第四話 政元秘事談合之事

 政元は主立った内衆を自邸に召し出した。薬師寺元長、安富元家、上原元秀といった面面であった。政元はこれらを前に

「御台直々の御下命により現将軍を廃し、新たに香厳院きょうげんいん清晃せいこう殿を将軍として奉ることに決した。いまこそ当家興亡の正念場である。者ども励め」

 このように言うと、いずれ劣らぬ面魂の重臣どもも、気勢を上げるどころかかえって困惑の色を隠せないでいる。

 細川政元という人は修験道しゅげんどうに凝るあまり、修行と称して執政を投げ出し、出奔を企てること一再ではなく、当時から奇行で知られる人物だった。

「女性と交われば天狗の術を会得できない」

 このような迷信にとらわれて、女犯にょぼんの禁を自らに課したことは最たる奇行で、ひとり政元が奇異の目で見られたに止まらず、細川京兆家全体に暗い影を落とすことになる。後継者問題を引き起こしたのである。

 当時の有力層が子作りに励んだのは、なにも自らの欲望を満たすためではなかった。もちろんそこに重点を置いた人もいただろうが、有力層に属する人々にとって子孫を残すことは、むしろ社会的義務とされる時代であった。

 この時代の守護は、現代に喩えるならば大企業の社長みたいなものだ。多くの従業員を抱えてこれを養わなければならないのだから、会社を持続させねばならない。経営者にとって後継者育成が重要なミッションとされるのは、そこに組織存続、延いては従業員の生活がかかっているためだ。

 現代の大企業であれば、経営陣や株主の総意で社長が決められる。中世日本においても家臣団の総意が当主擁立の根拠とされた点に違いはなかったが、当時は総意形成の条件として血統が重視された。政元の妻帯拒否は、いまでいえば大企業の社長が後継者育成を怠っているようものだ。自社の存続がかかっていたのだから、重臣層は気が気ではなかったに違いない。

 普段しかつめらしく止まっている重臣どもが、そんな自分の言動ひとつで右往左往する様子がおかしくてたまらない。

 肩をびくつかせるほどの動揺を悟られまいと、ことさら平静を装う者。

 横目をつかって朋輩の反応をちらちら覗う者。

 何事か言いたげに口許やまぶたを震わせる者。

 召し出した三者各人が、政元の奇矯ともいえる言動に接し、思いおもいの反応を示していた。

 とはいえ人の困惑を眺めて愉しむのが今回の本旨ではない。思いつきで将軍廃立を口にしたのでもない。なんといってもそれは、御台日野富子から下った正式な命令なのである。

「これぞ開運の瑞兆。めでたき限りにございます」

 困惑を隠しながら進み出て祝意を陳べたのは内衆筆頭格の安富元家であった。元家が賛意を示したことで、他の二人も意を決したように

「おめでとうございます」

 口々に祝意を言上する。

 しかしこれらが本心から出た言葉でないことは明らかだった。御台の命令とはいえ、下手をすれば謀叛人として討伐対象にされかねなかったから当然だ。困惑から立ち直れない様子の重臣を前に、政元は矢継ぎ早に命令を下していった。

「安富、上原の両名は河内討伐軍への参陣名目で兵を集めよ。薬師寺は摂津に下国して国内を固めるべし」

 将軍廃立には困惑を隠せない薬師寺元長だったが、それでもいざ摂津下国を命じられるや

「お待ち下され。当家興亡の一戦に際し下国を命じられるなど弓矢の家に生まれた者として恥ずべき瑕瑾かきん。御存念、那辺にありや」

 咬みつかんばかりの勢いで身を乗り出す。それを制したのは安富元家だった。

「待たれよ薬師寺殿。いかさま、屋形仰せのとおりこの一戦は当家興亡の基に違いない。だからこそ摂津の守りを疎かにできぬと屋形は仰せなのである。そこもとは屋台骨を任されたのだ。瑕瑾などということがあるか」

 今回の河内出兵において討伐対象とされたのは畠山基家だが、同時にこの戦役は細川京兆家に対する威嚇行為でもあった。間近で発生した紛争が隣国に緊張をもたらす事情は今も昔も変わらない。政元が、基幹領国摂津の目と鼻の先で起こっている紛争に危機感を抱くのは当然のことで、富子も伊勢貞宗も、そういった政元の心情を知り尽くしていたからこそ、将軍廃立の実行を政元に委ねたのである。これが摂津とは反対方向の近江六角討伐だったなら、いくら御台の命令とはいえ政元が謀叛に同意することはなかっただろう。

 薬師寺元長に任されたのは、危機に瀕している領国摂津の防衛であった。

「元家の申すとおりであるぞ元長。一身の名誉をなげうって当家に尽くしてくれ」

 そうまで言われてしまえば薬師寺元長は二の句を継ぐことは出来なかった。政元は顔をしかめながら続けた。

「それにしても憎っくきは畠山政長よ。そもそも我が父の助けがなければ、先の大乱で政長が義就に殺されていただろうことは疑いがない。にもかかわらず大樹を籠絡し、我が喉元に刃を突き付けるがごとき行いは言語道断。わしが政長を裏切ったのではない。政長が先にわしを裏切ったのだ」

 討伐対象は飽くまで畠山政長であって、将軍ではない――。このひと言は、将軍廃立と聞いて動揺する重臣を落ち着かせるのに役立った。政元は更に続けた。

「元秀には更に、赤松、朝倉そして畠山基家との交渉を命じる。それぞれに此度の企てを通知し、合力を呼びかけるのだ」

 播磨、備前、美作三カ国守護の赤松政則は幕府における有力大名のひとつだ。嘉吉の乱で一度滅亡した赤松再興に、細川勝元は深く関わってもいた。父の代から続く友誼を頼みにしようというのである。越前朝倉貞景は、次の討伐対象として既に名指しされており、政元と利害が一致する。また政長の天敵、畠山基家との連携は今回の挙兵に欠かせない要素だった。

 政元を核とした反政長陣営を構築せよというのである。

「しかし屋形、あまり派手に動けば大樹に色立て(謀叛)を察知されますぜ」

 元秀の危惧はもっともだった。関係者を募ればそのぶん企てが漏れる危険性も増す。謀叛に際して関係者を絞るのは鉄則だったが、政元は情報が義材よしき陣営に漏れ伝わることをむしろ好都合と考えていた。

「よいのだ。我らはこれから新たに将軍を推戴するが、決して現将軍を殺すことが目的なのではない。むしろ大樹が劣勢を悟り、自ずから矛をくというならそれに越したことはない。出来るだけ派手に動いて、我らに味方する者が多くあることを知らしめよ。知られることはかえって好都合である」

「承知仕った」

 内衆三名はそれぞれの任を果たすべく出立したのであった。

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