山岳百景
――人生とは何か? それはこのような小説、身近な生活でも時々尋ねられ、人々を悩ませる質問である。それに対し、ある偉人はこう答えた。
「人生とは、選択の連続である」
また、ある偉人はこう答えた。
「人生にはただ一つの意味しかない。それは生きるという行為そのものである」
そして、ある偉人はこう答えた。
「人生とは、それまで積み重ねてきた経験である」
それならば私は、こう答えよう。
「人生とは、登山のようなものである」――
――ある日、私は山に登った。
そのきっかけは、とてもありふれた日常だった。
「なあ、大学のテストも終わったし、今度の休み山登りいかね?」
私たちの受けた最後の試験の後、徹夜の試験勉強の甲斐あって今回も何とか単位を取れただろうと安堵しながら食堂で雑談をしていると、Kは唐突にそう言いだした。
Kは私の大学のサークル仲間であり、友人の中でも唯一、中学から学校が一緒である。
幼馴染…と言うには少し付き合いが短いかもしれないが、それでも長い付き合いであることに変わりはない。
「え、普通に嫌だけど」
「何の迷いなく断られた!?」
それ故Kは、私は運動が苦手で中高ともに漫画部だったため、そのようなスポーツ系の趣味とは全くの無縁だということを知っていたはずなのだ。
だからこうなることは半分分かっていたはずだろうに。
「えー、別にいいだろ減るもんじゃないんだしさー。
それにたまには外出て運動した方がいいだろ?
ただでさえお前運動不足気味なんだからよー。」
だがKは私の返答に対しつまらないといった感じでさらに説得する。
というか、今まではボウリングに行くとかはあれど、山登りのようなスポーツ系の誘いはしなかったのに急にどうしたというのか。
最近になってスポーツ系の趣味を持ったのだろうか。
それならばそれに付き合わされようとしている私はとんだ迷惑である。
……とはいえ、Kのいう運動不足というのが、最近になって私が少し気にし始めていたことであるのも事実であった。
中学高校の頃は週に二時間の体育の授業があるからまあ大丈夫だろうと思っていたが、大学になって体育の授業がなくなった上に学校も近くなったため、私の運動不足は加速していた。
「……しょうがないな、今回だけだぞ」
「おっしゃ! やっぱそう来なくっちゃなー」
そのため、正直疲れるから行きたくないという本心はあったが、渋々一緒に行くことにした。
その後当日。晴れやかな青空の下、私たちは山の麓に立って山頂を見上げ、ちょうど今から山登りを始めるところであった。
春ということもあって、山の麓の時点から周りには桜が咲き誇り、気持ちのいいそよ風が私の頬の横を通り抜ける。
それはまるで私たちを歓迎しているようであり、桜の種類などの自然の知識に疎い私でも心を奪われるような、そんな光景であった。
周りには観光客も多く、そんな山の光景に立ち止まっていた私の横を通り過ぎていく。
「おーい、行かないのかー?」
「ん、ああ、今行く!」
Kの声でふと我に返った私は既に少しばかり先に進んでいたKの後を追って少し慌てて小走りで斜面を駆ける。
私の格好は靴は運動靴に、軽めの登山リュック、服は私服の中でも運動しやすいようなものを選んだ…というだけである。
登山というからにはもっと大層な準備がいるのかと思っていたが、Kが選んだ山はここのあたりでも有名で観光客も多いお手軽な山であった。
Kは運動部であるためもっと難しい山も選べただろうに、初心者の私に配慮してくれたのだろう。
そんなKの配慮に感謝しつつ、私は観光を楽しみながらKの案内通りに進んでいった。
そんな私たちの山登りは、途中Kによる観光名所の紹介を挟みながら、とても順調に進んでいった。
上りの道中は約二、三時間と、普段運動をしていない身としては少々苦しい運動ではあった。
それでも、Kの、バスツアーのガイドによる観光案内ような、流暢で、かつその魅力や背景を分かりやすく伝える説明は普段アウトドアにあまり興味のない私にも、これは面白い、と思わせるもので、これだけでも、来てよかったかもな、と感じつつあった。
そんなことで、私は道中飽きることなくそのまま山頂へと到達した。
山頂に到達してまず目に入ったのは、いかにも、「ここから景色をお楽しみください」というような観光スポットで、設置型の望遠鏡に、その周りにはいくつかのベンチが取り付けられており、安全に配慮した柵がその周りを囲っていた。
そこには観光客もちらほらと見え、山頂からの景色を堪能しているようだった。
私は、さて山頂から見下ろした景色とはいったいどのくらいのものだろうか、とひとまず山を登りきれたというじんわりとした達成感を胸に、春を感じさせる暖かな風を受けながら柵の方へと近づき、そこから見た景色に、また心を打たれた。
