#7 満たしたい気持ち、満たされたい気持ち
秋も深まり始める十月初旬。
俺と遥は今日も元気にバイト中。
奥の入り口から自動ドアの開く音がして、
来店したお客さんたちを、スマイル全開で遥が迎える。
「――いらっしゃいませ〜♪何名さまですか? ――四名さまですね♪ご案内しまーす♡」
ご新規四名さまで〜す、のコールに「いらっしゃいませ〜」と応える俺始めスタッフ一同。
……なんだろう、最近の遥、めっちゃいきいきしてんな。
「――?」
あ、目が合った。
「――――♪(ぱちっ⭐︎)」
瞬間、ウインクが飛んできて。
「こちらへどうぞ♪」とお客さんを席に通した遥は、オーダーを取り一礼して席を離れると、素早くハンディに情報を打ち込んで、次の注文を取りに向かう。
『――今の子めっちゃ可愛くない⁉︎』
『大学生っぽいよね。カレシとかいんのかな……?』
すかさず客席で話題になる彼女。
明るい応対と愛らしいルックスで、今やすっかりお店の看板娘だ。
近頃はお客さんのみならず、スタッフ間でも彼女の評価は急上昇中。
店長が守秘義務を果たしてくれているので俺と彼女のあれこれは詳らかにはなっていないが、「将来を約束した人がいるので……♡」とは公言しているらしく、男性スタッフたちはひどく落胆したそうだ。なんかすみません……。
聞けば法学部の一年生の間でも、『どうすれば左瀬川遥と仲良くなれるか』が時折話題になっているという。
(※法学部だけかもしれないが、学年問わず講義内容や試験対策に関する情報交換が盛んな関係で、たまにこんな情報が入ってくる)
これはあれか? 世界が彼女の魅力に、気付き始めてきたということなのだろうか……?
もしかしたらこれから彼女の周りで、いろいろな変化が起こり始めるのかもしれないな……。
「――ぱい、ゆう先輩ってば」
「――あ、え?」
「もぉ、なにボーっとしてるっスか。ドリンクのオーダー入ったからメモここに置いとくっスよ」
「お、おぉ。すまん」
なんてことを考えていると、オーダーを持ってきた彼女の声が聞こえてはっと意識を戻す。
目を向ければ、なんだか心配そうにこちらを見つめていた。
「昨夜も遅くまでレポートでしたよね。大丈夫っすか……?」
最近課題が立て込んで、バイトも連勤。
正直身体は疲れてるけど……もうひと踏ん張りしなければ。
俺がしっかりしてなくちゃ、遥も不安だろう。
「――ああ、大丈夫。ありがとな、心配してくれて」
俺が努めて明るく言うと、遥は眉を下げつつも、にこっと笑顔で応える。
すると彼女は、きょろきょろと周囲を見回し、誰も見ていないことを確認して。
「……えと、わたしもこう見えて、実は結構気ぃ張ってるんで、、
――帰ったら二人で、発散しましょうね?」
そっと背伸びして耳打ちすると――ほんのりと朱に染まった表情のまま『内緒だよ』とばかり唇の前に人差し指を当てて、足取り軽くフロアへと戻っていった。
――少しの時間差のあと、耳にがやがやとした空気が再び流れ込んできて、
「――ませー!」
「――番さんお料理でーす!」
スタッフどうしの掛け声が、現実に還ってくる。
「諫早っち〜、これいける〜?」
「――あっはい! 行ってきます!」
「よろよろ〜!」
俺は素早く仕事モードに切り替え、先輩にハキハキと返事をする。
ジョッキを手に持ち、サーバから注がれる黄金色を見つめながら。
「――こんなん、沼るしかねぇじゃんかよ……」
ふと心から零れ出た不意の独り言に、俺はそっと苦笑い一つ。
よしっと気合いを入れ直し、料理とドリンクを載せたトレンチを手にフロアへと向かった。
*
「じゃー午後も頑張ろうね、っと……」
翌日の昼休み、大学の大講義室。
お疲れのゆうくんに励ましのRIMEを送って……画面を閉じたわたしは、スマホを握ったまま、長机の上に突っ伏していた。
「――まおちゃんは、どう思う?」
右側の席に向かって尋ねるわたし。もちろん独り言ではない。隣に友人がいるのだ。
視界の右側を頭にして、問われた彼女は「んー……」と可愛く唸ると、こてんと小首を傾げて。
「――わかんないですね〜」
「がくっ。そんな、まおちゃぁん」
落胆するわたしの隣でテレテレと頬を掻く彼女の名前は、都築まお。
法学部1-Aのクラスメイトで、東京ではただ一人の、わたしの友人である。
「しょうがないですよぉ。私まだ男性とお付き合いすらしたことないんですから」
ワンピースに包んだ慎ましい胸の前でちょんちょんと人差し指を合わせる彼女。
なんでも横浜にある明治時代から続く老舗企業のご令嬢だとかで、それらしいお上品な雰囲気が、居住まいから漂っている。
無垢な黒髪が、清楚な印象を引き立てていた。
「……わたし、どうすればいいんだろ」
