第十話 雑談之事(二)

 江戸時代の各藩が、農村から年貢米を徴収していたイメージから、中世から近世にかけて、日本では米が通貨として流通していたと理解されることが多い。そういった側面がなかったとまではいわないが、主流はやはり銭であり、米は銭を補完する疑似通貨にすぎなかった。通貨が不足すると、それを補完する存在として疑似通貨が流通しはじめる実例である。江戸時代までの日本では、現物で補わなければならない程度に通貨が不足していた。

 古い時代の話で他人事だと思ってはいけない。現代日本においても通貨は不足している。各種社会現象が、はっきりとその傾向を示しているのである。

 一昔前までであれば、法定通貨(円)以外で買い物するなど考えも及ばないことだったが、昨今ではポイントでの買い物が当たり前になっている。政府でさえ、マイナポイントという名の疑似通貨を発行したことは記憶に新しい。

 こういったポイント制が広く行われるようになった背景には、通貨不足が影響している。通貨が不足し、買い物に消極的になった客の負担感を減らすため、疑似通貨で決済できるようにしたのである。法定通貨が潤沢に流通している社会であれば、汎用性や信頼性に劣る疑似通貨をわざわざ流通させる意味がない。法定通貨が不足しているから、それを補うためにやむを得ず疑似通貨が流通するのである。

 通貨不足を示すもう一つの指標が、退蔵の問題だ。

 令和四(二〇二二)年度、内部留保(企業の貯金)が五一一兆円、家計の金融資産(家庭の貯金)が二〇〇五兆円と、それぞれ過去最高額に達した。

「なんだ、あるじゃないか」という話ではない。逆である。企業も家庭も、できるだけ通貨を使わずに貯め込んだ結果こうなったのである。

 退蔵は通貨が不足したときに必ずといっていいほど蔓延する社会現象だ。いちど通貨を手離してしまったら、次はいつ入手できるか分からないという不安感が、人々を退蔵に奔らせるのである。

 ポイントの名を借りた疑似通貨が流通し、通貨の退蔵が蔓延しているわけだから、現代の日本社会において、法定通貨は社会の需要を満たすほど供給されていない。

 政元たちが生きた室町後期の日本は、より深刻な通貨不足に悩まされた時代でもあった。往古に遡れば、皇朝十二銭に代表される自前の硬貨を発行しえた律令国家も崩壊して久しく、前節に記したとおり、当時の武家政権には中央政府としての自意識が欠如していた節もある。通貨発行や流通など、幕府に望むべくもなかった。

 先に、ポイントは汎用性、信頼性ともに劣ると記した。ポイントを発行している企業が潰れたらそのポイントも消滅することになるから当然だ。

 室町幕府に限らず、歴代の武家政権はきわめて不安定で脆弱だった。現代の企業と同じで、ある日突然消えてなくなるということが頻繁に起こった。よしんばこれらの政権が自前の通貨を発行したとしても、社会の側がそんなものを受け容れなかっただろう。発行元がいつ消えてなくなるか分からないような通貨が、流通するはずがない。

 一方で、通貨それ自体が流通していたのは紛れもない事実である。当時流通していたのは主に中国銭で、その信頼性は

「東アジア一帯の貿易で使われていた」

 という実績によって裏付けられていた。中国王朝や日本の武家政権などという小集団の興亡とは関係のない、貿易ネットワークを構成する広範な地域の商人達が、決済ツールとして中国銭を利用した実績が、その信頼性を裏付けていたのである。

 だから、いくら日本の武家政権が自前の通貨を発行しても、そんなものが市場で受け容れられる道理がなかった。政情不安定でいつ政権が崩壊してもおかしくないような国の通貨が、自国の人々にさえ忌避される現象は現代でも往々にして見られるが、それと同じだ。

 市場で受け容れられない通貨など、いくら発行してもいたずらに市場を混乱させるだけで意味がなく、そのことは武家政権側でも自覚しており、だからこそ流通性を持ち信頼性に富んだ中国銭をさかんに輸入したのである。

 南北朝合一を成し遂げ強勢を謳われた三代将軍義満でさえ自前の通貨発行など考慮の外で、中国銭を大量に輸入している。

 豊臣政権も同じで、豊臣という家単位で見れば、しこたま財宝を貯め込んでいたらしいが、それとこれとは別問題で、流通性を持った自国通貨は、秀吉ほどの権力者であっても最後まで発行できなかった。天正大判はどうなんだという人もいるだろうが、極端に大きいサイズの貴金属は逆に流通性を毀損する。高額すぎて釣り銭を準備できず、市場では受け取りを拒否されるからである。

 豊臣政権期の日本は、貨幣経済が浸透していたにもかかわらず、かえって銭に裏付けられた貫高制を捨て去り、石高制を採用しなければならないほど銭不足に喘いでいた。銭が不足し、疑似通貨だったはずの米を基軸通貨にしなければならなかったのである。

 また関ヶ原のような一大決戦を勝ち抜いて成立したイメージからか、徳川幕府といえば、強固な軍事政権という思い込みがどうしても先行しがちだが、初期においては通貨発行権さえ碌に行使できず、本格的な流通貨幣を発行するようになった後も、米を疑似通貨として併用しなければならなかった。江戸幕府は二六〇年に及ぶ治世において、社会の需要を満たせるほどの通貨を発行できたためしが一度としてなかったということになる。

 前節から要約すると、現代の暴力団と本質的には同質の存在だった室町幕府は、中央政府としての自意識に乏しく、また脆弱で、通貨不足に適切に対応できるような存在ではそもそもなかった。貨幣経済が広く社会に浸透していた当時において、これは組織制度上の致命的欠陥であり、銭不足によって不可逆的に弱体化した幕府は、やがて歴史的使命を終えて消滅していくこととなるのである。

 細川政元といえば、頻繁に出奔を試みたり、妖しげな修法に凝って妻帯を拒否するなど、幕府弱体化を促進した変人と評されることが多い。幕府最高職であるはずの管領の座にこだわらず、就任しては短期間で辞職するようなことを繰り返したのも、奇行の一環として語られることが多いが、当時の管領は、天皇家や将軍家における冠婚葬祭の儀式一切を引き受けなければならない存在だった。

 銭不足の折も折、その負担感はさぞ大きかったことだろう。政元が管領職を忌避したのは、特異な個人的資質によるものではなく出費抑制策の文脈で考えた方がしっくりくる。

 清晃を掌中に収めることには成功したが、その将軍就任式とその関連儀式の出費を考えると、暗澹たる気持ちを禁じ得ない政元であった。

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