それがまったく感じられないことは義材を驚かせた。

 美濃や京都といった内陸暮らしがほとんどだった義材にとって、魚料理といえば干物か、そうでもなければ鯉のお造りが一般的だった。水底の石にこびりついた苔を食す鯉は泥臭く、そのままではとても食べられた代物ではない。調理に先立って一定の泥吐き期間が必要なのであり、それを経てもなお、ある程度の泥臭さは残るものであった。

 鯉のお造りを高級料理として食してきた義材にとっては、パンチの効いた特有の泥臭さも美味の一環に変貌を遂げていたが、海魚である喉黒にそれがないことは義材にとってむしろ新鮮な味覚だった。

 かといって味気がないというわけではない。泥臭さに代わって義材を驚かせたのは想定外の酸味だった。

 喉黒を胃の腑に落とした義材は、逸る心を抑えながら脂の浮いた諸白をちびりと口に含んだ。

(これか)

 甘いとばかり想像していた諸白に微かな酸味が混入している。この酸味が喉黒の脂をちょうど良いあんばいに中和したのである。絶妙の組み合わせというべきであった。

 越中の諸白には、京都に広く流通する酒にはない重層的な味わいがあった。

 見れば下座でにやりと笑う若侍。してやったりとでも言わんばかりである。

「お気に召していただいたご様子」

「心憎い奴じゃ」

「越中富山に産する諸白は、米に加える水の性質により斯くの如くほのかな酸味を含みます。それがしも京の酒を飲んだことはございますが、一度富山の酒を知った舌にあの甘ったるさはどうにも……」

「分かった、もう言うな」

 義材に制されて口が過ぎたことを恥じる若侍。

「はっ」

 畏まって口をつぐむ。

 美味の余韻に浸る義材に、若侍の蘊蓄は余計なものだったようだ。

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