【短編集】ときには栞を挟んで。
栞のお部屋
第一章 現代小説
私の世界
「一人くらい一緒について来てくれてもいいと思うんだけどなー」
山キャンプ場から夜の散歩道を歩くこと数分。夏休みに友達を誘ってキャンプに来たはいいものの、他の友達は日中の遊びで大分疲れてしまったみたいで、どうやら寝る前に散歩に行くほどの体力は残っていなかったらしく、こうして今、私は人のいない散歩道を歩いている。
森の中とはいえ、散歩道に沿っておかれたガーデンライトと木々の隙間から薄っすら差し込む月の淡い光が、私のモノクロの世界をほんのりと明るく照らしていて、遮光眼鏡を外したら少し眩しいくらいかもしれない。
「夏なのに、こんな涼しいんだ」
都心とは違って涼しい夏の夜に、思わず声が漏れる。時折吹く優しい風は少し肌寒いとも思えるほどで、カーディガンを羽織ってきてよかったと思う。友達に言われた通り一応上着を持ってきておいて正解だった。
そんなことを考えながら、色の変わらない森の中を道に沿って進んでいく。
ふと少し寂しくなって空を見上げるも、森の木々の隙間からは星も見づらく、真っ黒な木々の葉が道をトンネルのように囲っていて、その黒さにちょっと怖くなる。……他の人は一面緑で綺麗な光景だと思うのかな。一人でいると、久々にそんなことを考えそうになって、考えるだけ無駄だと思い直す。
一色型色覚、いわゆる全色盲。生まれた時からこのモノクロの世界に生きて、もう十分慣れたはずなのに、それでもやっぱりたまに意識してしまう。意識させられてしまう。余計なこと考えなきゃよかったかな、そう思って、またこのどこか寂しいような白黒の散歩道を進む。
「……えと、柚木さん?」
すると、ふいに後ろから声が飛んできた。
「あ、え、薫くん?」
声に呼ばれて振り返ると、同じくキャンプに来ていた薫君が見えた。足音がしなかったから、いや、考え事をしていたから聞こえなかっただけか、とにかく全然気づかなかった。
「あれ、疲れてるから行かないって言ってなかったっけ?」
「それを言ったのは多分別の人。というか、そもそも僕は柚木さんが散歩に誘ったとき席外してたし」
私は薫君に合わせてまた歩き出しながら、誘った時の記憶を軽く辿る。
「あー言われてみればそうだった気もするね」
「そう、それで丁度僕も行こうか迷ってたところだったから、明からその話聞いて追いかけてきちゃった。邪魔しちゃったのならごめんね」
「いや、全然大丈夫。むしろ一人でちょっと寂しかったから、ちょうどよかった」
「ん、ならよかった。……そういえば、その眼鏡、夜も掛けるんだ」
薫君は私の遮光眼鏡を指してそう言う。ああ、確かに、強い太陽の光が差し込むのは日中だけだから、そう思うのが自然なのか。どうも、やっぱり他の人と感覚がずれてるんだなぁ、と思う。
「ああ、これね。全色盲だとね、つまり白黒に見えるわけじゃない? だからね、光に弱いの。光の白さがより際立つから。……もしかしたら、その光は白じゃないのかもしれないけどね」
散歩道の脇におかれたガーデンライトを指さしながら私はそう答える。
「多分だけど、白というよりもう少し暖かい色なんじゃない?」
「そう、だね。薄いオレンジ色って言えばいいのかな。……というか、よく分かるね」
「知識としてね、知ってるの。実際に色が見えるわけじゃないし、暖かい色、っていうのもどんな色かは分からないけど、ただ知識として分かるんだ」
「なんていうか、不思議な感じだね。言葉は知っているけどその言葉と対応するものはない、っていうのは」
「そうかな? 例えばさ、皆は当たり前に、全てのものは原子から出来てる、って知ってるけど、実際に原子をみたわけじゃない。言われるまではそれが原子の集まりだとも分からないと思う。……だからね、私にとっては、別に、なんてことない、普通なんだ。それが、全ての人にとって同じ見え方じゃないだけで」
薫君はちょっと考えた後、納得したように軽くうなずいた。そして、またちょっと考えて、ゆっくりと口を開けた。
「……柚木さんはさ、その世界、好き?」
その世界。モノクロの世界。そんな急な質問に、思わず辺りを、この世界を、ゆっくりと見渡す。確かに、他の人とは違うこの見え方を不自由に思ったことはあるけれど、私にとって、この世界は、実に当たり前のもので、そんなことを考えたことはなかった。……でも、やっぱり。
