ひとひらの乱れ
翌日。
気づけば、また神社へ向かっていた。
理由なんて、ない。
昨日もそうだった。
ただ、あの桜の木と、彼の姿が、妙に頭から離れなかった。
——どうしてだろう、別に話したいわけじゃないのに。
境内に入ると、木々の間を抜ける風の音がやけに大きく聞こえた。
針葉樹の香りが鼻をくすぐり、空気は冷たく澄んでいる。
その中で、私はふと立ち止まる。
——あ、いる。
桜の根元。昨日と同じ場所に、青年がいた。
まるで昨日の光景がそのまま残っていたみたいに。
「……またいるんだ。」
小さく呟いた声は、誰にも届かない。
すると、彼が振り向いた。
「また来たのか。」
昨日と同じ声。
けれど、その響きは昨日よりも少し柔らかかった。
「……あなたこそ、ずっとここにいるんですか。」
「いるさ、俺の場所だからな。」
“俺の場所”——その言葉が、妙に胸に残った。
ここは私にとって避難所みたいな場所だった。
だけど、彼にとってもそうなのだろうか。
「昨日、名前を呼んでたよね。
どうして私の名前を知ってるの?」
彼は桜を見上げたまま答える。
「お前の魂は、ここに刻まれている。
忘れても、桜は覚えているから。」
意味がわからない。
彼の言い回しはいつも厨二病チックで……。
「……なんで私、こんなこと考えて。」
「どうした?」
「……いや、なんでも」
普通の人なら彼の容姿もあってその問いには萎縮してしまうだろう。
けど、なぜか怖くなかった。
その言葉の“響き”だけが、やけに優しくて。
「……生きる意味、か。」
思わず呟くと、彼がこちらを見た。
「考えてたのか。」
「うん、少しだけ。
けどやっぱりわからない。」
「わからなくていい。
花が咲くのに理由はいらない。
咲くように、お前も生きればいい。」
「そんな簡単に言われても……」
思わず、笑ってしまった。
笑うなんて、どれくらいぶりだろう。
彼は不思議そうに私を見て、そして言った。
「なら、簡単に考えればいい。
お前の考えは、いつも難しすぎる。」
——いつも?
どうしてそんなことを知っているの?
訊き返そうとしたけれど、言葉が出なかった。
彼の瞳に映る自分の顔が、なんだか穏やかで。
それを壊したくなかった。
気づけば、また彼の隣に座っていた。
沈黙が続く。
それでも、不思議と居心地が悪くなかった。
風が頬を撫でて、花びらが一枚、私の肩に落ちた。
掬い上げると、指先でふっと溶ける。
まるで幻みたいに。
「……また、来ようかな。」
自分の声に、自分がいちばん驚いた。
けれど、彼は何も言わず、ただ空を見上げたままだった。
それがなぜか、少しだけ嬉しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます