#2 沼ったところをいただくっス
「――ぱい、ゆう先輩」
「んん……?」
「起きてくださいよゆう先輩。朝ごはんできたっすよぉ」
寝ぼけ眼の目線の先に、俺を揺さぶる女の子の姿。
「……誰?」
「左瀬川ですよ?」
きょとん顔で見つめてきたのは大学の後輩の左瀬川遥。
さも『いて当然』な感じを出しているが、本格的な同居は、今日が初日である。
「なんだ、遥か……え、誰?」
「ちょ、寝ぼけてるっすか?」
俺の二度見ならぬ二度問いに遥は若干イラっとした声で、『わたしのことなんだと思ってるの?』感をありありと出してくる。
うん、なんなんだろうな……?
「いや、その、ごめんな。まだ遥が同居人になったことに頭が追いついてないっていうか」
「そ、そっスよね……」
頬を掻いて「えへへ」と苦笑する遥。
でもその何か期待するような顔――わかりやすい――に、俺もまたぽりぽりと頬を掻き、
「……その、なんだ。――おはよう、遥」
「っ――おはようございます、ゆう先輩……♡」
なんでもない朝の挨拶を口にすると、遥は目をはっと見開かせて瞬間、にぱっと明るく表情を輝かせ、瞳を細める。
――初めて交わす言葉、二人だけの日常。
「な、なんか新婚さんみたいっすね……っ」
「そ、そうだな……」
てれてれと告げる彼女に思わず同意で返す俺。あれ、なんかまんざらでもないような……
「ね、ねっ先輩! 新婚ついでに早めに初夜も……」
「おっそうだな、って違うだろぉ⁉︎」
俺が危うく話に乗りかけてツッコむと、遥は「したいくせにー」とベッドに頬杖を突いてにまにまとこちらを見つめる。
ホントにこの子の旦那になる人はきっと退屈しない毎日を送るんだろうなぁ……なんてことを、ぼんやりと思った。
「先輩、やっぱゴムいらないっすか?」
「一応持ってていいんじゃない?」
「じゃー枕元に置いとくっスね」
*
座卓に朝食を並べて、向かい合うように座り手を合わせる。
目の前にはあつあつご飯と焼き魚、ふんわぁ……と出汁香る厚焼き玉子になめこの味噌汁。
自分ではまず作ることないラインナップを前にして、俺はごくりと唾を飲んで厚焼き玉子を口に運ぶと――
「――遥」
「はい」
「結婚しよう」
「喜んで……♡」
出汁がしみ出す極上の味わいに、思わず言葉が漏れる。
「――す、すまん、言葉が軽くなるな……」
「ううん、光栄っス……♡」
ふにゃりと相好を崩した彼女は両頬を手のひらに包んで、表情を火照らせながら「えへへ……」と悦に入っていた。
でも本当に美味しいわ、これ。
「家でも料理やってたんだ?」
「実家にいたときは基本わたしが担当してたっす。お母さんは仕事で忙しかったし、きょうだいがいるわけでもなかったんで……」
そう口にしながら、遥はふと穏やかに微笑む。
地元にいた時の彼女の姿は、もちろん見たことはないけれど……彼女にもこれまでの人生があって今ここにいるんだな、なんてことを思うと、味噌汁の味にも深みがあるような気がした。
「ちなみにこの厚焼き玉子は、我が家に代々伝わる一子相伝のレシピがあるんす」
「マジで?」
なんか世紀末救世主伝説みたいな単語が出てきて前のめりになると、
「――だからあとで教えてあげるっスね♪」
「やっすい一子相伝だな‼︎」
正統継承者がそんな軽々と口外しちゃダメだろ。リュウケンが聞いたら卒倒するぞ。
「ねね、RIME交換しましょうよ! そしたらメッセで教えたげるっス♡」
「さてはそれが狙いだったな……?」
とはいえ別に断る理由もないので、俺は充電器に繋いでおいたスマホをケーブルから外して彼女と連絡先を交換した。
ちなみに厚焼き玉子のレシピも本当に教えてくれた。とはいえ後日試したらやはり同じ焼き加減にはならなくて、これからも彼女に作ってもらおうと心に決めたのだった。
……心に決めていいのかな、これ?(困惑)
*
「……というわけで、お金が貯まったら、部屋を探して引っ越そうと思うっス」
食後にのんびり会話をしていると、ふと遥は淡々と口にした。
「いつまでもお世話になるわけにもいかないですし」
「その認識はちゃんとあったんだな……」
まぁ俺自身別に迷惑だなんて思ってないけど、何事も惰性はよくないからな……。
「だからバイト探して、当面はちゃんと先輩に生活費をお納めするっす」
「いいよ、お金のことは。まずは遥の生活を軌道に乗せることを考えよう」
まぁ俺自身実家の援助に頼っている身で、見栄を張れる立場でもないんだが……身の回りのお金くらいはどうにかできる程度にアルバイトはしているし、最低限、彼女が衣食住に困ることはないだろう。
とはいえ、際限なく同居、というわけにもいかない。お互いにその認識は一致していて、それはよかったと素直に感じていた。
「――ゆう先輩は、」
