#6 優しくしてください


「――ねぇ、ダメ……?」

「お、落ち着いて沙緒さん……」


 

 悩ましく囁くのは遥ママ――左瀬川沙緒さん。


 え、なんで初対面の遥ママとこんなことになっているのかって?

 それは彼女が初めから、遥が席を外す頃合いを狙っていたからだ。

 大胆不敵。さすが遥ママ……っといけない、感心している場合ではない。



 バレッタで留めたブラウンの髪、オフィスカジュアル風の服。

 恐れ多くもこちらへの挨拶が目的という関係で、シチュ的にしっかりめを意識したんだろうけど、こんな悩ましい声を出されたら、マジでもう女上司とのアレ感がハンパない。



「ゆーくん……もう我慢できない……」

 整えて身につけたジャケットを床に落とし。

(※沙緒さんは「ゆーくん」と呼びます)


「――はるかにはナイショだよ?」

「さっ、沙緒さん、そんな、やめっ……――」


 俺の焦りを遮るように、『しーっ』と口元に指を当てると、


 彼女は薄く色づいた表情に、ぱちりと密やかなウインクを浮かべて――


 ――神々しく座卓に鎮座する、駅前の名店・鮨六の特上(三人前 一四,一九〇円)の桶へと箸を伸ばした。


「――あ〜っ! お母さん、めっ!」

「あはは、バレちったぁ」

「もういいですから、普通に食べてください……」


 ちなみに久々の回らないお寿司は大変美味でした。



     *


 ……とまぁこんな感じで歓談しつつお寿司をいただいて。


「――改めまして、はるかの母親の左瀬川沙緒と申します。この度は娘が大変お世話になっております」

「ます」


 桶を下げ、熱いお茶を淹れて座卓の前に戻ってくると、沙緒さんは正座に直ってこちらを向いた。


 さっきまでのくだけた調子とは一転、マジメな雰囲気に変わって。隣でぺたんと座る遥も釣られて頭を下げる。

 小動物的な愛らしさの遥と、大人の色香が眩しい沙緒さん(でもなんか……若い⁉︎)。

 親子なだけあって顔立ちは似てるけれども、それぞれに味わいの違う魅力があるように感じられた。


 ……っと、俺も挨拶しなくちゃ。

 こういう状況は初めてだけど、とりあえず簡単に自己紹介しとくか。なんか緊張するな……。


「本日は誠に……改めまして、諫早ゆうと申します。一応、ここの家主で。遥さんとは明凛大学の先輩後輩の関係です」


 努めて淡々と述べ、頭を下げて。


「……です」


 全て事実です、と追認するかのように、遥が隣の沙緒さんに頭を下げた。


「ど、どうですか。生のゆうくん、超絶かわいくないですか……?」

 ずい、と前のめりになる遥。

「……なるほど、はるかの言うとおり、ね」


 遥の視力が心配になる俺。

 しかし、頷いてぼそっと言葉を漏らした沙緒さんは、二度三度頷き、ふいにこちらから目を逸らした。薄く桃色に色づいているのはメイクじゃなさそうだけど熱でもあるのかな? あ、お花系のいい匂いがすりゅ……。


「ね、ねぇゆーくん」沙緒さんは前髪を払い、居住まいを正して。


「そ、その、改めて聞くんだけど。はるかとはつっ、つ、、付き合って……?」


「へっ⁉︎ あ、えとはい、、


 ――遥さんとは、真剣にお付き合いをさせていただいております」


 答えて瞬間、目を見開かせて俺と目を合わせた沙緒さんは、はわっ、と口元に手を当てて一瞬、目の焦点を失って固まった。

 あ、このリアクション、なんか親子って感じ……。


「さ、沙緒さん?」

 俺は不安になり呼びかけて、


「――はっ、ご、ごめんなさい」

 沙緒さんはあわあわと胸の前で手を振る。


 必然、ブラウスを押し上げるこんもりと豊かな膨らみに目線を誘導され、俺は目を逸らした。や、やだな遥ちゃん。そんな『コロスゾ?』みたいな目で見ないでくださいよ。


「(ゆうくんのおっぱい星人……!)ほ、ほら、ね? 素敵な人でしょ、お母さん?」


 すげぇ心の声をだだ漏らしにしつつ、遥は朗らかに沙緒さんに尋ねて。


「――あなたがRIMEで言っていた意味を今理解したわ。

 ――『会いにくるなら覚悟しておいて。言っとくけど、わたしのゆうくんの可愛さと優しさは神が与えた唯一無二……場合によっては今日がわたしたちの運命の分かれ目、親子で彼を取り合うことになる』、って」


