#5 刮目せよ

 退勤した俺たちは、お互い無言のまま歩き出す。


 俺が前、彼女が後ろ。

 駅前を抜けた先の住宅街は、しんと静まっていた。


「……今日は、ありがとうございました」


 振り返ると、遥は丁寧に頭を下げて。


「……甘えって言われるかもですけど。……先輩がそばにいてくれてよかったです。心底、そう思ったっす」


 胸に手を当てると、すっと瞳を細めて目線を俯かせる。

 「――もっと強くならなくちゃっすね」


 そんな彼女の、少しずつでも変わろうとする姿を見て、


「……っ」

「――……もぉ、また難しいカオしてるっす」

 呆れて近づいた彼女におでこをつつかれて、俺ははっとすると同時、苦笑する遥を見て、同じように眉を下げる。



「……わたし自身、ほんとはわかってるっす。きっとゆう先輩のこと、まだほんの一部しか知らなくて。――でも、これから知っていけばいいんすよ。少なくとも私は、そのつもりっすから」



 出会ってから重ねた時間も、言葉の数も。

 お互いを理解し合うには……きっとまだ足りなくて。


 でも彼女が向けてくれる無垢な愛に、俺は知らず――心を満たされていた。

 失うのが怖くなるほどに……。



 確かにまだ、手探りの関係で。

 それに正直――そういう欲で、動いてるところもある。



 ――けど、それでいいじゃないか。

 まっとうな理由なんてどうでもいい。


 物語を持たないなら、いっそ貪欲に。

 ――彼女との幸せのカタチを、見つけるだけだ。



「……言いたいこと、頭を悩ますこと。考えればきりがないけど、」

「っ、」

「俺は、……――遥を見守っていきたい。できることなら、これからもずっと」


 俺は率直な思いを切り出し、遥は『はっ』と見上げて、目を見開く。


「こんなあっさり好きになっていいのかって、ずっと悩んでた。でも、名前もないくせに愛だけを求めたくなるような関係を続けて、その関係の名前を探し続けて何にも辿り着けないんだとしたら――」


