#4 ここにもほしいっす
「ただいま〜」
「っ――先輩。おかえりなさい」
バイトを終えて帰宅すると、遥が出迎えてくれた。
大学にはちゃんと行ったみたいだけど……少しだけ気恥ずかしい。
遥のほうも、その気持ちは同じ様子だった。
「……どうかしたっすか?」
「っ、えっ?」
「あ、ゃ、何でもないっす! ただ、なんか元気ないような気がして……」
心配そうにこちらを窺う遥。
その目は不安に揺れていたけれど、
「――はいっ、どーぞ」
しょーがないなとばかり目を瞑って。
遥はうっすら赤くなりながら、両手を広げる。
……えーとなんですか、このポーズは?
「なに、飛ぶの?」
「なんでそうなるっすか! わたしの胸に飛び込んでって意味っす!」
「なんでそうなるのか俺が聞きたいわ!」
隙あらばいくらでも甘やかそうとしてくるなこの子は。。
一方、なんか当然の流れとばかりにハグするつもりだった彼女はむ〜と唸りながら頬を膨らませてそっぽを向く。
「――わたしだって先輩の力になりたいからっすよ。悪いっすか……?」
睨むように、けれどどこかリアクションが気になるかのように一瞥をくれて。
「……言っとくけど今朝みたいなのはナシだぞ?」
「わ、わかってるっすよっ。あくまで健全な癒しのためっす」
しょうがなさそうな顔をしつつ都合よく頷いた俺は、靴を脱いで部屋へと上がった。
「じゃ、どうぞっ」
再びこちらを向いて、両手を差し出す彼女。
「……」
「…………どう、っすか?」
「…………確かにこれは癒される、な……」
「ほんとっすか? 嬉しいっす……♡」
瞬間、遥はぎゅっと腕を回して、俺の胸に頬をすり寄せる。
「すき♡先輩……♡」
「はいはい……」
よしよしと撫でてやれば、ふにゃぁ……♡と仔猫みたいな吐息を漏らしてされるがままになる。
やっぱりこうなるんじゃないか(呆れ)
「……はっ、いけないっス。すっかり自分が癒されモードに」
「え、でも俺こっちの方が癒されるかも」
「な、なーに言って、何言っちゃってんすかもぉ……♡」
我に返った遥に率直な感想を口にすると、彼女はいともたやすく本来の目的を放り出して『もっとして』オーラを漂わせる。
調子のよさに呆れながらも、人のことを言えない俺は彼女をなでなでして。
瞬間、きゅるんと口の端を上げて、こちらを見上げた彼女は、
「――ここにもほしいっす……♡」
ねだるように見つめて、自らの唇にとんとんと指を当てた。
「……これさ、むしろ俺が都合のいい男になってない?」
うすうす感じてたことを口にして、
「そ、、そう言われるとなんも言えねぇですね……」
遥は心底バツが悪そうに頬を掻く。
もっとも今の関係自体なし崩しで始まったものなので、俺が突っ込んでもいまさらな感はあるんだけど……
とはいえ、
「……でも今朝よりはちょっとだけ、罪悪感は薄いかも」
「え……?」
大学での出来事を頭によぎらせた俺は、少しだけ頭のもやが晴れた気がして。
「目、閉じてて?」
「は、はいっ……ッス」
促すと俺は唾を飲み込み、色づいて紅を差した彼女の口元を、そっと塞ぐ。
あっさりと離される口元、しかし遥はおずおずと腕を回してきて、
ぎゅっ。
と抱きしめてくる彼女の体温と感触に、
――言いようのない愛おしさと多幸感が、脳の奥から溢れてくる。
「あ、あれ、おかしいな? いま俺、無性に遥を、離したくなくなってるんだが……」
「だ、だめっすよ先輩……そんなこと言われたら、わたし本気になっちゃうっす……」
むずむず、ともどかしい気持ちが彼女から伝わって。
その気持ちを押し隠すように、遥はこちらの胸に顔をうずめる。
ぽーっと赤くなった表情の目元が、前髪の切れ目から覗いて。
「……ご飯、食べるっすか?」
――彼女は俺に、ぽつりと尋ねる。
その一言に、日常の時間が再び流れ出す。
「あ、うん。食べよっかな……」
そういや昼飯からなんも食べてないわ。
「先輩帰ってくるまで時間あったんで、カレー作ったんすよ。いま分けますから、座って待っててくださいっス」
そう言って微笑んだ遥は、背中を向けてキッチンへと向かい、黒猫が描かれたエプロンを身に着けた。
RIMEのアイコンも猫だったし、猫が好きなのかな? 一応覚えとくか……。
「ちなみにわたしって猫っぽいですかね?」
「寂しがり屋っぽいしうさぎじゃない?」
「だっ、誰が年中発情期ッスか⁉︎」
「誰もそんなこと言ってないわ!」
ちなみにカレーの肉は、鶏ももだった。
*
「――こことかどうっすかね?」
「こっちの方が時給いいんじゃないか?」
それから数日の間、俺と遥は求人情報のフリーペーパーをぺらぺらとめくってはバイトを探した。
のだが、
「――つか先輩のとこで働けばよくね?」
「んーそうだな……えっ?」
それから電話、面接を経てあっさり勤務日が決まり、
「――よ、よろし…ヒュッ……お願いしま、す……」
提案から一週間後、彼女は初バイトを迎えた。
ちなみに大学の講義中を含め、外での遥はだいたいこんな感じである。行動力との落差ありすぎだろうよ……。
「れ、レモンさっ、ゎービールカシオレモス、コミュールカンぱリオ、、レ!!??? ンジ梅酒ロックがおふたつ、以上でよろしいでしょうか、っっっつ⁉︎」
失礼します、と端末を打ってサーバーの前にいた俺に「お願いしますっ」と頭を下げる。
なに、呪文なの? フルで聞き取れたのビールとカシオレと梅酒ロックしかなかったんだけど?
