第三話 住吉社焼討之次第
翌朝、上原邸は騒然となった。座敷牢が切り破られ、義材が姿を消していたからである。室内に多数残されていた泥の足跡から、義材が一人で脱走したのではなく、何者かが邸内に侵入して脱走を手引きしたものと考えられた。
木阿弥は事情を知っていると疑われ、麻縄でぐるぐる巻きに縛られたうえで上原元秀の前に引き据えられることとなった。
「木阿、知ってることは洗いざらい喋ってもらうぞ」
見れば
「わしゃ……なんも知りまへん」
義材と要らざるコミュニケーションを取らないよう、義材に呼ばれたり食膳を配する場合以外は、木阿弥はその身辺に近付くことができないようになっていた。
「お目付もいらしたやおまへんか」
木阿弥がそう言ったとおり義材の牢舎には目付が配され、その動向は終始監視されていた。木阿弥が義材と長時間話し込んだりしていなかったことは、これら目付に尋ねれば分かるはずだ。
しかし
「そんなもん疾うに殺されとるわ!」
一喝する元秀。
切り破られた牢舎の横には、血を流して倒れている目付の姿があったという。脱走に先立ち侵入者に殺されたのであろう。
「尋問を受ける立場にありながら、かえって我らの
木阿弥の抗弁を受けた元秀は怒りを爆発させ、縛られて抵抗できない木阿弥を思いっきり蹴飛ばした。正覚寺で腹を切らなかった
「ぎゃあ!」
木阿弥は短い悲鳴とともに吹っ飛んだ。
「責め立てて吐かせろ!」
元秀は木阿弥を拷問にかけるよう命じるとともに、四方に手配して義材の逃げた先を探索することとした。
(なんで……なんでこんなことに……)
木阿弥は義材脱走についてはなにも知らなかったのに、天井から吊されたあげく背中といわず尻といわず、激しく竹鞭で殴打された。あまりの痛みに失神すれば水をぶっかけられ、無理やりにでも尋問が続行されたが、知らないものは何度聞かれても答えようがない。
「ひえぇぇぇ~! わしゃほんまになんも知りまへん~」
いくら責めても痛みに泣き喚くばかりで、義材の逃げた先を答えられない木阿弥は、どうやら本当になにも知らないらしいということになって釈放されることになったが、無論元秀からは謝罪などという気の利いたものは一切なかった。それどころか上原一党は「穀潰しめ」と言わんばかりに無実の父子を邸内から追い払ったのであった。
確かに木阿弥父子にとって上原邸は敵地の真っ只中に違いなかったが、竹鞭に叩かれて痛む背中もそのままに、行くアテもなく路頭に放り出されたあわれ木阿弥。
「父上、しっかり」
「許さへん……許さへん……」
重い足を引きずりながら、うわごとのように繰り返し呟く木阿弥。
自分を竹鞭で打擲した上原元秀はもちろんのこと、なにも告げることなく忽然と姿を消した義材も、いまや木阿弥にとっては恨みの対象になっていた。
「なんでわしらを連れて行ってくれへんかったんや。こないなったら絶対に見つけ出して、嫌でも将軍に返り咲かせたる……」
木阿弥にとって、義材を再度将軍に就けて、これまで義材のために投じてきた銭を取り返す以外に、恨みを晴らす方法はなかった。
さて政元である。
政元にとって義材は頭痛の種であった。当初義材の身柄は、政元の息がかかった龍安寺に移送されたが、そこで危うく富子に毒殺されかけた事情は前述のとおりだ。
主殺しの汚名を恐れた政元は、その身柄を細川京兆家内衆上原元秀の邸宅にさらに移送しなければならなかったが、義材の身柄を預かってしまったがためにこういうことをしなければならなくなってしまったこと自体、既に相当な面倒ごとというべきであった。
その義材が何者かの手引きによって京都から消え去ったというのだから、普通に考えて政元の敵対者に手引きされてのことと考えねばならないだろう。
(だとすると畠山か大内か……)
政元は元秀に対し、引き続き義材の逃げた先を探索するよう命じた。
「開門、開門!」
堺住吉神社の門前より殺気立った声が響く。境内から社人が耳をそばだてると、声の主ひとりとは思われぬ大人数の雑踏。
ただならぬ異変を察知した社人が神主
「なにか御用か」
と尋ねる国則。
「細川家
「それはあまりに一方的な申しよう。確かに畠山被官人
「邪推と申すなら門を開けてみせい。何故追い返そうとする。やましいところがあるからじゃねえのかい!」
一見もっともらしい理屈で迫る元秀だったが、いささか強引に過ぎる物言いは否めない。いくら義材の居所を探索するためとはいえ、尚順に列する者というだけで神域に踏み込もうというのだから非常識もいいところであった。
「そうまで仰るならどうぞ。そのかわり神罰を蒙っても知りませんぞ」
国則がしぶしぶ開門に応じると、どかどかと境内に踏み込む上原一党。社殿といわず宮寺といわず土足で踏み入って床板を引き剥がしたり天井を鑓の柄で突くなどやりたい放題だ。
「お止め下され、そこまでせずともよいではございませんか! 神罰が怖くないのですか!」
止めに入る宮司や社人だったが、多人数であることと細川京兆家内衆としての威勢に任せて横暴を極める不埒者に、住吉社主祭神である住吉三神の神罰を恐れる様子はない。それどころかかえって
「神罰と申せば恐れるとでも思ったか! 我ら上原一門とて信濃国一宮諏訪大社大祝の一族! 我らが恐れるのは諏訪大明神の神罰のみ!」
などとあるまじき暴言を吐いて神職一同を呆れさせる始末だ。
いくら探しても尚順や義材がいないと分かると
「こんなところ燃やしてしまえ」
元秀は強引な捜索を詫びるどころか住吉大社に火をかけ燃やしてしまった。神主津守国則は無罪放免ではなく追放の憂き目を見ることとなった。とばっちりも良いところだ。
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