 心から溢れるままに、俺は言葉を続ける。


「――俺は今、目の前の君に感じてる気持ちを。……君が向けてくれる好きだという気持ちを、信じてみたい。だから、遥――俺と付き合ってくれないか……?」



 聞き届けて、遥は。


「〜〜、、……ッ」

 答えを聞かせてほしいこちらのそわつく感情とは裏腹に、口元を押さえて何も言わず、肩を震わせる。

 やべ、なんか間違ったかな、俺……⁉


 しかし、不安がよぎった刹那――


「――先輩のバカ、、」

 遥はぽつりと恨み言を零し――瞳を潤ませる。


「先輩のバカっ、、……そんな真剣なコトバで告られたら、わたし……っ」


 何事か言いかけて彼女は――駆け出して月の下、

 伸びる影のシルエットを、一つに重ねる。


「遥……?」

 俺は問いかけながら、彼女の体温を胸に受け止めて、


 首を左右に振りながら彼女は、

「……言ってもまだ、安っぽいだけっスから……でもその気持ちだけ。先輩には知っておいてほしいっす」

 ぎゅ、とこちらのTシャツを握って告げた言葉に、俺は「あぁ、」と頷くと、そっと背中に腕を回して、彼女を静かに抱きしめた。


「――その告白、謹んでお受けします。ずっと一緒ですよ、先輩……♡」



     *


「……というわけで、お金が貯まったら、部屋を探して引っ越そうと思うっス」

「あ、そーなん、、、ん?(困惑)」

 付き合うことを決めた俺たちは、迎えた土曜日、これからの生活の方針を話し合って。

 結果、やっぱり彼女は生活が軌道に乗った段階で、この部屋を出ることになった。


「せっかくなので、もうしばらく先輩と一緒の暮らしを楽しみたいとは思うっスけどね」

 と苦笑しつつも、

「でも……今から一緒にいるのに慣れ過ぎても、今後のためによくないとわたしは思うっス」

「遥って深いところで妙に大人だよな……」

 聞けば恐れ多くも、俺が初カレだというし。正直もっとハイになって舞い上がるものかと思ってたけど、意外なほど冷静に、彼女は今後のことを考えているらしかった。


「……寂しい、っスか?」

「……なんか、いざいなくなるって思うとな」

 コーヒーのマグを置いて、俺は困ったように微笑む。


「すぐに、ってわけじゃないっすよ。それに、」

 彼女はミルクを落としたマーブルの液面を見つめ、言葉を切って。


「――いつか本当に一緒になるために、っすから。わたしだって飽きられたくないもん」

 そう告げて、ふふっ、と口の端を穏やかに上げる。


「……長い、っすね」

「……長い、な」


 どんなに早く見積もっても、五年は先の未来。

 その日だってきっと、全てのゴールではない。


 でも、どんなに遠く離れて見えても、その日は一日一日を積み上げ続けた先にしかない。


 それなら――今はまだ目の前の一日を。

 大切に、甘く、苦く、重ねていくしかないのだろう。

 歩むと決めた彼女と、手を取り合いながら――。



「あ、そうだ先輩。ゆうべお母さんからRIME来てまして」

「うん」

「――バレました」

「――へ?」


 バレた? 何が?(すっとぼけ&震え声)


「や、実は前のアパート取り壊しになったとき、管理会社から実家にも書面で通知があったらしいんすよ。大学に住所変更届け出た時も実家に通知があって。お母さんそーいうのあんま読まないんで、うまいことバレずにきてたんすけど……」


 冷静に考えれば至極当然な内容に、俺は両肘をついて組んだ拳の上に額を当てて呻いた。


 普通に考えて実家に何も通知が行かないわけがない。むしろ三週間もの間バレなかったことの方が奇跡なのだ。


「なんでバレた?」

「なんか郵便物が不着になったとかで……」

「」


 ま、まぁこの際理由はいいや。いずれバレるに違いはなかったのだから……。


「で、お母さんはなんて?」

「――すぐに会わせなさい。と」

「ヒェッ……」


「証拠です。お納めください」

 彼女はスマホのロックを解除し、RIMEのアプリケーションを起動して。


 俺は手汗を寝間着の裾で拭い、ごくりと唾を呑み込んで、それを受け取る。


 ――思えばうまく、事が運びすぎていた。

 その代償を払う時が、来ただけのことなのだ。


「――遥」

「はい?」

「……今回のことは、最終的に受け入れた俺に責任がある。だから」

「……あ、あの先輩? なんか話が見えないんすけど……」

 眉根を寄せて小首を傾げる彼女のリアクションに、『?』を浮かべながら画面に目を落とすと。


沙緒 『で、今どこいんの⁉ まさかネカフェ難民に。。。⁉』

ハルカ『否。刮目せよ』

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ハルカ『これは私が所有するゆうくんフォルダの一部に過ぎない。その深奥を覗きたくばわたしと彼の愛の巣へ辿り着くことだ。もっとも沙緒にできるなら、だがな』

沙緒 『え⁉⁉ なに、そゆこと⁉⁉ 行く行く、明日行くわ(きらきら)で、住所どこ?』

ハルカ『ふっ、命知らずな……明日、ここで待つ。合言葉は「荻の月買ってきたよ☆」だ』

(ハルカさんが位置情報を送信しました)

沙緒 『りょうか~い、じゃ明日行くからヨロシクぅ☆ 荻の月いっぱい買ってくね~(おやすみの絵文字)』

ハルカ(厨二が好きそうなスタンプ)

沙緒 『……ところでアンタ、大学でもそんなノリで過ごしてるんじゃないでしょうね? 』

ハルカ『……わたしは常に、フォースとともにある。ゆえにこれはキャラではなく』

沙緒 『荻の月買っていかんぞ』

ハルカ『だっ、大丈夫だよっ沙緒さま☆ あなたの娘は東京でお友達に囲まれて、日々幸せの中に学んでまするっ(仔猫のスタンプ)』

沙緒 『ふふ、よかった♪ じゃほんとにおやすみ☆アタシのかわいい仔猫ちゃん♡』

ハルカ『うん、おやすみっ沙緒☆ にゃ~ん♡』


「(絶句)」

「そ、その……フォルダのことは謝るっす。実は日々こっそり撮り溜めて、」

「いや、もうどこからツッコめばいいのかわからんわ……」



 ひとまず今日のところは、遥ママを迎える準備だな……。



◎遥とお母さん(沙緒)の会話を書くのがめちゃくちゃ楽しかったです。


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