山頂からは、箸でつまめそうなほどに小さくなって不規則に並んだ建物がまず最初に見え、その後少し視線を上げると、少し遠くに、青い空の下で堂々と、だが上から見ると少しこじんまりとしたような他の山が見える。
視線を少し右にずらすと、そこには太陽の光を反射して生き生きと自己の存在を主張するように光輝く海が見え、視線を少し左にずらすと、私たちの乗ってきた電車のそのちっぽけさが、駅と山頂との距離をものがたり、今までのたった二、三時間程度の苦労をとても大変な道のりであったかのように思い出させる。
山頂から見える景色は、なんてことない、写真や画像でも見たことがあるような景色であったはずだ。
それにも関わらず、実際に見たその景色はそれとはまったく違ったもののように思えた。
それは、もしかすると若さゆえの過度な感受性によるもの、もしかすると普段経験しないことへの目新しさによるものだったのかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
私は、しばらくの間そこに立ち尽くしていた。
しばらくして、景色を満喫し終わったのだろうKが私を呼びに来たが、「もう少しだけ」とわがままを言ってその景色を脳に焼き付けた。
その後、山を満喫し終えた私たちは、帰りはロープウェーに乗り、最後まで山からの景色を、山の景色を、楽しんだ。
帰りのロープウェーで、Kは
「案外楽しかったろ?」
と、誇らしげに、楽しそうに、私にそう言った。
私が、本心そのままに
「ああ、思った数倍は楽しめたよ」
と感謝を込めながら言うと、Kは満足そうに
「なら良かった。事前準備で色々調べまくった甲斐があったってもんよ」
と、嬉しそうにまたそういった。
その後ろからはもう傾きかけている夕日が私たちを照らし、それに照らされる桜もまた、綺麗であった。
――これが、私が登山にはまったきっかけだった。
この時は、半ば無理やりKに連れられて始めた山登りだった。
だが、山登り前はわざわざ運動しに行くような面倒なことはしたくないと思っていた私も、この日が終わるときには、そんな気持ちはどこに行ったか、また行きたいなあ、という気持ちでいっぱいだった。
それ以降、私たちは長期休みが取れると決まって山登りに行くようになった。
Kは私がそう言うと少し意外そうにしていたが、山登りをすると決めると、また色々な情報をネットで調べたりして流暢なガイド役を務めてくれた。
実は山登りの前に、何度も色々と任せてしまうのも悪いから、とお互いに調べてこようという旨の提案をしたのだが「いーから俺に任せとけって」と言われてしまった。
反論しようかとも思ったが、人の好意はありがたく受け取っておこうというのと、何より、初めての山登りの時にガイド役を務めていたKがとても楽しそうにしていたので、その反論は胸の内にしまっておくことにした。
ただ、流石に情報無しで行くのもどうかと思い、それ以降最低限の情報は調べてお互い共有してから行くことにした。
それから、私は大学を卒業するまで時には一人で、時には山登りが好きだというサークル仲間を連れて、時には二人で、色々な山へと登った。
最初は初心者でも登れるような山を選んでいたが、段々とそれでは物足りなくなってきて、いつしか二〇〇〇メートル越えの山にも挑戦するようになった。
自分でもなぜここまで山に魅入られたのか分からない。
ただ、、麓から見て遥か天空に存在する山頂、道中の自然豊かな景色、そしてそうして辿り着いた山頂から見る世界、その全てが美しく、私は登山に惹かれていった。
山を登ること、それは世界の生み出した自然の産物をこの肌で感じることであり、それは一つの物語を読んでいるようであった。その山の歴史を知り、その山の構造を知り、その山をこの足で登り切ったとき、その物語はエンディングを迎え、本を読み終わった何とも言えない気持ちとともに、また新たな物語へと手を伸ばす。
もちろん、登山がすべてうまくいくわけではない。
いつしか私たちが二人で山に登った時は、私が高山病を発症して登山は中止になってしまった。
もちろん、お互いに高山病の対処の仕方は知っていたのだが、その時は少し高度を下げて体を慣らそうとしても体は悲鳴を上げるばかりで、一向に改善する余地が見えなかった。
本当はまだ頑張れば登れそうだったため登りたかったのだが、Kから、高山病が治らないなら先に行くのは駄目だ、と言われたので、その後私たちは泣く泣く下山し、半年後にリベンジを果たした。
そのようなハプニングはあれど、だが私は登山を好きになった。
むしろ、このように一筋縄ではいかない山を、ルートを考えて登りきるのは、何か難しいゲームを攻略しようとしているようで、これもまた楽しかった。
