第十七話 義材公毒殺之次第
義材捕縛に成功した政元は、伊勢貞宗とともに岩倉金竜寺にいた。富子に政変の成功を復命するためだった。
「
政元が義材の今後の処遇について説明をはじめると、
「手ぬるい」
富子はその言葉を途中で遮って
「やっておしまい」
こともなげに言ってのけた。
政元はしばし絶句してから
「それでは……話が違います」
と絞り出すのがやっとであった。
話は事前謀議まで遡る。謀議では富子と貞宗は義材殺害を主張し、政元は反対の立場を取った。
前述のとおり富子が政元を謀議に引き摺り込んだのは、謀叛を実行させるためだった。河内出兵に危機感を抱いていた政元は謀叛にこそ同意したが、だからといって捕縛した義材を殺害するなど以ての外のことであった。
世間は実行部隊を指揮した政元を政変の首謀者と見做すだろう。そんななか、もし義材が殺害されたならば、首謀者政元の命令で殺されたという噂が流れることは必至であった。
この時代でも主殺しは大罪だ。そんなことをすれば畠山残党や大内といった反細川勢力に政元討伐の恰好の口実を与えることになるだろう。将軍廃立ですら相当の汚名を被るであろうに、更に主殺しの大罪を犯すことは、政元にとって百害あって一利も見出せない愚行に他ならなかった。
しかし富子から見える風景は違っていた。
義材による報復の禍根を断ち切るためには、義材を殺してしまうのが最も手っ取り早い方法だった。加えて義材は富子の主ではなく、富子が義材を殺害しても主殺しにならないから、義材殺害にあたって心理的ハードルがずっと低い。主殺しを敢行したわけではない富子が反細川陣営から敵視される謂われもない。前将軍殺害の汚名は全部政元が被ることになるのだから、富子にしてみれば義材を殺害しない手はないということになる。
義材殺害の道具として使われることを嫌った政元は
「もし大樹を殺害するというのであれば同意できない」
と実行を渋ったので、
「捕縛した義材は殺害せず出家させることとする」
と事前謀議で決したはずではなかったか。
それをいまになって覆そうとするとは……。
「御台の仰せでござるぞ」
貞宗が件の
「お断り申す。義材殿を殺害するなら色立てしないとあらかじめ申し上げていたはずですぞ」
殺す殺さぬの議論は両者が互いの主張をぶつけ合うだけの金槌論に終始した。
「話にならん。とにかく義材殿の処遇はそれがしが決める。」
政元は不毛な議論を打ち切り、憤然と座を立った。
明応二年(一四九三)五月六日、義材は将軍位の象徴である御小袖並びに御剣を
その晩、義材は身辺に残った数少ない侍臣とともに龍安寺の一室で夕餉をすすっていた。
「これでわしも普通の人に戻ったわけじゃ」
自嘲気味に言う二十八歳の前将軍。
「お気の弱いことを仰せになるな。お命を取られたわけでもあらしまへんし、生きてさえいらっしゃれば必ずや再起の
木阿弥は慰めるつもりで言ったが、義材はむしろ生き生きして言った。
「木阿よ、わしは弱ってなどおらん。それどころか美濃在国当時を思い出して、いまはかえって晴れ晴れとしておるのじゃ。これは負け惜しみではない。いまの偽りなきわしの心境じゃ」
応仁の乱が終わり、京都にいられなくなった父義視に伴われて美濃に下ったのは義材が十二歳のころだった。以来二十四歳になるまで美濃に在国しながら「普通の人」として過ごしてきた退屈な日々が、将軍として過ごした血生臭い日々を経た今、かえって懐かしく感じられるのである。
思えば純粋無垢であった。
四季折々の彩りに身を委ねて日々を過ごし、将軍就任が内定して上洛が近付きつつあったときの浮き立つ気持ち。将軍を取り巻く恐ろしい現実をなにも知らなかったころの、将軍というものに対する純粋なあこがれ一本しか抱いていなかったあのころにまた戻れるのだ。
そう思って義材は生き生きするのである。
「わしゃ権力争いなんぞ関係のない、普通の人に戻るんじゃ……」
これまで義材に投資してきた木阿は、遠い目をしながら語るそんな義材の言葉にいかにも不満げだったが、こうなってしまってはあがきようがない。
什宝を返還して肩の荷が下りた義材はこの晩、殊の外上機嫌で酒が進んだ。義材が何杯目かの盃を口に運ぼうとしたときであった。それまで赤く染まっていた顔がみるみる青ざめ、手が震えて盃を取りこぼす義材。
みれば目を白黒させ、額にぐっしょり冷や汗が浮かんでいるではないか。
「如何なされましたか!」
慌てて駆け寄せる木阿と
(この症状、ただの飲み過ぎやあれへん)
確かにいつもの酒量よりは多かったが、これよりずっと多い量を飲んで平気だったこともある義材だ。急な病か、そうでもなければ
(毒か)
木阿は懐から銭の入った巾着を取り出して幸子丸に渡した。
「これで薬師から薬買うてこい。急げ!」
「薬って、なんの?」
「知るかボケッ! 毒消しや!」
「こんな夜更けに……」
「叩き起こせ!」
追い立てられるように薬を買いに出かけた幸子丸が戻ってきたのは半刻(約一時間)ほど経ってからであった。義材は相変わらず苦しんでいた。吐き気が治まらないようで、既に出し切ったにもかかわらず嘔吐きが止まらない。
「父上戻りました。このほう……豊心、えーっと、豊心丹と申す薬は……」
「薬の名前なんかどないでもええわ! さっさと飲ませて差し上げんかい!」
「あ、はい!」
眠い目をこすりながら迷惑そうに起きてきた薬師に教わったとおり、幸子丸は豊心丹を大量の水で飲み下させると、義材はすぐに吐き戻した。
「あかんやないか」
木阿弥は肩を落としたが
「薬師の親父は、顔に赤みが差すまで飲んでは吐きを繰り返させろと申しておりました」
薬師の指示どおりにすると、何度目か吐き戻したところでようやく義材の顔に生気が蘇ってきた。
義材は一命を取り留めた。
騒ぎは龍安寺の管理者であった政元の耳にも伝わった。政元は毒殺を疑い、料理番を取り調べたところ
「富子に命じられて義材の酒に毒を入れた」
と自白した者があった。
相手が富子であれば罰するわけにいかない。政元は義材の身柄を、龍安寺から内衆上原元秀の邸宅に移さなければならなかった。
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