第十四話 畠山政長之事

 日常から騒がしい人間が、追い詰められて我を失っている様子を見ても、そういった姿を見慣れている周囲からしてみれば

「ああ、またか」

 くらいにしか思わないだろう。

 これが普段もの静かな人だったらどうだろうか。

「取り乱してしまって気の毒に」

 そう思う人が多いのではなかろうか。

 義材よしきが本営を置いていた橘嶋たちばなじま正覚寺しょうがくじが、いまちょうどそんなふうだった。

 東は美濃守護土岐氏から、西は山口の大内氏までをも動員し、各所で圧倒的勝利を収めていた緒戦のうちは、義材は奉公衆にまもられ、奉行衆にかしずかれながら悠々と全体の指揮をとっていた。その頃の正覚寺は、軍営と呼ぶよりも御所と呼んだ方がしっくりくるほど優雅な空気を醸してもいた。

 それがどうだ。

 優雅の風情もいまは消し飛び、殺気立った政長の手勢が、泥だらけになりながら尺木しゃくぎ多数を運び込んでは、荒縄で結わえて櫓を次々こしらえていく様子はまさに戦場そのもの。諸侯のうちで正覚寺を守ろうと参じる者はなく、それどころか京都より細川被官安富元家と上原元秀が大軍を引率し南下襲来しつつあると聞いては、ここ正覚寺を急ぎ要害化して迎え撃つよりほかなかったから、御所のように優雅にあれというほうが無理な話だった。

 こうして急造された櫓の数は百基以上に及んだという。

「取り乱してしまって気の毒に」

 誰ともなく呟く声が聞こえてきそうな正覚寺の浅ましき様子なのであった。

 防戦準備の喧噪のなか、政長は現状を義材に報告すべく寺内の御座所に出仕していた。少し前までの政長は、己が累年の武勲を鼻にかけて自信に満ち溢れて見えたが、いまは立烏帽子から覗く白髪が、零落しつつある哀愁を引き立てて痛ましい。実際政長は気が気ではなかった。和睦条件として首を差し出すよう名指しされていたからである。

「お前さえ死んでくれたら丸く収まる」

 味方からそんな声が上がることを恐れる政長。窮した挙げ句、次のような虚言まで弄する始末である。

「謀叛人政元は大樹御威光を恐れ自邸奥深くに隠れ潜み、被官人を差し越すのがやっとと見えまする。この戦い、我らの勝利に帰するは疑いございませぬ」

 義材はたずねた。

「大内はどうした。必ず来ると言っていたではないか。何故これへ参らぬ」

 政長の額に冷や汗がみるみる浮かぶ。政元挙兵の報を聞いたとき、政長は義材を安心させるために、政元と犬猿の仲である大内六郎殿は我らに必ず味方するなどと、勝手な見立てを言上していたのだった。

 もとより義材も何故大内がここに現れないのか、知っていながら訊ねている。

(どうせ勝てない戦いなのだから、無駄な抵抗は止めて終わりにしよう)

 これが義材の本音であった。

 しかし

「さすが大内六郎殿。一廉ひとかどの侍と見えて、我らと政元との差しの勝負を見届けんと敢えて退かれたのでございましょう。しかし六郎殿のお心は常に我らと共にございます。そのことは間違いござらん」

 政長は的外れな見立てを陳べてなおも強がった。

「いずれにしてもご懸念無用。なんといっても紀伊には一万にも及ぶ我が手勢が無傷で健在。紀伊へは既に早馬を飛ばしており、間もなく精強の根来衆がこれへと押し寄せて参りましょう。小倅こせがれ政元などひとひねりに練り倒して御覧に入れまする」

 政長は気を取り直したように続けたのであった。

 現状、義材陣営は圧倒的不利と言わざるを得なかった。

 色立て(謀叛)は直前まで計画を秘匿したうえで行われるのが定石だったが、政元がとった戦術はその逆であった。富子の意向を前面に押し出して、義材を廃し新たに清晃せいこうを将軍に擁立する旨の謀書を各所にばらまき、戦う前から将軍親衛隊である奉公衆の戦意を削ぐことに成功していた。もし噂を流布させるという前段階を経ず、政元がぎりぎりまで計画を秘匿した上で挙兵していたなら、突如攻め寄せられた奉公衆は、いくら義材から心が離れていようが、取るものも取りあえず防戦に回ったことだろう。そうなれば無駄な血が流されたであろうことは間違いない。

 諸大名も、事前に富子の意向を知っていたからこそ、その意向を体現しようという政元に味方したのである。

 とはいえ政長が言ったように、紀伊には政長の被官があまた健在であった。もしこれが堺の赤松陣を打ち破って後詰に押し寄せたなら、将軍義材を筆頭に二万近い軍勢がそろうわけだから、確かに負けを認めるにはまだ早い。

 それでも意を決したように切り出す義材。「もし、いまの清晃が以前会ったことのある清晃と変わりなければ、余を無下にあしらうことなどよもや致すまい。余と清晃との間にはなんの遺恨もない。そなた等の赦免は余が構えて取り付けるゆえ無益の戈を収め……」

 義材が思い出していたのは清晃の幼い姿だった。寺の和尚あたりから教わったのであろう年始祝賀の挨拶を、たどたどしくも懸命に陳べる清晃に

「よく言えたな、えらいぞ清晃。国家鎮護のため、これからも精進してくれ」

 義材は慈愛を籠めて答礼したものであった。

 確かに清晃は、小川御所こかわごしょに入ったことで義視の不興を買ったことはあった。しかし当時清晃は十歳の子どもに過ぎず、富子に言われるがままそうしたというだけの話であって、将軍になりたいという主体的意志が清晃にあったわけではない。この事件を境にして、義視と富子の関係は確かに悪化したが、それは飽くまでその二人の間の話にすぎず、自分と清晃にはなんの遺恨もなかったはずだ。

 義材はそう信じていた。

 そこへ

「ちょ……お待ち下され大樹」

 差し出がましくも口出ししたのは木阿弥であった。同朋衆の分際で軍議に口出しした木阿弥にぎょっとする一同。木阿弥は構わず続けた。

「大樹はそれでええとして、我らが大樹の御為に投じてきた今までの銭はどないなりまんのや」

「黙りゃ木阿!」

 色を成して叱責する葉室大納言。だが木阿弥はやめなかった。

「我ら父子は今日まで大樹の御為と思って大事な大事な銭を投じて参ったのでっせ? それやのに、政長様の手勢もあるうちから戈を収めろちゅうんは、そらいくらなんでもありゃしまへんのちゃいまっか?」

「お・・・・・・おう、それよ!」

 木阿の迫力に圧倒されながら政長も賛同する。徹底抗戦するため、この際木阿弥の無礼にも目をつぶった形である。

 これから順次陳べてくことになるのだが、義材には、清晃(義遐。のちに義高、次いで義澄)を敵視しきれなかった節がある。清晃に対する行動の端々に、同族意識のような手心がちらほら見え隠れするのである。

 とはいうものの、自分を奉戴する連中の意向を差し置いて退位を口にすれば、義材はそういった連中から殺されてしまっていただろう。これが神輿みこしのつらいところだ。清晃にしても事情は同じで、双方自分の命がかかっていたわけだから、内心はどうあれ対立は不可避だった。権力者にテコ入れすることで栄達を手に入れようとしていたのは木阿弥だけではなかった。良い悪いではない。そういう時代の話だ。

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