しかし、そのような大学での生活も長くは続かない。
私たちは大学での研究を終え、いつしかもう卒業する時期であった。
私たちは二人とも、大企業とはいかないまでもまあそこそこの企業に就職することができ、だが、それ以降二人で登山をする機会は減っていった。
大学の頃は長期休みの際に二人でしていた登山も、卒業してしばらくすると段々と機会は減っていき、二人でする登山は二年に一度あるかないかくらいになってしまった。
だが、私個人では半年に一度は登山をするほど登山に対する熱意は薄れておらず、無理にKを誘うことはしなかったが、登山が終わり次第、カメラで撮った写真をKに見せるのがいつからか習慣となった。
そんな日が続いていたいつか、また久しぶりにKと登山をする機会があった。
Kとの登山は二年ぶり、いや、下手すれば三年ぶりだったかもしれない。
Kとはかなり頻繁に、とはいかないまでもそこそこ連絡を取り合ったりしていたので、よくある、「おー久しぶりだな、元気してた?」というやり取りはなかった。
だが、久しぶりのKとの登山ということで私は少し心を躍らせながら、集合地点へと足を運んだ。
そう、静岡県と山梨県の境に存在する、標高三七七六メートルの青く堂々とそびえたつ日本の最高峰―富士山の、その頂を目指して。
「おお、いたいた。こうして会うのは久しぶりかー?」
「そうだな。まあ、色々話したいこともあるけど、とりあえず宿の方に向かいながら話そうか。」
私たちは、富士山の近くの駅である富士山駅で集合するということになっていた。
……富士山駅というそのまんまなネーミングの駅名はここでは一度触れないようにしておくけれど。
そして、私たちは今、富士山五合目までのバスを待ちつつ、久しぶりの面と向かっての再開を喜びながら、お互いに近況を話し合っていた。
「最近仕事の方はどうよ? 順調そうか?」
「んー、まあぼちぼちって感じかな。でもまあ会社でも特に問題なくやらせてもらってるし、順調な方なのかな。
Kの方はどうよ?」
「こっちも同じ感じよ。まあ、久しぶりに会っても元気そうで何よりだな」
「ほんとにそうだな。そっちは、もう最近はほとんど登山はしてないのか?」
「そうだなー。ちょっと色々忙しかったりしてなかなか登山は出来てないなー。
まあ、今日登山できるしいいんだけどよ!」
「ん、今日明日は結構大変な登山になるかもしれないから、途中でへとへとになるなよ?」
「任せとけって話よ。てか前はお前がへとへとになる側だったのに、随分と登山も慣れたもんだなー。」
そんな話を永遠に続けていると、バスは予定時刻丁度に私たちのもとへと到着した。
同じように富士山を目指しているであろう人たちが、何人もそのバスに乗り込む。
この観光客の多さはやはり流石の富士山である。
そんな大勢の客を乗せ、バスは発車する。このバスももう恐らく富士山と駅の間を何往復もしているのだろう。
運転手も大変である。
そんな運転手に感謝しつつ、バスの乗車中も同じように続く話に、窓の外から見える富士山は段々と目の前へと近づいていき、その概貌に期待が膨らむ。
「お、そろそろ富士山に入ったか?」
「ん、ほんとだ。五合目までは三〇分位かな」
「いやーそれにしても自然が豊かだな。最近山に登ってなかったからなおさらそう感じるぜ」
「どうしても都会の方にいるとなかなか自然に触れる機会も少ないからな。
山じゃなくとも、たまには綺麗な空気吸いに行くとすっきりするぞ」
「そうだなー。あ、そうそう、去年の冬、俺白川郷いったんだよ。あの、岐阜の方のやつな?」
「おー。あそこも結構綺麗な感じらしいな。 で、どんな感じだったよ」
「まー綺麗だったよ。それこそあれだ、辺り一面銀世界ってやつ?
俺がついた時にはちょうど雪も止んでたから、思う存分楽しめたよ」
と、そうしてまたしばらく思い出話に浸って談笑していると、どうやらもう富士山の五合目についたらしく、私たちは先に立ち上がっていた他の客の最後に並んでバスを降りた。
富士山の五合目から見える景趣も既に十分素晴らしく、淡青色の空に浮かぶ薄く途切れながら広がる真っ白な雲、富士山を取り巻くように小さに見える山の数々。
そしてまだ五合目だというのに既に見えなくなった街並みの上に広く浮かぶ、まるでそこが地面であるというかのような広大な雲。
そんな光景に私は、あの最初にKと山を登った時のようなこれからの登山に対する期待と高揚を胸中に感じた。
「おー、ここからでももう十分綺麗だなー」
どうやらKも同じことを思ったようで、バスを降りて富士から見える景色を楽しんでいた私にそう言った。
「これからもっといい景色が望めると思うとわくわくするな」
「そうだなー。まあ、とりあえずはこの五合目も楽しまないとな」