「」

 聞き届けて、俺は絶句した。

 沙緒さん、その『ゆうくん』って多分ソシャゲのキャラか何かで俺のことじゃないと思います。でなきゃ俺、遥の認知能力が心配です……。


 しかし俺の願いとは裏腹に、


「――どうやらわたしの警告は、聞き届けてもらえなかったみたいだね……沙緒」


 哀しげに告げて右手の指を一つずつ折りたたむ遥。

「――ラストブリットからいかせてもらうわ」 え、初手で?


 しかし向かい合った沙緒さんは怖じることなく、遥へと不敵にウインクを向けて。


「ふふっ、アタシだって、まだオンナ捨ててないのよ? だからゆーくん、」


「へ? ――――◎☆#〒$⁉︎」


「――寂しいときは、遠慮なくお姉さんに甘えていいからねっ⭐︎」


 刹那、沙緒さんにいたずらっぽく『むぎゅ♡♡』と抱きしめられた俺は――柔らかな感触と甘い匂いに宿る色香に満たされ、あっさりと脳を焼かれた。



「わっ、わたしのゆうくんにナニすんだこらああぁ〜‼︎」



――――――――

――――

……


     *


 寿司桶を返しに行くという遥を玄関で見送り、沙緒さんと二人きりに。


 部屋を出るとき、遥はきっ、とこちらを睨むと、「覚えとくっスからねっ、、」と唇を尖らせていた。これは何かしらの仕返しを覚悟するしかなさそうだ……。



「はるか、出かけちゃった?」

 リビングに戻ると沙緒さんに聞かれ、俺は「ええ」と苦笑する。


 座卓の上には、先ほど淹れ直したコーヒーの湯気。


 今後もこういう機会はあるだろうし、来客用のテーブルセットも買った方がいいかなぁ、と頭の中で独り言ちた。


「……ゃー、ちょっと冷やかすくらいのつもりだったんだけど。はるかにはあとで謝っとくから、ごめんね?」


 あはは、と頭を掻いて座ったまま見上げる沙緒さん。

 ……いやさっきのスキンシップなんだが、健全な男子大学生としてはガチで脳髄から変な汁出てくるので、今後のためにも切実にやめてほしい。親子丼展開? なんですかそれは、そんなけしからない話僕は一度も考えたこと、おっと誰か来たようだ……。



