第六話 住吉社焼討之御神罰

 さて元秀に対する異例の人事は細川家中に不協和音をもたらした。出頭人に対するやっかみはいつの時代でも普遍の真理だ。特に身分秩序が固定化されていた当時、抜擢はそれなりにリスクを伴う人事であった。

 細川家の評定衆、長塩ながしお元親もとちか等から相次いだ反対論により、さすがの政元も元秀の一族入りを取り下げねばならなくなってしまった。それでも一度は一族入りを発表された元秀の増長は止まるところを知らなかった。当代の大悪党上原元秀及びその一族凋落の顛末を紹介しよう。

 事件の発端は、政元が重臣を洛中の自邸に召し寄せたことに始まる。義高の将軍就任に必要な費用捻出について、その分担を決めるためであった。

 寺社本所領押領を繰り返し、家中で最も羽振りの良い元秀の振る舞いは、ここでも傲然たるものがあった。大紋を着し主人政元邸宅の門前まで馬で乗り付ける元秀だったが、かかる無礼の振る舞いに

「上原神六、増長慢心も大概にせえ!」

 と吼える者がある。

 見れば政元邸に入った何者か重臣の被官人のようで、門外で主人が出てくるのを待っている者のようだった。

「ふんっ!」

 もとよりそのような小者を相手にするほど元秀も閑ではない。無視を決め込んで馬を降り邸内に入ろうとしたが、小者はなおも

「俺は長塩元親の一族、弥六や。貴様の傍若無人、近年許し難い」

 と吼えることを止めなかった。

 噛みつかれた元秀はといえば、吼える弥六に一瞥をくれるや

「なに長塩? 先のいくさ(政変のこと)で大した手柄もなかった長塩の小者がこの俺様になんの用だ」

 とあるまじき暴言を吐いた。これには弥六の主、元親が、元秀の細川一族入りを反対したことに対する憤懣も多分に混入している。

「手柄を鼻にかけおって! 抜け大悪人! ここでぶった切ってやる!」

 大悪人――とは、上原元秀の荘園領押領を指して言っている。元秀が犯罪行為に手を染めて主人政元に取り入ったことを皆が知っていた。弥六のように己が腕一本を頼みに奉公しているような者は、他人の財物を掠め取って出世した元秀のような手合いとそもそも反りが合わない。

 そして元秀も畢竟ひっきょう侍であってみれば、大悪人などと呼ばわりされたことで先ほどまでの適当にあしらうような態度をにわかに硬化させ、怒りのために青ざめながら

「やるか!」

 と吼えながら抜刀した。主元秀に続いて次々と抜刀する上原の侍衆。

 弥六もほとんど同時に抜いたが多勢に無勢、どう見ても勝ち目はない。

「うわっ! 喧嘩や!」

「きゃー!」

 細川邸門前で唐突に始まった喧嘩。或いは足を止めて見入る町衆、或いはとばっちりを恐れて小走りにその場を立ち去ろうという女子供。

「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉がある。江戸の人々にとって、火事と喧嘩が多数の見物人が集まる一種のエンターテインメントになっていた当時の世情を表す言葉だ。この時代の京都も似たようなもので、多人数が入り乱れて争う騒擾事件は珍しいものではなかった。町衆がそれを見物したり、とばっちりを避けてその場をやり過ごす身のこなしにも、一種の様式美が漂う。ことに見物人たちは、誰に指示されるでもなく自ずから紛争当事者を取り囲んで円形の人垣を形作ったので、あっという間に即席の闘技場が出来上がった。

 これから始まるであろう流血の惨事を、固唾を呑んで見守る京童きょうわらべども多数。

 弥六は勝ち目がないことを知りつつ、衆目にさらされている手前、退くこともできず

「うおぉぉぉ!」

 気合い一閃元秀に斬り掛かったが、その切っ先が首魁元秀に届くより先に、取り巻きの上原侍衆数名に寄ってたかって切り刻まれるの惨状。

 弥六は全身を真っ赤に染めてその場に倒れ込んだが、右手に握っている刀は最後まで手放さなかったのは執念と憤怒の為せる業か。

 とはいえこれだけ切り刻まれては蘇生することなどよもやあるまい――。

 元秀のみならず、その従者たちも弥六の死体を背に油断したその時だった。

「ふしゅ~!」

 死んだとばかり思っていた弥六が口から血飛沫を吹き出しながら立ち上がると、油断して背を向けていた元秀の首筋にドカッ! とひと太刀浴びせかけた。執念のひと太刀だったが、もとよりよろめきながら放った瀕死の一撃、切っ先に力は無く、倒れ込むとともに今度こそ本当に絶命した弥六。

「おのれ狂躁人めが……!」

 いくら力なき一撃とはいっても刃物で急所を斬られたのだから無事で済むはずがない。首筋を押さえる元秀の指の間から噴出する血液。その大紋が見る間にドス赤く染まっていく。

「殿! しっかり、しっかりなされよ」

 上原の侍衆は慌てふためきながらも主人を輿に乗せ、その日は談合にも出席できず邸宅へと帰還せざるを得なかった。

 怨念の為せる業であろうか、瀕死の弥六が放った一撃は元秀をじわじわと死に追いやっていった。即死できなかったことで、元秀はむしろ長く苦痛を味わうこととなった。

 喧嘩の顛末はたちまち市中に拡がっていった。とりわけ喜んだのは、荘園押領の被害に遭ってきた寺社の人々であった。

「当社領押領人上原紀伊に仏罰下れり!」

 諸方で吹聴し憚らない僧侶たち。

 手早い処置で一命を取り留めた元秀だったが、なんらかの感染症にかかってしまったものか、斬られて以降は床から身を起こすことが出来なくなってしまっていた。権勢傍若無人を誇ってからの、あっという間の転落劇にさすが天をも恐れぬ元秀も弱気になる。

「これは……本当に仏罰なのかもしれん……」

 元秀はそれまで押領していた寺社本所領の返還に応じることにした。一族のルーツである諏訪明神の神罰以外は信じなかった元秀が、不条理な死が間近に迫るや俄に弱気になって迷信に心惑わされていた様子が目に浮かぶ。身から出た錆とはいえそぞろあわれを禁じ得ない。

 元秀は、先に追い出した住吉社の津守つもり国則くにのりを呼び返して神罰の赦免を願い出た。しかし住吉社にそのような邪道の修法はもとより存在せぬ。国則は

「私は呪詛などしていない。聞けばこたびの遭難などそちらの日頃の心懸けいかんで防げたこと。邪法というより因果応報でございましょう。与り知りませぬ」

 冷たく突き放すばかりであった。

 一箇月苦しんだあげく、上原元秀は死んだ。

 間をおかずして象徴的な出来事があった。とある相撲興行の場で、細川内衆上原賢家の被官人と、同じく新参の内衆赤澤あかざわ宗益そうえきの被官人が喧嘩に及び、相打ちとなって双方が死亡するという事件が起こったのである。

 上原賢家は死んだ元秀の父親だったが、寺社本所領を手放して元秀が死んだ上原家に、往時の勢いはもうなかった。政元は

「もはや用済み」

 と言わんばかりに上原敗訴を言い渡すと、賢家は近江に出奔した。丹波守護代職は旧来これを務めてきた内藤に返還されることとなった。出奔の翌年、賢家は近江で客死している。

 役目を終えたとみるや一度は一族入りさえ検討した上原を見棄てるに躊躇がない政元は、後年の信長あたりと比較してもずっと酷薄だったのではないかと思われてくる一連の顛末てんまつなのであった。

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