「ここも結構色々あるもんな。さて、まずはどこから行く?」
「んー、とりあえず腹減ったし飯食わない? グルメもいっぱいあることだし」
「確かに。じゃあそうするか。
ここから八合目までいかないと行けないから、あまりゆっくりしすぎないようにしないとな」
私たちの登山では、今日で八合目まで登り、その後山小屋へ泊る。
そして翌日の朝から登り始めて山頂に着くときに綺麗な朝日を見ようという計画だ。
本当はご来光を拝もうかとも思ったのだが、そうすると一日で山頂まで登る所謂『弾丸登山』というものになってしまって夜暗い中を登ることになってしまうのでやめておいた。
そのため、妥協案でせめて朝日位は見ようと私が提案したのだ。
ということで、私たちは高度順応がてらグルメだったり神社だったりとそれだけでも十分楽しめる五合目をある程度満喫してから、服装を登山仕様にして、八合目へと向かう道を歩き始めた。
私たちが登るルートは吉田ルート、まあ初心者用ルートである。
富士山に関しては実はお互いに一度も登ったことが無かったため、初めての山だし初心者用のルートにしておこう、ということで意見が一致した。
そんな初心者用ルートであり多くの人が通ることになるであろう道も、大体の人が五合目で一泊してから登り始めるのか、それともただ五合目を楽しみにしてきている人が多いのか、案外人は少なめだった。
時刻はまだ十四時、私たちは眩しい太陽に照らされながら、木々が茂り自然豊かなその山を、じゃりじゃりと、とんとんと、軽快な足踏みで登り進む。
しかし急ぎ過ぎはせず、私たちのペースで、後半疲れが残らないようにいつもより速度を落として、その分景観を楽しみながら進む。
バス車内ではしゃべり続けていた私たちも、登山になると途端、景色を楽しもうと口数が少なくなる。
六合目通過時点で時刻は約十五時、安定したペースで、休憩も挟みつつ予定の時間通りに山を登り進める。
ふと振り返ると、五合目時点では連なって見えた山も段々と雲に隠され、見えなくなってきている。
そんな中ずっと私たちを照らす太陽にどこか安心感を覚えながら、木もまばらになってきた登山道を進む。
六合目を過ぎて七合目に近づくと、森林限界である二五〇〇メートル地点を過ぎ、まばらにあった木は段々とその姿を消す。
遠くには八ヶ岳と奥秩父の山がうっすらとその姿を見せている。
そうして、私たちは岩場が続く登山道をさらに進む。
だが慣れたもので、二人とも特に躓くこともなくペースも崩さずただひたすらに登る。
たまにKと体調を気遣いあったり美しい景色に話をして休憩することはあれど、基本的にはゆっくりと、静かに、ただ山頂を目指して進む。
都会ではなかなか感じられないその解放感と心地よい静けさに酔いながら、大きな岩場を避けて小さい段差を選ぶようにして進む。
七合目には約十六時に到着し、目的の八合目の山小屋までは残り約一時間半。
終わりの見えてきた今日の登山に、予定通りに進みそうで良かったという軽い安堵を浮かべる。
高山病の可能性の見えてくる標高に、先ほどより頻繁に、二十分おきくらいにお互いに体調を確認しながら、登りづらい岩場を進む。
七合目から一時間、後少しで到着するという現状に早歩きで進んでしまいそうになるのを抑えつつ、少し疲れ気味な様子のKに合わせながらゆっくりと山を登る。
Kに体調を尋ねると、高山病の症状ではなく、ただ単に久々の登山による疲れみたいでひとまず安心する。
いつしか太陽は傾き始め、少し橙色を帯びてきた太陽の光に照らされながら、山小屋を目指す。
そうして三十分ほどして、私たちはついにその山小屋を視界にとらえた。
山小屋といっても結構立派なもので、富士山頂を後ろにどこか昔っぽいようなその山小屋は、趣深く感じられる。
私たちは終わりが目の前に見えたことで少し早歩きになり、そのまま予約していた山小屋に入り、私たちの部屋に入るや否や二人そろって腰を下ろした。
部屋の中は大分簡素で、並ぶ畳に枕、布団が敷かれただけであった。
後は背伸びすれば外が見えるかくらいの位置に窓があり、そこから入ってくる夕日が部屋を照らしている。
「ふい~疲れた疲れた」
「お疲れさん。もう大分高い所まで来たな」
「そうだなー。この辺りならもう三千メートル位か?」
「多分そんなもんじゃないかな。
Kは大分久しぶりの登山だろうけど大丈夫か? 体調とか、体力とか」
「ああ、その辺は大丈夫。
大学の時は結構登ってたんだから任せとけって。
それよりそっちは大丈夫なのか? 昔は少しの登山でひいひい言ってただろうに」
「そんなん昔の話だっての。
まあ、お互いに大丈夫そうだからこの感じなら明日も進めそうだな」
「ああ、せっかくの久しぶりの登山なんだ。
こんなとこで帰ってたまるかよ。
んじゃ、ちょっと俺お手洗い行ってくるわ」