「この世界は、多分好きかな。だって、別に、世界に色がないからといって、皆と過ごす楽しさを、この穏やかな森の空気を、感じられないわけじゃない。確かに、ちょっとだけ色の付いた世界は気になるけど、私にとって色があるかどうかなんて些細なことで、それよりも、今を楽しむことの方が大事かなって、そう思うんだ」
そう答えると、薫君は納得したような、けれど少し困ったような表情を浮かべ、少し視線をずらして、顔を僅かに下に傾けた。何か困らせるようなことを言ってしまったか少し不安になる。けど、少しして、何かを決心したように薫君は足を止めて、私の方に向き直った。私も、薫君よりも少し先に進んでしまった足を止め、薫君の方へ振り返る。
「あのさ、ちょっと、これ掛けてみてくれない?」
薫君はそう言って、ポケットから眼鏡ケースを取り出して、その中にある眼鏡を私に渡した。普通の眼鏡のように見えるけど何かあるのかな。よく分からないけれども、とりあえず私は遮光眼鏡を外し、もらった眼鏡を掛けてみる。……何も、変わらないような。遮光眼鏡……というわけでもなさそうだけれど。
不思議に思って薫君の方を見ると、困惑したような、ちょっと驚いたような表情を浮かべている。ああ、なるほど。これはきっと。
「色覚補助眼鏡?」
色覚補助眼鏡。ある特定の色が正しく見えない人とかが、それを補正するための眼鏡。私も前に調べたことはあったけど、どうやら全色盲の私には全く効果が無いみたいで、それ以降調べもしていなかった。
「もしかして、何も変わってない?」
薫君も気づいたみたいで、少し申し訳なさそうに聞いてきた。
「あはは、ごめんね。そうなんだ。全色盲ってさ、そもそも色を判別する、ってこと自体が全くできないから、補助する色覚が無いんだ。だから、掛けても、全く変わらないんだって」
「……ごめん。もっと調べとけばよかった」
「気にしなくていいよ。それに、この眼鏡が本当に役に立たないのか、ちょっと気になってたから。ネットとかだと、色弱の人がこれを付けて色が正しく見えるようになった、みたいな記事もあったから、ちょっとだけ、試してみたかったんだ。だから、あんまり気にしないで」
なるほど。さっきの薫君の困った表情の意味が、ようやく分かった。きっと、薫君は、私たちが同じ世界にいることを分かってくれて、その上で、この眼鏡を渡すか迷っていたんだ。……それなら。
「あのさ、この眼鏡、貰っていい?」
「……僕はもちろんいいけど、あげたところで、じゃない?」
「あはは、そうなんだけどね。でも、せっかく買ってくれたんでしょ? だったら、それならそれで、貰っておきたいなぁって」
「ん、なら、分かった」
薫君は一度ポケットへとしまった空の眼鏡ケースをもう一度出して、私にくれた。そのまま眼鏡をしまっておこうか、と思ったけど、どうせだからその眼鏡を掛けて、遮光眼鏡も上から掛けた。何故だか分からないけど、この眼鏡も一緒に掛けてれば、少しは皆と同じように見える気がして。
「それ、上から掛けられるんだ」
「ああ、うん。この眼鏡はね」
そう言いながら私は、眼鏡を重ね掛けした状態で、周りを見渡してみる。
「あ、星、いっぱい」
その流れで上を見上げると、ちょうど木々の大きな隙間から満天の星空が覗いて見えて、思わず声に出てしまった。
「ほんとだ。これは都心じゃ見れないね」
薫君も私につられて星空を見上げている。きっと、薫君には、私とは違う世界が見えているのだろう。でも。
「綺麗だね」
「うん、綺麗だね」
こうして、同じように感じられるのなら、きっと、私たちは同じ世界に生きていられる。少なくとも、今はそんな気がした。
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※この作品に「一色型色覚」の方を貶めるような意図はありません。
ただ私としては、世の中に「一色型色覚」についての知識・理解が広まることを願っております。
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