第十六話 葉室卿御最期之事
閏四月二十四日払暁、正覚寺に対して総攻撃が行われた。
塀や門といった構造物に無数の鈎縄が投げつけられ、一組の鈎縄を数十人で引っ張って外構えを崩しにかかる寄せ手。城内には引っ切りなしに矢が射込まれ、櫓に配した味方が応射するものの焼け石に水、射すくめられた畠山諸兵は、引っかけられた鈎縄を切ることもできず、外塀や門が引き倒されるのを指を咥えて眺めるしかなかった。
雨止みのぬかるみを踏んで防戦の指揮をとっていた政長。
「しばし防ぎ矢を」
重臣
協議といってももはや敗北は必至であった。
正覚寺に籠城する戦力は約八千人。数字だけならそれなりの陣容を整えているようにも見えるが問題は兵粮だ。そもそも籠城戦など考えてなかったので備蓄はほとんどなく、食糧はもってあと二日。加えて物見からの報告や各種情勢を鑑みれば、寄せ手は約四万にも達する大兵力のようである。正覚寺にもいちおう防御機構が備えられてはいたが、もとより籠城戦など想定外だったから、それも完全とは言い難いものだった。四万人が本気になればあっという間に打ち崩されてしまうだろう。事実、たったいま政長の眼前で外塀や門がいとも容易く引き倒されたばかりではなかったか。
いくら頑張ってみたところで負けは見えていたが、木阿弥に咬み付かれて以降、
確かに正覚寺籠城兵八千のうち、将軍親衛隊である奉公衆はゼロではなかった。しかし前述の事情からそのほとんどは義材を見棄てて正覚寺から立ち去ってしまっており、いま義材の周囲を取り巻いているのは、ほとんどが畠山被官人だった。この状況下、政長の意に反する行動をとることがまずもって難しい。もし降伏を口にすればどさくさ紛れに殺されてしまう恐れさえあった。義材は、政長が政長自身の主体的な意志で降伏を言い出すことを待たなければならなかった。
「いかが致すのじゃ
積極的に発言しなくなった義材に代わり、取り乱した様子で政長に訊ねたのは葉室大納言。本営まで届く鬨の声に怯え、額から流れる冷や汗が
政長はそんな葉室大納言に
「いかがもなにもあったものか!」
と大喝したあと、義材に向き直りまっすぐ見据えながら斯く言上した。
「もはや大勢は決し申した。返すがえすも忌々しきは小倅政元。術策を弄し
「ま……まことか!」
生きて寺を出られると知った葉室大納言が喜色に輝いたのも束の間、
「なるほど葉室卿は忠臣である。大樹安寧のために己が一命を喜んで捨てられる気概、この政長感じ入り申した。それとも……」
まさか自分が腹を切る人数に含まれていないとでも思ったか――。
「ひえぇぇぇぇ……!」
政長の謂わんとするところを察し、一転して悲鳴を上げる葉室光忠。侍ではない葉室大納言は切腹の作法を知らず、その気概も持ち合わせてはいなかったが、義材に取り入って異例の
翌日、戦火は止んだ。
包囲の諸兵が見守るなか、最後まで付き随っていた番衆(奉公衆)の担ぐ輿に座乗して、義材は正覚寺の門を出た。輿のあとには、八幡太郎義家より連綿として受け継がれてきたとされる御小袖(甲冑)、さらに御剣といった将軍家累代の什宝が続き、その行列は降将と思えぬ威厳を湛えて見えた。
行列は上原元秀の陣中に静かに消えていった。
不意に本営から上がる火の手。政長一党が腹を切った合図であった。
文字どおり天下を二分した応仁文明の大乱が終結して十五年以上。政長は乱後も当代最強と恐れられた驍将畠山義就を相手に一歩も退かず戦い抜き、その義就が死んでからあとは、政長こそ日本最強の武士であった。あまつさえ義材政権の重鎮に取り立てられ、義就系畠山を族滅寸前にまで追い込んでいたところでの転落劇だったわけだから、政長の無念察するに余りある。
燃える本営に検使が踏み込むと、畠山政長のほか遊佐河内守ら畠山重臣一同が見事腹を切って果てた横に、怯えた様子でへたり込む甲冑姿の公卿。葉室卿は検使に抱えられて上原元秀の前に引き据えられた。
「なぜ腹を切らんのかッ!」
元秀の大喝を前に縮み上がる葉室卿。平時ならばまともに口を利くことさえ許されない身分差だが、それがかえって元秀の加虐心を煽る。
「言いたいことがあるなら言ってみろ」
葉室卿は震える声で命乞いをした。
「
「アホか~!」
元秀が足蹴にすると、言葉にならぬ悲鳴を上げながら吹っ飛ぶ葉室卿。
「斬ってしまえ」
「ぎえええええ!」
左右を抱えられた葉室光忠は牢舎に連れ去られ、惑乱のなか後日首を刎ねられたのであった。
かくのごとくして政変は完了した。直前まで天下諸侯の軍を受けて滅亡寸前だった畠山基家は、名を「義豊」と改めたうえで幕政に復帰することとなった。義豊は清晃改め
義豊は咬みつかんばかりの勢いで政元に迫った。
「正覚寺を囲んでいた御勢が
政元は聞き流すように
「当時は夜雨で視界が悪く、取り逃がしたようでござる。許したまえ」
と軽くあしらっていたものの、義豊が
「では包囲の担当者にそれなりの責任を取っていただこう。それに前将軍御助命の条件には尚順の首も含まれていたはず。それがない以上は……」
あまりにしつこく
「黙って聞いておれば図々しいにもほどがある。我らが義兵を起こしたのは畠山を救うためなどではなく、むしろ畠山の私戦に巻き込まれるのを嫌ったため。尚順を殺す云々はそちが勝手に言い出したことで、迷惑ながら仕方なく降伏条件に含めたまでのこと。救ってもらっただけでもありがたいと思ってもらわねばならんのに責任を取れなど。分をわきまえよ、この軽輩めが!」
そち呼ばわりされたあげく、自分を上回る勢いで罵倒された義豊は鼻白んで言葉を継ぐことが出来なくなってしまった。
政元は、義豊が今後にわたり自分に協力的であり続けてくれると信じなかったように、自分自身もまた義豊に対し協力的であり続けるつもりはなかった。
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