「ん、了解。」
まあ、確かにKの言う通り、久しぶりの登山が山頂行けずに終わりました、じゃちょっと悲しいからお互いに大丈夫そうでよかった、と私は内心安堵した。
そして私も部屋を出て、私とKの分の飲み物を自販機で買って部屋へと戻る。
戻るとKももう部屋に戻ってきていたみたいで、Kへと飲み物を渡し、また最近のことだったり登山のことだったりととりとめのない話を続ける。
そんな話をしているうちに午後の六時。
私たちは外の真っ赤な夕焼け空を見に行ったあと夕食を済ませ、明日の早い出発へと就寝の準備をする。
普段だったらまだ就寝には早すぎる午後八時も、明日の出発時刻を考えると妥当なところだろう。
就寝の準備を一通り済ませ、寝る前に外の夜空を見にいこうと、寒さにダウンジャケットを深く着直しながら二人で外へ出る。
外へでて、思わず「おおっ」と感嘆の声を上げる。
私たちを出迎えたのは、見渡す限り満天の星空。
都会に住んでいては絶対に見られないだろうその圧巻の光景に目を奪われ、その場に立ち尽くす。
雲一つない夜空に、明るく、青く、白く、赤く光るその星々は、闇夜の中にばらばらに散りばめられていて、そのそれぞれが他の星に負けないようにその存在を主張する。
だがそんな中でも特に目を引くのは、そんな不規則な星々の中、一直線に広大な空を横断する青白い星々の列、天の川である。
いつか織姫と彦星の渡ったその川は、東の山から、西の山へと端から端までその広大な空を二つに分ける。
視線を少し下げると、そんな星々を囲って見上げるように立つ山々と、遠くのまだ光を灯している街が小さく見える。
その街の中からならただの日常の風景にしか過ぎないその家々の光も、富士山から見るとまた美しく見える。
「これは……めちゃくちゃ綺麗だな」
「まさかこんなに綺麗だとはな」
目の前に広がる広大な星空にそうこぼす私たち。
ふと、その光景に見惚れて瞬間忘れていた寒さを思い出す。
夏だというのにまるで別世界のように寒い標高三千メートルは、冷たく澄んだ空気に覆われている。
周りを見ると、ちらほらとこの夜空を楽しんでいる人たちが見える。
だが、流石に寒いようでちらと山小屋から姿を出して空を見上げては、大体の人がすぐに山小屋へと戻る。
私たちもそれにもれず、しばらく眺めた後に、流石にずっといるには寒い外から山小屋へと戻った。
山小屋へ戻ったといっても、暖房のない山小屋は、さらに厚着をして布団を被らなければ外と同じくらい寒い。
そんな寒さの中私たちは、さらに防寒具を着て布団を被り、少しは暖かくなった体に明日への楽しみと期待を胸に抱きながら眠りへ落ちた。
ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ。
外の大自然に合わないそんな無機質な音を立てる目覚まし時計に、まだ眠気を残しながらも家で起きる時と同じようにスヌーズボタンを押す。
だが、いつものようにそのまま布団を被り直すことはなく、澄んだ空気を感じながらゆっくりと体を起こす。
まだ起きていない様子のKを横に、眠気で自然と閉じそうになる目をこすりながら大きく伸びをする。
登山の朝は早い。
隣にある目覚まし時計は朝四時を示し、暁闇(ぎょうあん)の朝影が窓の外から弱弱しく降り注ぐ。
外の様子を見に行くと、ほんの少し明るく、今まさに雲から姿を現そうとしている太陽が富士を照らし始めている。
出発への待望とまだかすかに残る眠気にしばらく外の光景を見ていると、後からKも起きたようだ。
私の横に来て、眠そうに外の景色を見ている。
「ん、快晴……」
「天気予報も外れなくて良かったな。さて、そろそろ行く準備をするか」
と、今から出発しようとしている私たちと同じくらいの年齢のチームを横目に、登山道具をまとめるために私は部屋へと戻る。
それを終え、後から部屋へと戻ってきたKも支度を終えてから、置き忘れたものが無いことを確認したうえで部屋を出て山小屋を背にする。
すると、先ほどまでその姿を現していなかった太陽は遠くの雲の中から小さく顔を出し始めており、赤(せき)橙色(とうしょく)の太陽から放たれる眩(まばゆ)い光が私の視界を覆う。
反射的に目を閉じ手で目を軽く覆うようにしてしまったが、眩しい光の中目を細めてもう一度陽光の指すその先を見る。
雲海から顔を出し始めた太陽に朝焼けに染まる空は、普段生活している世界とはまるでかけ離れて神秘的な世界を写しだしている。
そんな光景にまた足を止め、しばらくその朝空を楽しんだ後に、ようやく私たちは二日目の登山を始めた。
八合目からは七合目までの登りづらい岩場はなくなり、そこから先は砂礫の道だった。
山頂を見上げると、それは麓から見た時に比べればはるかに近く、しかしこれからの道を見るとまだまだ遠く。
