モダン焼きを知った日

与方藤士朗

モダン焼きを知った日のこと

 2024年6月7日・金曜日の夕方。


 50代男性・或作家は、知人の女性大学教員と岡山駅付近のお好み焼き店で合流した。その店は、ごく普通のお好み焼き店。4人掛けのテーブルが3脚。厚い鉄板の手前をカウンターにすればできなくもなかろうが、それはされていない。ちょっとテーブルとの間が狭いこともあるからだろう。

 作家氏は、モダン焼きのそば2玉を注文した。女性のほうは、同じく1玉。それに加えて作家氏は今日もビールを早速頼む。まずはビール、程なくそのためのつまみがテーブルにやって来た。


 彼らは、先週末の3日にわたって近くのホテルに宿泊してインタビューを行っていた。それは、作家氏の少年時代の思い出。彼は6歳から18歳まで養護施設にいたのだが、その間、近くにあった里親宅で10年にわたって夏と冬、ときに春の数日間を過ごしていた。その頃の話を、フランス系アメリカ人の女性が尋ねてそれに日本人男性の作家氏が答えていくという業務であった。

 インタビューのテープ起こしは母語が日本語の或作家氏が担当。

 おおむね出来上がったという。

 彼はビールを飲みながら、対手の女性に述べる。彼女は酒が飲めないわけでもないが、今日は飲んでいない。


「メル姉さん、わしな、モダン焼きを初めて知ったのは、あの家だったのよ。あの頃たこ焼きを屋台で買ったらついてくるような白い容器に入った、ほら、あんな感じの容器に入れられていてね。いつだったかは正確に覚えていないが、春か夏のどこかの日で、明らかに小学生のときだったことは確かや」

「そうなの。ところで、養護施設ではお好み焼きは食べたことないの?」

「ないことは、ない。だけど、モダン焼きはさすがにない。あまりに大人数の食事を炊事場で作るから、一人ずつにそんなことはできないでしょ。それに、広島風のお好み焼き、これはそもそもそばかうどん、たいていはそばが入っているものだけどね、あれをつくるには家庭の器具では少々無理がなくもない。その点養護施設の炊事場は火力的には問題なくても、こまめに作っていくのはいささか無理筋や。となれば、お好み焼きなんてできたとしても存外殺風景な感じだったわな」

「でも、あの増本さんってお宅だったっけ、こちらなら、誰かが買ってきてくれれば食べることもできないわけじゃないでしょ。あるいは、外食で店に行くとか。岡山あたりなら、広島風も関西風もあるでしょ。どちらで行くにせよ」

「そう。あのときは、3人兄弟の真ん中のお姉さん、私より10歳上の方だけど、その方が家族みんなのために買ってきてくれたのよ。それで、そのお姉さんのお言葉で初めて、それがモダン焼きというものであることが分かったのよ。周囲のことは覚えがなくても、その言葉とお姉さんの声は、今もはっきり覚えている。あの言葉のところだけは、ね」


 やがて、モダン焼きが2人前出来上がった。この店は店主夫妻が切り盛りしているのだが、女性の方がまとめて2人前持ってきた。それの駄賃で、作家氏はさらにもう1本ビールを追加した。

 ここのそばは、いささか細め。甘味のあるオタフクソースがよく効いている。作家氏は幼い頃から、そのソースの名前を知っていた。それは、地元の新聞の1面の新聞のロゴのすぐ下の位置に時々広告が出ていたから。

 彼は、お好み焼きに包まれたそばをまるで焼きそばを食べるかのように、少し早いペースでそばを口に入れていく。そしてときに骨休めのように、巻いている部分の野菜や豚肉も口にしつつ、ビールを飲む。

 対手の女性のほうは、彼よりはいささかゆっくり目にハシを動かしている。もともと外国人ではあるが、日本生活は長くしかも外国語教師として長年活躍してきたこともあり、日本語はもとより日本の文化にも長けている。彼女は酒の代わりに注文時にやって来た水を時々飲みながら、お好み焼きに舌鼓を打つ。


「モダン焼きを知ったのがあの増本さん宅だったてことね。遅かれ早かれ、せーくんはどこかでモダン焼きという料理の存在を知ったでしょうけれど、その最初が増本さん宅だったってことは、ある意味、あなたの人生の象徴みたいじゃない」


 少し早めに食べ終えたメルさんが、途中ビールを飲みながらの作家氏に尋ねる。

 程なく食べ終えた作家氏であるが、少し残っているグラスの中のビールをいくらか体に流し込んで答えた。すでに瓶は空になっている。


 そう言われてみれば、そうかもね。メル姉の御指摘は、正しいよ。

 あのときのモダン焼きが正確にどんな感じのものだったかは覚えていない。

 学生時代によく買っていたおじさんとおばさんが出していた屋台のお好み焼きも広島風だったから、あれとそう変わらなかったはずだ。

 そうそう、塾に勤めていた頃も、隣のお好み焼きが広島風でね、あの頃はうどん2玉で作ってもらっていた。冬期講習のときなんか休み時間があまりないから、それこそこっそり少し早めに降りてスリッパのまま隣に行って注文しておいて、それから何食わぬ顔で授業を終えて、今度は靴に履き替えておもむろに隣に行けば、そのときにはちょうど出来上がっている、って塩梅だった、

 何だかんだで、お好み焼きという料理、それもそばやうどんの入ったモダン焼きというものを、自分自身が意識して食べるようになったきっかけを作ってくれたのは、増本さん宅での短期里親が継続したからこそのものかもしれない。

 これが途中で終わっていたら、そこまで意識されることもなかったかもな。

 食べるって行為は、何も目の前の餌とも何ともつかぬものを食うだけじゃない。亡くなられた先輩が「文化を食べる行為である」とおっしゃっていたけど、まさにこれもその範疇に属するエピソードであると言えるわな。


 そこまで話した作家氏は、残りのビールを一気に飲み干した。

 対手の青い目の女性は、ビールを飲み干す作家氏に、黙って頷いた。


・・・・・・・ ・・・・・ ・

解説:本作品は、拙作「カテイのクサビ」の時間軸的には続編として執筆したものです。なお、書籍化に際しては、冒頭もしくは最後の位置に加筆修正の上で掲載、すなわち上記作品への「合流」を予定しております。

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モダン焼きを知った日 与方藤士朗 @tohshiroy

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