「左瀬川さーん、料理運べる?」
「ひ、ひゃいっ、よろこんで‼︎」
卓の番号を確認して料理をトレンチに乗せると、彼女はすたすたと目的のテーブルに向かい「おまたせひまひたぁ!」と片膝をついて料理を並べた。
なんていうかこう、すごく必死だ……。
つか緊張しぃなのにホール希望で大丈夫だったのだろうか? 勤務時間が終わるまでメンタルが持ってくれればいいのだが……。
と心配した刹那――酔ったお客さんが彼女に絡み出す。
「あれキミ新入り? 可愛いね、名前は?」
「はひっ⁉︎ あ、わ、、わたしはさ、させ、さ……ヒュッッっスゥー……」
あっ……(泣)
【悲報】左瀬川、もうダメっぽい
「――あーすみません! この子まだ慣れてなくて……失礼しました、ごゆっくりどうぞ〜」
俺はバックヤードを飛び出し、彼女を救出するとお客さんに頭を下げて。
「だ、大丈夫か?」
「あぅ、ぅぅ、、、」
俺は泣き出しそうな彼女を前にして、ふと思い立って――彼女に告げる。
「その、、もし今日一日頑張れたら……何かご褒美考えてもいいぞ?」
「ッ、、、⁉」
「だから、あと三時間なんとか頑張れ! ファイト!」
「は、はいっす!」
よしっ、と気合を入れて、遥はバックヤードに駆け込んでいく。
「左瀬川さん、これいける?」
「いけまっす‼」
「左瀬川さん、オーダーよろしく!」
「よろこんでっス!」
フードをトレンチに乗せ、テーブルに並べるとオーダーを取りに別のテーブルへ。
「刺盛り三点を二人前、枝豆二つに生中、ロングアイランドアイスティーですね! 少々お待ちくださいませ、失礼しまッス!」
すごっ⁉ さっきはカンパリオレンジで文字列が崩壊してたのに⁉
「ゆう先輩、ドリンク入りまっス!」
「お、おぉ、、!」
そこから遥は目の色が変わったように店内を駆け回り――
勤務時間が終了するころには、まるでフルマラソンの後のようにへろへろになりながら、無言でテーブルの皿を片付けていた。
お客さんも大方引いて食洗器を回して一休みしていると、外で一服していたらしい店長がふらりと現れる。不惑を迎えたばかりという男性社員。
「お疲れっす」
「おぉ、お疲れ。いやー、イサが連れてきた後輩の子すごいな。逆にヒヤヒヤしたぞ」
「はは……」
確かにあれだけいきなりエンジンがかかったら、いつオーバーヒートするのかと気をもむのも無理はない。
とはいえ頑張って仕事をしていた部分は店長の目にもきちんと留まったらしく、「ま、あとは慣れだな」と及第点をもらえていた。
俺は保護者でもないのに、なぜか心底ほっとしていた。
「――で、あの子とどんな関係なんだ? カノジョか?」
「えっ⁉︎ な、なんでそう思うんすか」
びくっと肩を跳ねさせると、
「いや、なんとなくそう思っただけだが……違うのか?」
店長に問われて俺は、頭を掻いて。
彼女との関係を表現するのにふさわしい言葉を頭の中に思い浮かべる。
「あの子は、」
――カノジョとはまだ、呼べなくて。
でも、
「……守りたい何か、ですかね」
二週間が経った今、おぼろげながら言える精いっぱいの言葉を口にすると。
「――はっ、」
と息を呑むような声が聞こえて、
バックヤードの入口を見れば、下げた食器を抱えたまま――立ち止まって目を見開いた遥が、こちらを見つめていた。
――――――――
――……
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