私たちはまたペース管理、体調管理に十分気を付けながら、山頂へ向けて小さな一歩を積み重ねていった。
八合目からは下山道への分岐や須走ルートへの分岐もあり、山頂から降りてきたであろう人たちが、その分岐となる道標で話をしているのが見える。
山道から横を見れば、もう他の山は雲で隠され、その山頂部分だけが少しだけ姿を見せている。
太陽ももう完全に姿を現し、気持ちのいい朝日が山へと登る私たちを後押しする。
山小屋出発から一時間。
赤い砂礫、段差のある岩場、ひたすら長い階段とが繰り返される登山道を登り、ついに標高は三四〇〇メートルを超えた。
ここまでくると横に下山道も見え始め、下山もまた大変そうだと思いつつ、着実に山頂まで近づいていることを実感する。
そこから更に一時間。
九合目に入ったことを知らせる鳥居をくぐり、山頂までは残り二百メートルくらいだろうか、とようやく登頂が見え始めたことに気分が上がる。
Kはやはり久しぶりの長い登山に疲れているようで、休憩を繰り返しながら進む。
体調には問題なくただ単に体力の問題らしいが、それでも下山のことを考えると若干心配になる。
ただ、周りにも長い休憩を挟みながらゆっくり進んでいる人はいるし、まあこんなものかと私たちはのんびりと登山を続けた。
九合目からの登山道は勾配も今までよりきつくなり、また七合目のような岩場が続く。
そんな岩場を三十分くらい歩くと、ようやく山頂―すなわちゴールを示す鳥居を視界に捉えた。
だがけしてペースは崩さないように、最後の岩場をゆっくりと進む。
そして、ゴールテープを切るようにして久須志神社の鳥居をくぐり、私たちはようやく、富士山、その標高三七七六メートルの、日本の頂上へと辿り着いた。
六時半の太陽はもう出発の時のように朝焼けの空を写しだしてはいなかったが、上を見上げるとその空は雲一つなく薄い水色を浮かべており、端の方はまだその黄色がかった空をほんのりと残している。
周りを見ると、雲の切れ目の間から、遠くに連なる山々といかにも田舎らしい自然の風景が見える。
またその高さはこれまで歩んできた道のりを思い出させ、同時に、今私たちは日本の一番高い所に立っているということを実感させる。
山頂の風はやはり冷たく、だがこの富士山を登り切ったという達成感と、この目の前に広がる景色への感動がその冷たさを忘れさせる。
周りにはちらほらと景色を楽しんでいる人たちも見え、ベンチに座り一服する人、景色を楽しみながらお鉢巡りを始めようとする人、疲れに足を震わせながらも達成感に空を仰ぐ人など、大勢の登山者がこの富士山頂を満喫していた。
私たちはしばらくの間、ベンチに腰を掛け、Kと話しながらこの広大な自然を楽しみ、それと同時に疲れた足の疲労を回復させた。
「いやー登り切れてよかったなー。ここから見る眺めは最高だぜ」
「お互いに初めて登る山だからちょっと不安だったけど、まあ良かった良かった」
「この後は、お鉢巡りか?」
Kが私に聞く。 もともとの予定では、この後はお鉢巡り、即ち、富士山頂の噴火口のまわりをぐるっと一周巡る予定だった。
……だったのだが。
「……いや、やめておこう」
「え? なんでだ?」
そうだな、とそんな言葉が返ってくる前提だったのだろう、景色を楽しみながら私にそう問いかけたKに、だが私はそう答えた。
予想していなかっただろう答えにKはさっと私の方へと顔を向けて、少し驚いた、不思議そうな表情を見せる。
そんなKに対し、私は少し申し訳ないなと思いながらも言葉を返す。
「…本当はお鉢巡りをしようと思ったんだけどな。
…K、お前ちょっと無理してるだろ」
Kも久しぶりの登山でやはり体が少しついてきていなかったのだろう。
前と比べても明らかに頻繁に挟む休憩に、時折見せる少し苦しそうな顔。
周りの登山者と比べても見てわかるように重そうな足取りを、だが私に気を使ってできるだけ悟らせないように歩いていたのだろう。
私が基本先頭で歩いていたこともあって、Kのそんな無理に気づいたのは、九合目の半分を超えた辺りだった。
Kもそんなところで登山を中断したくはないだろうし、何より山頂も近かったから黙っていたが、しかし、やはりこれから長い下山も控えている登山で、無理は禁物なのだ。
「っ…、そ、そんなことは…ないぜ」
私の言葉に対しKは、図星だというように不安や申し訳なさを含んだような表情を浮かばせる顔を俯かせながら、そう弱弱しく反論する。
だが、ここでそんなKの無理を通させる訳にはいかないのだ。
「……悪いとは思うが、お前に無理させ続けるわけにもいかないんだ。
すまんが、今回はこのまま下山しよう。
なに、とは言っても山頂まで登れたんだ。
それに、また来ればいいだけの話だろ?