机に伏したままぽつりと呟くと、
「――はるるはゆうくん先輩のことが大好きなんですね……♪」
「なッ、、⁉︎ ……ま、まぁ、そうだケド。。」
天使めいた笑顔で無自覚にぶちこんでくる彼女。
ほんわかした雰囲気とは裏腹に、好奇心が旺盛というか、意外と大胆だったりする。
「……だから、悩んじゃうんだ。こんな甘えっぱなしでいいのかなって」
一周回って元の問いに行き着いたわたしは、そっと小さく息を吐く。
「……真面目ですね、はるるは」
微笑ましいとばかり、穏やかに告げる彼女。
流れ始めた緩やかな沈黙の中。
――わたしはひとり、昨夜彼の部屋に帰った後のことを思い返す。
お付き合いはしてるけど、わたしはあくまで居候の身。
なし崩し的に同棲に持ち込んでも、きっと先輩は拒絶しないと思うけど。……それは告白の返事に用いた言葉を、自ら安くするだけだろう。
居続けるためには、必要とされなければならない。
――でなければ、わたしは。
そう思うたびに、わたしは彼に甘えてしまう。
少なくともその間は。――――
――わたしで満たされていると、実感できるから。
もちろんわたしにも、欲はある。
キスをして、ふれあって、頭の中が真っ白になるたびに。
――限りなくゼロに近い薄膜に遮られるのももどかしくなって、注がれるままぐちゃぐちゃになりたいと願って、彼の理性を、壊したくなる。
だから行為に満足を求める欲求と理由は、わたしの側にもあるけど。
――『満たしたい』気持ちと、
『満たされたい』気持ち。
似て非なる二つの感情が、お互いの『スキ』が一致して生まれる思いであることを、わたしは疑わない。
でも、少なくともわたしは、そこに自らの存在証明を重ねていて。
、
――あぁ、やっとわかった。
わたしはそれが辛いんだ……。
好きとか癒したいとか言っときながら(もちろん本心であるけれど)、心の奥底では好かれたくて癒されたくて。
そんな願望を(無意識にでも)隠して過ごしていることに、どこか誠実じゃないような気持ちを抱いていたんだな……。
初バイトの後、二人で歩いた夜。今も忘れない、先輩の言葉。
『――俺は今、目の前の君に感じてる気持ちを。……君が向けてくれる好きだという気持ちを、信じてみたい。だから、遥――俺と付き合ってくれないか……?」
先輩はわたしのスキを、信じてくれた。
なのに、わたしは……。
考えるほど、彼に申し訳なくて。
「――はるる、」
はっとして隣を見れば。
「これ、使って?」
「は、ぇ? ……ぁ、…………ッ」
まおの手には、ピントのぼけたハンカチ。
瞬間、すでに視界が滲み、目元が熱を帯びていることに気づいて、わたしはばっと彼女から顔を逸らす。
ふと視界の外から、ふっと息を吐く音が聞こえて。
「……お二人のことは、お二人にしかわからないこともあるのでしょうけれど。でもきっとゆうくん先輩は、はるるのこと、心から大切にされてると思いますよ」
気づけば洟まで出ていたわたしは、心底申し訳ない気持ちになりつつも、まおが告げた言葉を頭の中で反芻する。
「ほんと……?」
目線を向けると。
「ふふっ、どれだけのろけ話聞いてると思ってるんです?」
瞳を覗き込みながら、ほっぺをつんつんとつつくまお。
その慈愛に満ちた面差しに、わたしは……なんだか不思議と、心が赦されていくような思いがした。
「ありがと、元気出た。ハンカチごめんね? 洗って返」
「あ、そのまま返していただいていいですよ♪」
う、うん?(困惑)
「ゃ、そ、それは悪いよぉ。こんなに濡れちゃったし、洗って返」
「そのままがいいんです♡」
「あ、はい……(困惑)」
促される(押し切られる?)まま、わたしはハンカチを彼女へと手渡す。
なぜか嬉しそうにちょんちょんと目元を拭ってくれたまおは、濡れたままのハンカチを畳んでシャルネのバッグにしまった。
……三限の講義内容が頭に入らなくなるから、今は気にしないでおこう。
*
座卓に晩ごはんの料理を運び、お皿の位置を整えて。
BGM代わりにつけたテレビの音声の合間を縫って、たん、たん、と外階段を歩く足音が、部屋の中に聞こえてくる。
音とリズム。
それだけでその人だとわかることに。
「ただいまー」
聞こえた声、見えた影に答え合わせを終えたわたしは、玄関へと歩く。
「――おかえりなさい、ゆうくん♪」
彼のためだけの言葉を笑顔で伝えて、
同じだけの笑顔を、彼から受け取る。
今日は厚焼き作ったんだよ。
喜んでくれるかな?
まだまだお世話かけることになりそうだけど……もう少しだけ、そばにいさせてね。ゆう先輩。
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