「ん?」
「や、その……本当にいいっすか? 無理、してないっすか……?」
問われて俺は、思案して口を開く。
「……正直、前の彼女引きずってる状態でこんなことしていいのかなって気持ちはある」
聞いた遥は一瞬の間のあと、納得顔に苦笑を浮かべて、「っスよね〜……」と呟き頬を掻く。
「……ゆう先輩はまだ前カノさんのこと、好きなんです……?」
「……どうかな。まだ時間が経ってなくて、未練がましく忘れられないだけかもしれないし」
前カノとは大学入学直後――つまり一年ちょっと前――の新歓コンパで知り合い、その年の夏に交際を始めた。
俺にとっては初めてのカノジョで、大切にしてきたつもりだったのだけど……別れを告げられフラれてしまった。
「先輩は、それでよかったんすか。なんでって聞かなかったんすか……?」
「聞いたさ。でも何も教えてくれなかった」
俺は淡々と振り返り答える。
「たぶん、単純につまらなかったんだと思う。遊びも大して知らないし、見た目が洒落てるわけでもないしな」
遥は釈然としない様子で俺の話を聞いて。
「……そんなことない。先輩は……」
「いいよ、無理に褒めてくれなくて。……でも、ありがとな」
俺はぎゅっと腿の上で拳を握った遥を宥めるように、目を細めた。
どこにでもいる普通の男。
だから自虐を抜きにしても、客観的に見て、俺は大した面白味のある奴なんかじゃない。
でも、フラれれば悲しくもなるし、傷つきもする。
だからこそ、そんな俺を心から肯定しようとしてくれる遥の優しさに、素直に励まされて。
だからだろうか、
「それより今は」
俺はふと顔を上げた彼女の目を見て、
「――せっかく一緒に住むことになったんだし。これから遥と過ごす時間を楽しみたいなって思うよ」
「ッ! ――――」
無意識に俺はそんなセリフを口にして
目を見開いたまま固まる彼女を前にめちゃくちゃたらし込むようなセリフを吐いたことに気づいた俺は「あ、や、、今のは」と必死に弁解の言葉を探す。
――が、
「――じゃぁ、わたしがっ」
言葉を切り出した彼女は、意を決したようにこちらを真っすぐに見据えて――
「――わたしがゆう先輩のこと、たくさんたーくさん、癒してあげるっすから……先輩が次の恋に、ちゃんとまた進めるように」
えへ、とはにかんだ少女に、俺は何も言えなくて。
「――で、まんまとわたしに沼ったところを、わたしがいただくっス」
「まさかの周到な計画⁉︎」
――最後に清々しく本音をぶちこんできた。
ま、まぁでも……甘々に甘やかしてくる後輩にズブズブにさせられるのも、たぶん悪くないよね。ね?
「まーそれは冗談っスけど、」
「冗談かよ……」
「なんで残念そうなんスか!(困惑) 要は、最後にわたしを選んでくれたら嬉しいなってことっス」
呆れたように苦笑した彼女は、偽りない声音でそう告げた。
「遥ってもしかして好きな相手には尽くすタイプ?」
「へっ⁉︎ そ、そーかもしんないっすね……」
遥はぽりぽりと頬を掻いて赤く染まる。
俺はそんなウブな後輩をじっと見つめて――
「なぁ遥、今日予定ある?」
「今日っすか? 特に何もないっすけど……」
「いや、せっかく一緒に住み始めることになったんだし……これからよろしくって意味も込めて、デートにでも行かない?」
揶揄い半分、でも半分本気で――彼女に提案すると。
「――っ、あ、、ぇ、う⁉︎」
刹那、遥の思考がフリーズし――
「あ、え、、」と間投詞だけを発してぺたりとへたりこんだ彼女は、ぐしゃぁとショートボブの髪を握りしめ、目の焦点を失わせる。
「は、遥?」
慌てて側に座り直す俺。
「で、でー……わた、わたしとデートってマジっ、すか……?」
かぁぁ、っとうなじまでを赤く染め上げて、遥は瞳を潤ませて頬を両手のひらに隠し、ゆっくりと目線を下げる。
ふと蘇る記憶――かつて初めて会った時。
再履修として迎えた第二外国語の授業、その一回目で隣の席になった彼女が見せた同じ表情を、俺は思い出す。
ある程度打ち解けた今でこそ問題なく話せているが……初めはまともに目も合わせられなくて、テキストの例文を使ったペアトークもズタボロの有様だった。
彼女は――極度のコミュ障なのだ。
「ご、ごめん! イヤなら、またにするけど……」
調子に乗って誘ったことを悔いても、彼女は目を合わせてはくれない。
やっちゃったかなこれは……。
と、思いきや彼女はたっぷり十秒ほど空けたのち、ぎゅっ、と両瞼を閉じながらぶんぶんと首を左右に振って――
「――ううん、行く、絶対行く!」
潤んで見つめるその姿に、俺は瞬間、理性が揺らぐのを感じた。
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