俺が前に高山病にかかったときもそうしたしな」
私が前に高山病にかかった際、まだ登れると無理を主張した私のストッパーになってくれたKに、今度は私の番。
別に今巡れなくたって、また来ればいいだけの話。
それに、山頂まで登れているんだ。久しぶりにしては、十分すぎる結果だろう。
「……すまんな。俺のせいで」
「んな気にすんなって。前に俺も迷惑かけまくったんだ。
お互い様っしょ」
「……ん、分かった。
んじゃ、これで貸し借り無しってこったな」
私に指摘され、先ほどまで暗い表情を浮かべていたKは、だがすぐに、あの明るい笑顔をとりもどした。
K自身もやはり私に気を使って無理をしていたのだろう。
もし私が止めなかったら、Kはずっと無理をし続けて、それを胸の内に隠し続けたままだったのだろうと思うと、今私がしっかり伝えて良かった、そう強く感じた。
それからは、もう少しだけ、と言うKに、しばらくまた山頂からの風景を眺めた後に、私たちは下山を始めた。
下山口の目印である背の高い道標から緩やかに続く下りやすい坂を、私たちはKのペースに合わせながらゆっくりと下山していく。
遠くには、今まさに登ってきている人達も多く見えた。
下山を始めて三十分。
先ほどまで私たちを照らしていた太陽は、一変、空に広がる曇り雲に姿を隠していた。
登のが少し遅かったら山頂のあの綺麗な景色は見えていなかったかもしれない、そう思うと運がよかったと思う。
だが、その反面これから雨が降るのではないか、そんな予感が頭をよぎる。
山の天気は変わりやすい。出発前に確認した天気予報では連日快晴と言っていたが、そんな天気予報など山の上では参考にさえなれ信用には値しない。
私たちが山を下りるまでは雨が降らないといいが。そう思いながら私たちは下山を続けた。
下山を始めて一時間半。
私たちは、あの後悪化の一途をたどり案の定雨の降りだした空に、レインウェアを着てさらに下山を進めていた。
幸い雨はさほど強くはないが、湿った地面とレインウェアの上から私たちを襲う雨は、私たちの体力を奪う。
数時間前は見えていた遠くの山々も、雲に邪魔されてもう見えなくなってしまった。
そんな中続く同じような光景に気分も下がる。
この雨も相まってか相変わらずKは重い足取りのままだが、それでもゆっくりと、着実に標高は下がっている。
もうじきの我慢だ。
ここ以降は五合目までしばらく存在しない山小屋で飲み物を補給したりして休憩しながら、私たちはまた一歩一歩と歩みを進める。
同じような景色の続く長い砂礫地帯は、まだもう少し続きそうだ。
それから四十分位だろうか。
段々と雨が激しくなってきた。雲もどんよりと灰色に染まり、まだ雷は鳴っていないがいつ鳴ってもおかしくはないだろう。
「……これは……どうしたもんかな……」
「今から引き返して、山小屋まで戻るか?」
Kは若干の焦りを顔に見せながら一度足を止め、手を頭に当て、困ったことになった、そう言うようにして私に提案する。
だが山小屋からはもうだいぶ歩いてきた。戻るのにもまた一時間くらいかかるだろう。
どうしようかと悩んでいると、ふと緊急避難所の存在を思い出した。
念の為事前に調べておいた緊急避難所。焦りから忘れるところだったが、そういえばここから十分くらい歩いた先に、それがあったはずだ。
Kにそれを伝えて相談した結果、そこまで歩いてなお天候が悪化しそうなようであれば、そこで天気が回復するのを待つ、そういうことになった。
周りには遠くの方にいる下山客が急ぐようにして早歩きで下山するのが見えるくらいで、ほとんど人はいなかった。
それもそのはず。
Kに合わせゆっくりと進んでいた私たちをほかの下山客はみんな追い抜いて行ってしまっていたので、恐らく下山客は私たちの遥か先か、それか四十分前にあった山小屋にいるのだろう。
周りに人が居ないことに微かな不安を覚えながら、私たちはその避難所を目指して歩き始めた。
それから五、六分。
この状況では無理もないが、具合の悪そうなKに不安を覚えながら、私たちは進んでいた。
目的の場所まで残り五分くらいだろうか。
歩いてもまだ見えない避難所に、永遠とも思える地獄のような時間を過ごす。
そうして歩き続けた先、雨に濡れた岩の階段が見えてきたその先に、ようやく目的の避難所が小さく見えた。
Kもそれを見て、だがあまり喋る余裕はないのだろう、私の方を見て、一つ頷いた。
私もKに対し無言で頷き返し、短い時間でさらに勢いを増した雨の中を突っ切るように前へと進む。
自然と歩く速度も上がる。Kも同じように私の後をついて歩く。
階段を降りると避難所も段々と大きく見え、ちっぽけな避難所が希望の象徴のように見える。
大粒の雨に打たれ、私たちはただひたすらに、そこを目指す。
走って早く着きたい、という気持ちもあるが、今までの登山で疲れた足と大雨がそれをさせてはくれない。
私たちは、周りの音をすべてかき消すような豪雨の中、近いようで遠い避難所へと、悲鳴を上げる体にその悲鳴に聞こえないふりをしながらただ黙々と歩いた。
そうして私たちは、何とか避難所へと辿り着いた。
必死の思いで避難所にたどり着いてその金属製の無機質な重いドアを開けると、同じようにして来たのだろう、疲れ切った様子の登山者が数人見える。
