第六話 赤松政則之事
政元が
しかし政長が雑言を放ったように、洞松院尼といえば、政元の姉という以外にも、醜女として知られる人物であった。彼女の出家に顔立ちが関係していたかどうかは定かではない。
長い時間をかけてやっと笑いを噛み殺した政長が、不安げな
「しかしこの政長、大樹のご心痛を無下にあしらうものでもございませぬ。もし御気分の御快復に資するというならさっそく手を打ちましょう。赤松殿には堺に陣替えしていただくというのはいかがでございましょうか」
「それは妙案にございます」
膝を打ちながら言ったのは政長の子、
今回の河内出兵は基家討伐のみならず、細川京兆家に対する恫喝の意味も籠められていた。政元が言った、
「政長が先に裏切った」
というのは一面の真理であったが、政長には政長の理屈があった。
十年前の文明十四年(一四八三)三月、当時存命だった畠山
政長に言わせれば「先に裏切ったのは政元」だったことになる。
政元のために一応弁護しておくなら、このとき彼は十七歳の若輩者に過ぎず、他家との関係に重大な影響をもたらすような決定を単独で下したとは考えづらい。有力内衆との合議は不可欠だっただろう。父勝元に較べて、政元がことさら薄情で利己的だったというよりは、大乱で疲弊していた細川京兆家内衆の世論が、政元に単独講和を迫ったのではあるまいか。政元にしてみれば、政長を裏切ったという認識は希薄だったかもしれない。
ともかくも、陣替えは義材とその周辺で話し合われて決定したことだったから、赤松政則は命令を受けて酷く不機嫌になった。あまつさえその命令書を携えて訪れたのが同朋衆の木阿弥とその子幸子丸だったことは、政則にとっては不快の極みであった。その証拠に、命令書を持つ手がぶるぶる震えるのを抑えることができない政則。
「この期に及んで堺に陣替えなど、まさか大樹は謀叛をお疑いか。誰と結託して陣替えを仰せ出されたかおよその察しは付く。我らは政長の被官ではないぞ」
とでも言いたげだったが、政則はこれに応じている。
赤松陣営が大山崎から堺に南下したことで交渉はやりづらくなったが、上原元秀はそれでも足繁く堺に通って交渉を進めた。
「重ねて問うが、
鋭い目つきで元秀に問う政則。このとき、政元挙兵だけではなく、御台が義材排除を目論んでいるとの噂も頻りに流布されている時節であった。御台が義材を見限ったとする出処不明の怪文書が主に奉公衆や奉行衆の間で出回っており、政長の楽観とは裏腹に、将軍の足許は揺らぎはじめていた。
しかし政則、いやさ彼ひとりにとどまらず、この河内出兵に参陣している諸侯の多くにとって邪魔だったのは、義材の傍にべったりくっついて幕政を壟断する政長尚順父子と葉室光忠だけで、将軍廃立など夢想だにしないことだった。
加えて赤松家といえば、時の将軍足利義教を酒宴にかこつけて誘い出し生害するという大事件を起こした家でも知られていた。いわゆる嘉吉の変(嘉吉元年、一四四一)である。赤松は幕府の討伐軍を受けて一度滅亡した。御家再興は、赤松遺臣が、後南朝勢力に持ち去られ、当時行方不明になっていた神璽(三種の神器のうちの一つ、八尺瓊勾玉とされる)を奪回するという、極めて困難な任務を果たすまで待たねばならなかった。
赤松再興が認められたとき、政則は三歳の
そんな政則が、政元の口車に乗って謀叛の片棒を担がされることを警戒するのは当然だった。
自ら打った刀を被官人に与えることでも知られていた政則。その眦の鋭い様は、彼の打った刀の切っ先もかくやと思われるほどであった。
もとより胆力を買われて他家との交渉を担うことになった上原元秀。疑念と共に向けられた政則の視線から一度も目を逸らせることなく答えた。
「奉公衆、奉行衆の間で流布されているという謀書の出処は我ら与り知らず。主政元からは、君側の奸を討たんがために有志を募れとしか聞いておりませぬ」
政元挙兵の噂と謀書の流布は同時に進展していた。どう考えても両者ワンセットだ。元秀の答えは明白な嘘であった。
とはいうものの、謀書の流布によって義材陣営は明らかに浮き足立っていた。当時は代替わりの都度に所領を安堵してもらうのが慣例だったから、もし本当に将軍廃立という事態になれば、奉公衆や奉行衆は、新しい主人に安堵を願い出るため上洛しなければならないことになる。生活の根拠が揺らいでいたのだから外征どころではない。事態は既に、政則の向背いかんでどうこうできる範囲を超えつつあった。
どうやら義材政権の瓦解は避けがたく、もし政則が現将軍に味方し続けたとしても、それはそれで新将軍への敵対行為と解釈されるだろう。政元に協力しようがしまいが、どのみち赤松の家訓には悖ることになるのだ。ならばこの際、元秀の嘘に乗って将軍廃立については知らなかったことにして、政長一党の排除に協力した方が、政則にとっては利益になる。
「合力の儀、この政則しかと承った」
結局政則はそう答えるしかなかった。
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