第二章 流轉之將軍

第一話 義材公逐電之事

 政元は自身の内衆、上原元秀の邸宅に赴いた。そこに身柄を移された義材と対面するためであった。義材を上座に戴き、政元が通り一遍の挨拶を口にすると、答礼もそこそこに

「なぜ殺そうとした」

 と訊ねる義材。

「それがしの与り知らぬことでございました」

「では誰が」

 ここで「富子」と答えることができればどんなに簡単だろうと思う。しかし真実を知れば、義材は終生富子に逆意を抱き続けることになる。内衆の邸宅まで、わざわざ禍根の種を蒔きに来たのではない。

 洛中はいま、義材が毒殺され、その首謀者は政元であるという噂で持ちきりだった。実際には義材は一命を取り留めていたし、政元は首謀者どころか義材暗殺に反対の立場だったのだが、市井の民に真実を広報する手段が乏しかった当時、政元としては噂を打ち消すことに力を注ぐより、最も自分を疑っているだろう義材に対して釈明する方が重要であった。

 それで疑いが晴れるかどうかは未知数であったが、だからといってほったらかしにしておけば、いつまで経っても疑念が晴れないことになる。内衆のなかには義材との面談に反対する者もあったが、政元の決意は固かった。

 義材より毒殺の首謀者を訊ねられ黙り込む政元。これを訊ねられたら最初から黙るつもりだった。

 義材も察したようで

「まあよい」

 とこだわらなかった。

 政元は首謀者を知っているはずだったが、それについては追及せず、食膳係を処断するに止めている。要するに政元が手出しできない人物が首謀者だったということである。首謀者は、自ずと政元本人を含めた数名に絞られてくる。

 一命を取り留めた義材にとって、追及はそこまでで十分だった。

「ところで、なにゆえわしを逐った」

 暗殺者の追及にこだわらなかった義材だったが、謀叛の理由は政元の口から聞いておかねばならなかった。そして政元もまた、その点については義材に対し釈明を尽くすつもりであった。だんまりから一転、政元は饒舌に語った。

「恐れながら申し上げます」

 そう前置きしてから政元は、河内出兵が政長の私戦であったことや、次に予定されていた越前出兵も同じく斯波しば義寛よしとおの私戦であり、天下の諸侯が皆ことごとく迷惑していたことを説明した。さらに政元としては、庶流の細川阿波守護家の細川義春が義材に偏重され、自分が幕政から疎外されつつあったことや、自身の基幹領国摂津近辺での軍事行動に危機感があったことを包み隠さず義材に告げたのであった。

「そうか……みな迷惑しておったのだな」

 悄然と呟く前将軍。

「父上さえご健在であったならばこうはならなかっただろうに……」

 義材の口から、自然とそんな言葉が漏れ出た。

 義視は応仁元年(一四六七)には東軍総大将として政治的決定に携わり、西軍に転じたあとも西幕府総帥の座に据わって、諸侯を総攬した経験があった。権力闘争の現場を遊弋してきた父義視は義材にとって最良の師になるはずだったが、義材の将軍就任からわずか半年後の延徳三年(一四九一)正月、病没してしまっている。父の後見を失った結果義材は、畠山政長や斯波義寛といった宿老にいいように操られ、ついに天下の名望を失ったのである。

 河内への出兵が摂津を知行する政元に圧迫を加えることになるという理屈も、政元本人から聞いて初めて知った話だった。政長はそうと知って、なにも知らない義材を操り、河内出兵を強行したのである。

 摂津への圧迫がなくなった今、たしかに政元が義材の命まで狙う理由がない。毒殺の件は与り知らないという政元の弁明は、ひとまず信じて良さそうであった。 

「わしには将軍になる資格がなかったということじゃな。ようやっと諦めがついたわい」

 負け惜しみではない。心底そう思う。もうこりごりであった。

 政元を見送った晩は、激しい雨であった。

「義材殿、義材殿」

 耳許で囁く声が聞こえる。頬に落ちた滴で義材は目を覚ました。

「なにやつ……!」

 身を起こして大声を上げようとした刹那、口を塞がれ喉元に脇差しを突き付けられる義材。見れば簑笠に身を包み、全身しとどに濡れたまま座敷に上がり込んでいる不埒者数名。

(やはり政元だったか……)

 後悔が義材を襲う。昼間は良いように言いくるめられたが、やはり政元は自分を毒殺しようとしたのだ。

 命の危険を察して黙り込んだ義材に対し、男は脇差を納めて言った。

「ご無礼仕りました。それがし越中守護代神保じんぼ長誠ながのぶ家中衆、長瀬平左衛門と申す者。主人より御身を保護し奉り、越中へお連れするよう仰せつかって参上仕りました」

 神保と聞いて一転、義材は安堵した。

「なに政元の手の者ではないのか。神保ということは、尚順ひさのぶは生きているということだな?」

「はい」

 神保長誠といえば、二つに分かれた畠山のうち、政長系畠山の重臣として分国越中を預かっている大物だ。その家中衆がここに来たということは、畠山尚順の命令を受けてのことと考えられた。

 政元による暗殺ではないと知ってひとまず安心した義材だったが、逐電となると逡巡を禁じ得なかった。

 尚順が神保長誠に命じて身柄の奪還を企てているということは、自分を擁立して再挙を企てているということであった。しかしまさに今日、義材は自身の政治手腕に乏しいことを思い知らされ、政治への熱意を失ってしまったばかりではなかったか。

「このまま隠遁する。そっちの方がわしには向いている」

 それこそ嘘偽りなき義材の真情だったが、目の前にいる連中の殺気立った様子を見れば、断ったところで

「ああそうですか」

 と大人しく引き下がるとも思えない。下手をすれば殺されかねなかった。

 ――どうやら断れるような立場にはないらしい。

 義材は諦めるしかなかった。長瀬一党が準備した簑笠に身を包み、身支度を始める義材。

 いざ外塀を乗り越えるときになって、義材がふと呟いた。

「木阿弥と幸子丸こうじまるが……」

 まだ邸内に残ったままだ。

 監禁されている義材の面倒を見るため、上原邸の片隅に粗末な一室を与えられていた木阿弥父子がまだ取り残されている。

「ともに連れて行きますか」

 まだ間に合います、と長瀬。

 美濃から上洛し、なんの権力基盤もなかった義材のために、将軍に近侍する同朋衆として何くれとなく面倒を見てくれたのが木阿弥父子だった。本人が口にして憚らないように、彼らが自分のために投じてくれた銭も相当額に上る。それを見棄てていくのか。

(しかし……)

 損益を取り返そうと躍起になって義材の尻を叩く木阿弥の姿がふと浮かぶ。義材の隠遁を誰が許さないといって、木阿ほど許さない者は他にあるまい。

「いや、行こう」

 後ろ髪引かれる思いを隠しながら、義材は短く告げた。

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