最近少し新しくしたのだろう、古い記事に書かれていた避難所の様子とは違う綺麗な内壁と地面に、私たちはその邪魔にならないように、端の方のスペースに重い荷物を下ろし、そのままぐったりと座り込む。
「大丈夫ですか? お怪我とかは、なさっていませんかな?」
すると、私たちの隣で足を伸ばして休憩していた老爺(ろうや)が、私たちのことを気遣ってそう声をかけてくれる。
「はい、大丈夫です。 心遣いありがとうございます」
私は、少し元気を取り戻したようなそんな声で、そう老爺へと返す。
些細な言葉だったが、今の私にはとてもありがたかった。
老爺の気遣いに感謝しながら、私はタオルで雨に濡れた顔を拭う。
Kの方を見ると、やはり少し具合が悪そうで、横になって休憩している。
そのKの横で私もしばらく休憩していると、先ほどまで人が誰も見えず、どうなるかも分からなかった不安も、ようやっと落ち着き始めた。
そう落ち着き始めたのと同時、先ほどまでの疲れがどっと押し寄せるようにして私の体を襲い、人が居るという安心感と、何とかなりそうで良かったという安堵に、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
……どれくらい眠っていたのだろうか。
目を開けると、周りにいた登山者はいなくなっていた。
そんながらんとした様子に現在時刻を確認すると、時計の長針は十三時を示していた。
二時間弱眠っていたらしい。
隣にいるKを確認すると、Kは横になってまだ眠っていた。
はて、起こそうかそれとも起きるまで待とうか、そう悩んでいると、私が起きた時の音に反応してか、Kも目を開けてゆっくりと体を起こした。
「体調はもう大丈夫そうか?」
「……ああ、もう大丈夫、かな」
起きるや否やそう質問した私に、まだ眠そうな顔でKはそう答えた。
Kの顔は眠そうながら先ほどまでのような具合の悪さは伺えず、体調も戻ったようでひとまず安心する。
さて、他に人が居ないということはもう外は大丈夫なのだろう。
荷物を置いたままに私は重いドアを再び開け、外の様子を見に行く。
ドアを開けると、まだ少し冷たい風が私の頬を掠める。
だがもう止んだらしい雨に、少し先へ出て景色を見に行く。
すると、遠くの方にはさっきまで見えなかった山々が見え、先ほどまでが嘘のような蒼空に、その上に、また私は美しすぎる富士からの光景を見た。
雲ももうどこかへと消え去った真っ青な空には、なんと何色にも重なる絢爛(けんらん)な虹が架かっていた。
薄っすらと、だがその山々に橋を架けるその虹は、また今まで見た景色と同じくらいに、素晴らしく綺麗だった。
Kも私の後からその景色を見て、しばらく私たちはその光景に目を離せなかった。
「……来てよかった」
「……そうだな」
Kが大空に架かる虹を見ながらしみじみとそう言うのに対し、私はただそう返した。
先ほどまでの苦労も、この光景の前には全てかき消されてしまった。
この登山の全てが上手くいったわけではないし、何ならこんなハプニングは想定していなかったが、それでも、私は十分なほどの満足感に包まれていた。
その後、私たちは荷物を持ち、大分回復した様子のKに安心しながら下山した。
避難所からもまた長い道のりだったが、先ほどとは一転晴れ晴れとした大空の下、そこから見える景色を脳に刻みながら、ゆっくりと下山した。
そうして何とか五合目まで帰ってくると、五合目はまた大勢の客でいっぱいだった。
到着時刻は十五時。到着してようやく昼食をとっていないことを思い出し、私たちは五合目で昼食をとった後にバスに乗って駅へと戻った。
駅から見える富士山は、無尽蔵に広がる青い青い空の下、堂々とそびえたっていた。
――人生とは、登山のようなものである。
私は、今目の前に広がる光景を見て、そう思った。
何度見たか分からない、この富士山頂からの景色。
今まさに地平線から出たばかりの太陽は、富士山頂にいる私を祝福するようにその眩い光を向けている。
そんな景色を見て、私は、ふと昔のことを思い出していた。
あれから、何年が経っただろうか。
あの時私の隣にいたKは、もう今は隣にはいない。
私は、あれから数年後、富士山にリベンジするべくしてまたKと一緒に富士山頂へと登った。
そしてそんなKと一緒に巡った富士山の火口の周りを、私はまた美しい太陽の光に身を包まれながら歩き始める。
富士火口を右回りに歩き、少しずつ変わった景色を見せる山頂をゆっくりと楽しむこと約一時間。
私は、Kとの登山を思い出しながら、お鉢巡りの終着点、富士山の本当の最高頂である剣ヶ峰へと辿り着いた。
そこからは、文字通り全てが見渡せる。
連なる山々に、朝焼けに染まる空、富士山の火口に、今まで歩んできた道のり。
何度見ても飽きない、その景色を、また私はカメラへと収める。
また、来年も来よう。
いつも変わらず同じ景色を、だがKが私を登山に誘ってくれなければ絶対にこの目で見ることはなかったであろうその景色を見て、私はまた、そう思った。
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