第60話 ただの友達じゃない

 それから僕は、もう少しだけひよりさんの家でお邪魔になることにした。

 汚れてしまったカーペットを洗ったり、今後のことについて少し話をしたり……というような時間の過ごし方だったが、楽しかったしひよりさんと一緒に居られて嬉しかったとも思う。


 ただやっぱり遅い時間までお邪魔し続けることはできなくて、時刻が夕方に差し掛かるかかからないかくらいの時間帯に僕はお暇することにした。

 名残惜しくもあるが、別に会おうと思えばいつでも会えるのだと……そう自分に言い聞かせながら玄関で靴を履いて立ち上がった僕へと、見送りに来てくれたひよりさんが声をかけてくる。


「今日は本当にありがとうね。あと、色々ごめん」


「謝る必要なんてないよ。十分、楽しく過ごせたしさ」


 やっぱり色々と気にしてるんだなと、そう思いながらひよりさんを励ましつつ、僕は彼女へと笑いかける。

 薄っすらと罪悪感を抱えているであろうひよりさんもどうにか笑みを浮かべてくれて、そこで僕たちは別れようとしたのだが……そこで、ひよりさんのお母さんが玄関に顔を出した。


「ごめんね。ちょっといいかしら?」


「お、お母さん!?」


 突然やって来て、声をかけてきた自分の母へと、ひよりさんが素っ頓狂な声をあげながら反応する。

 そんな娘のリアクションを無視して、ひよりさんのお母さんは僕を見つめながら口を開いた。


「さっきはちゃんと挨拶もできなくてごめんなさいね。ひよりの母親の、七瀬睦美ななせ むつみといいます。今日は、娘に付き合ってくれてありがとうね」


「い、いえ、こちらこそ、きちんとご挨拶もできずに申し訳ありませんでした」


 丁寧に挨拶をしてくれたひよりさんのお母さんこと睦美さんへと、僕は頭を下げながら言う。

 ただ、ここで呼び止めたのはこうして自己紹介と挨拶をするだけではないのだと……そのことをひしひしと感じる彼女からの疑念の眼差しから読み取った僕へと、睦美さんが質問を投げかける。


「それで、一応聞いておきたいことがあるんだけど……あなたとひよりは、どういう関係なのかしら?」


「……!」


 ――顔を上げていなくて良かったと、心の底からそう思った。

 多分、表情を見られる状況になっていたら、すぐに僕の異変に気付かれてしまっていただろうから。


 やはり踏み込んでくるかと動揺をどうにか心の奥底に押し込んだ僕が顔を上げれば、睦美さんがそんな僕を見つめながら話を続けてきた。


「圧をかけるみたいになってごめんなさいね。でも、年頃の娘を持つ親としては、娘が黙って異性を家に連れ込んでいたら気になるのよ。それが初対面の相手なら、なおさらね」


「……もちろん、理解できます」


「そうでしょう? ひよりが黙ってあなたを家に連れ込んだこともそうだし、名前で呼び合っていることも気になる。それに、本当に間が悪かっただけなのかもしれないけど、シャワーだって浴びていたし……親がいない間にそういうことをしようとしていたんじゃないかって、疑ってしまう私の気持ちも理解してもらえるわよね?」


 睦美さんの声には、疑惑の他にも焦りのような感情がにじんでいた。

 ひよりさんと江間が恋人という関係になることを望んでいる彼女は、そこに僕という名の障害物ができたのではないかと不安になっているようだ。


 ごくり、と息を飲んだ僕が口を開こうとしたその瞬間、その前に立ちはだかりながらひよりさんが会話に割って入ってくる。


「お母さん! 雄介くんに変にプレッシャーかけないでよ! あたしも悪かったところはあるけど、別に変な話じゃないでしょ? 電子レンジを取りに行くなら誰かに手伝ってもらえって言ったのは、お母さんじゃん!」


「それは、確かにそうだけど……」


「シャワーのあれもタイミングが悪かっただけだし、汚れたカーペットだって見たでしょ? あたしも雄介くんも嘘はついてないって!」


 僕を庇うように捲し立てるひよりさんの勢いに押されて、睦美さんが視線を泳がせながら口を閉ざす。

 やや強引だが、納得させるように僕の代わりに話をするひよりさんに対して……彼女は、最後に念押しするようにこう問いかけた。


「じゃあ、あなたと尾上くんは……なのね? そうなのよね?」


「……!!」


 びくりと、母親からの質問を受けたひよりさんの肩が震える。

 睦美さんは気付いていないのかもしれないが……彼女の間近に立っている僕の目には、そのわずかな反応が確かに捉えられていた。


(――ああ、そっか。そうだよな。嫌に決まってるよな……)


 少し前、お母さんが帰ってきて、そのすぐ後にひよりさんの部屋でした会話を思い返しながら、僕は思う。

 あの時、ひよりさんは僕のことを恋人だと紹介できなかったことに対して凹んでいた。それは僕も同じだし、あの状況なら仕方がないとフォローしたが……それじゃあだめだ。


 間が悪かったとしても、本当に予想できなかった事態だったとしても、僕がすべきことはそうじゃなかった。

 僕がひよりさんに告白したのは、彼女に嘘をつかせるためでも望んでいないことを言わせるためでもない。


 ひよりさんを笑顔にするために恋人という関係になったのに……こんな顔をさせてしまっては、何の意味もないじゃないか。


「えっ……? ゆ、雄介くん……?」


 何かを言おうとしたひよりさんの肩を掴み、そっと横に押す。

 再び、睦美さんと視線を交わらせるようになった僕は、深く息を吐くと……彼女に向かって頭を下げた。


「……大変申し訳ありません。先ほど、初めてお会いした時にきちんと話しておくべきでした」


「え……?」


 戸惑う睦美さんの声を聞いても、今度はもう迷わない。動揺もしない。

 顔を上げ、彼女の目を真っすぐに見つめ、一呼吸置いた後……僕は、堂々とその事実を述べた。


「僕とひよりさんは、ただの友達じゃありません。恋人として、お付き合いさせていただいています」


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