魔法猫と旧友


 少しだけ開けた窓からの陽の光は暖かく、心地よいそよ風が部屋に流れ込む。落ち着いた静寂が場を包み込んでいた。


 眠りから覚めた彼女は背を逸らすように体を伸ばすと喉を鳴らした。

 どうやら久しぶりに夢を見たらしい。今では遠い昔のようにも思える幸せな思い出の一幕。

 うっすらとその景色と愛しき友人の声が脳裏に残っている。

 夢の中でとはいえ、再び会えたことは彼女にとっては非常に嬉しいことだった。


 眠い目を前足で擦ってから彼女は魔法を行使する。

 常温での食料品の保存を可能とした魔道具から、魔法でミルクを取り出すと同時に、キッチンの戸棚に閉まってあるトレーを同様の方法で運んでくる。

 床にトレーを置くと、あくびを噛み殺しながらミルクをいっぱいに注いだ。

 トレーは非常に年季の入った物だった。これは彼女の友人からのプレゼントであり、友人が去った後も彼女は食事の際にはこれを使っている。

 遠方から保存の魔法でわざわざ取り寄せたミルクをペロリと舐めると、その味に思わず舌鼓も打つ。


「長いこと待った甲斐があったわ」


 当たり前のように人語を介した人ではないその生き物は、その味に満足しながら朝食を楽しんだ。


 彼女はエルヴァン・シュラムステラ。

 猫であり、魔女であり、人の良き友人でもある。また、かつての友の意思を引き継ぎ、先へと進む『求道者』であった。


⭐︎⭐︎⭐︎


「おはよう、エルヴァンさん」

「やあ、エルヴァンさん。いい薬草が手に入ったんだどうだい?」


 日中、エルヴァンは散歩をする。もちろん、友人から受け取った真っ黒の古めかした魔女帽をかぶるのは忘れない。

 この街にエルヴァンという猫は溶け込んでいる。誰も喋る猫に驚きはしないし、気さくに声をかける。

 エルヴァンにとっても、街の人々にとっても互いは良き隣人だ。

 喋る猫で魔法使い。

 エルヴァンという生き物はこの街で最も有名だった。


「ええ、おはようアリサ。今日も元気そうね」

「月霊草?これを持ってきた冒険者はとんだ無茶をしたようね。今は持ち合わせがないから後で寄るわ。取り置きしておいて頂戴」


 話しかけてくる人々に彼女は気さくに答える。

 彼女にとって彼らは子供のようなものだ。教師をしているアリサも薬草を取り扱う商人のダリも赤ん坊の頃から知っている。

 彼らも自身の両親から、エルヴァンのことを聞いて育つのだ。


 道中足をたびたび止めながら、散歩するとやがて広場にたどり着く。

 ここは街の憩いの場であり、中心に位置する場所だ。整然と綺麗に整備された区画は均等にベンチが並べられ、数人の人々がそこで談笑している。


 広場で最も目立つのは中心にある石像だ。

 中心に座する石像は女性であり、大きな魔女帽を被っている。隣には魔女帽を被った猫の石像も座っていた。

 彼女は偉大な魔女であり、エルヴァンの一番の友人であり、街の英雄だ。

 この像は彼女亡き後に、街の人々が敬意を込めて作成したものだった。


 エルヴァンは空いたベンチにぴょんと飛び乗ると、石像の顔を眺めた。

 精巧に作成されたそれは今にも動き出しそうで、生前の彼女を思い出す。

 そうやって、友人を思い出し感傷に浸るのはエルヴァンの日課の一つだった。


「おや、エルヴァンちゃん。久しぶりだねー」


 穏やかな風に毛並みを揺らしていると、懐かしい声が聞こえた。

 上から覗き込むように見つめる彼女に目線を合わせる。


「ミトラ?ミトラね!久しぶり!」


 その邂逅に思わず、エルヴァンの声は上擦ってしまう。彼女と会うのは実に十数年ぶりだ。

 友人ではあるものの頻繁に連絡もとりはしない。こういった気まぐれなきっかけで時々会うくらいの仲だ。

 彼女は個性的な魔女服にレース調の刺繍が入った上品な黒い日傘を差していた。


「エリーを眺めてたの?相変わらずだねぇ」


「わたしが彼女のことを考えない日などないよ。本当なら彼女について毎日語り明かしたいほどには」


「相変わらず愛されてるなー、エリーは」


 数年ぶりに会っても相変わらず、その魔女に一途なエルヴァンにミトラは微笑んだ。


 彼女はミトラ・エウガーデン。

 エルヴァンと同じく、友人(エリー)を知る古き魔女だ。


「ところで今日はお散歩?いい天気だもんねー」


「そういうミトラはなぜこの街に?わたしに用でもあるの?」


「そうだねー、エルヴァンちゃんに会えるかもってまずここに寄ってみたけど正解だったよー」


 ニコニコとしながら、クルンと一回り。

 猫が言えたことではないが、魔女らしからぬ少女的な立ち振る舞いの彼女に、エルヴァンは前足を顎に触れた。


「お天気もいいし、あなたはエリーが大好きだし、いるならここだろうとは思っていたけどね」


「たしか数年前訪ねてきた際もここだったわね」


「それだけ変わらないってことねー」


 言いながら、ミトラは隣に腰掛ける。真っ黒な傘は自分とエルヴァンに差した。


「それで用ってなあに?あなたの頼みだからある程度は聞くけれど、面倒ごとはごめんよ」


「大丈夫、前に頼んだ一緒に魔物を倒して欲しいなんて物騒なものじゃないから」


 にこやかにミトラが言うと、エルヴァンは数年前に同じような口調で魔物退治を切り出したことを思い出した。

 そういうことならば同等の面倒ごとかもしれないと予想する。

 だが、ミトラは当時のエリーを知る数少ない友人だ。無碍にはできない。

 エルヴァンは警戒するようにゴロゴロと喉を鳴らした。


「そう身構えないでー。実はねー、私数年前に弟子を取ったのよー。だけど、これから少しの間、弟子を連れ歩けない用事ができてねー、よければあなたに預かって欲しいのよー」


「にゃ?」


 予想外のお願いにエルヴァンは思わず猫の鳴き声を発する。エルヴァンは基本的に人の言葉で話すが、動揺すると猫の言葉が出てしまう癖があった。


「ミトラが弟子?悪いものでも食べたわね?」


「歳をとるとねー、そういう気まぐれも起きるってものよー」


 出会った時と変わらぬ顔でミトラは言った。

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