「――でも、ありがとうね。ゆーくん」

「?」

 告げて沙緒さんはスカートの裾を払って立ち。


「――はるかのこと、見つけてくれて」

 柔らかく見つめ、瞳を細める。


「あんなでも、可愛い娘だからさ。東京でどうしてるかなって思うと、やっぱ心配になんのよ」

 頬を掻き、苦笑を浮かべて。


「……だから、今日二人に会えて、ほんとによかった。あの子も自分の幸せを見つける年頃になったんだなって……ちょっと泣けちゃった」


 言葉を紡いだ彼女はふふっ、と表情を穏やかにして。

 ――そっと目尻を拭うのを、俺は見ないふりをする。


「――ね、アタシっていくつに見える?」

「へっ⁉︎ えーと、」

 突然問われて、俺は思ったままを口にする。


「……三十七、八、くらいですか?」

「あー惜しいっ。正解は三十六でした♪」

 頬に指を当ててぱち、と片目を閉じる沙緒さん。むちりと若々しい肌の弾力が、当てた指先を押し返していた。


「どぉ、悪くないでしょ?」

「うん確かに、っていやどういうイミですか⁉︎」

「こっそりニアピン賞あげよっか♡」

「……遠慮しますっ」


 俺はたじたじで返すと、沙緒さんは口元を押さえて満足げに、いたずらっぽく口の端を上げた。


「……大変なことも、いっぱいあったけど。まだまだ親として――アタシも頑張るからさ」


 だから、と彼女は背筋を伸ばして。



「――不束な娘ではございますが。どうかはるかのこと、よろしくお願いします」


 ――恭しく告げて、深々とお辞儀をし、静寂が流れる。



 顔を上げ、目線を再び合わせると、

「次はぜひ仙代に来て。待ってる」

 ふっと穏やかに微笑む。


 俺は彼女と遥が積み重ねてきた時間と、絆の深さを。


 ――その慈愛に満ちた微笑みの中に、垣間見たような気がした。



     *


 時計の針が、三時を示して。

 

「――ただいま、っス」


 パーカに身を包んだ一五六センチの同居人が、玄関に戻ってくる。


「……あれ、先輩、沙緒は?」

 よいしょ、とブーツを脱ぎ、見回しながらスリッパを履いて。


「職場のお土産買って帰るってさ」

「……。そっか、」

 何でもない声音で返事をし、コンビニの袋を座卓の上に置く。

 中身が軽いのか、ぱさり、と空気を含んだ音がした。



「……なんか、すみませんでした、いろいろと」

 振り返った遥は、鞄のストラップが引っかかったフード部分を直しつつ冷蔵庫を開けて。

「いや、賑やかな方で楽しかったよ」

 と、俺は麦茶のグラスを傾ける横顔に、率直な感想を口にする。


 正直会う前は不安もあったけど、きっと大丈夫。

 そう思わせる何かが、沙緒さんとのやりとりの中に感じられた。


「――おいしい目にも遭ったし?」

「なっ、それは、、」

 一瞬合った目が妙に企みの気配を帯びていた気がするけど……今は気にしないでおこう。



     *


「――はー、おいしかった……♡」

 沙緒さんが買ってきたお土産のお菓子をいただいて、まったり過ごす俺と遥。

「やっぱお茶請けは荻の月が一番っスね……♪」

 ブラックコーヒーを一口、遥が満足そうに微笑む。

 確かにこれ、めちゃくちゃ美味いわ。


「先輩の地元って何が有名なんです?」

 ふと遥が尋ねて、

 思いつくままを答えると、「おいしそー♪」とテンションを上げて、楽しげに頬を緩める。


「――いつか先輩のご両親にお会いする日も来るのかな……?」

「お手柔らかに頼むよ」

 まだ少し先かもしれないけれど。

 そんな日が訪れることを夢見て……俺はカスタードの月の甘さを、じっくりと噛みしめていた。



「――ところで先輩」

「――は、はい?」

 カップを置き話題を変える遥。

 あれ、今いい具合に締まったと思ったんですけど……。


「――確かに、うちの母は娘のわたしから見てもセクシーですけど。でもやっぱりカノジョとしては、」


 じ、と目線を合わせた刹那、こちらの左隣に座り直して――


「――わ、わたしでおっぱい星人に変身してもらいたいな、とか思うわけで……」


 おずおずとこちらの左腕を掴んで、ぎゅ、と身体を寄せる。



 ――瞬間走る電流、脳髄を貫く雷鳴。

 ふにぃ……♡と押し当てられるまるで生き物のような生々しい体温と感触に、

 俺は本能をダイレクトに刺激されて、急速に心臓が早鐘を打ち始める。


「あの、遥? 一応聞くんだけど……その下って」

 その先の言葉を口にするのを、俺は無意識に憚った。


 ――つけてない、なんて知ってしまったら。



 間違いなく俺たちは、このままではいられない。



 でも遥は、まるでそう聞かれることがわかっていたかのように。


「――じゃぁ、確かめてみるっすか……?」


 俺の空いた右手を取って、自らの左胸に押し当てる。


 パーカのロゴの辺り、手のひらがむにぃ~……♡と沈み込んで、


「――初めてだから。優しくしてください……」

 どっどっ、と伝わる心臓の高鳴りが――見つめる瞳と息遣いの意味を、俺に教えていた。

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