第48話 手を繋ぎながら、水の中を歩こう

「思ったんだけど、僕たちってこうして手を繋ぐのって何気に初めてじゃない?」


「えっ? あっ! 言われてみたらそうかも……! なんかちょっと意外だね!」


「そうだよね。あれだけ一緒に帰ったりしてるのに、こういうことはしてなかったんだなって思った」


「えっへっへ~……! ということはつまり、今日は初めての手繋ぎデートってことですな!」


「あははっ! そうだね。そういうことになるね」


 右手でひよりさんの左手を握り、彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩く。

 水族館に展示されている色とりどりの熱帯魚を見ながら会話する僕たちは、ちょっとした気恥ずかしさと楽しさにはにかみながら先へと進んでいった。


「そうかそうか。腕に掴まったことはあったけど、手を繋ぐのは初めてだったかぁ……!」


 そう言いながら、ひよりさんが僕の手を握る自分の手にぎゅっと力を込める。

 弾む声と嬉しそうな笑顔から彼女の僕が彼女の心境を感じ取る中、水族館の中を進んでいった僕たちの目に巨大な水槽が飛び込んできた。


「うわっ! でっけ~! 魚もいっぱいだ~!」


 前方の視界いっぱいに広がる大きな水槽を目にしたひよりさんが楽しそうな声で言う。

 群れを成して泳ぐ小魚たちやそれより一回り大きな中型の魚。そして、さらに大きなサメなどの大型魚が太陽の光を受けながら泳ぎ回るその光景は、圧巻の一言だ。


 自然の海に近しい環境にも思えるその水槽へと近付いていった僕たちは、目の前を回遊する魚たちを見つめながら口を開く。


「すっごいなぁ……! やっぱ、こういう大きな水槽を泳ぐ魚を見てると、水族館に来たって気分になるよね!」


「わかる。あと、イルカのショーを見た時もそうじゃない?」


「そうだ、それもあった! 今の話で思い出したけど、イルカショーって今日もやるのかな? 何時スタート?」


「三時半とかじゃなかったかな……? 後で確認しようか」


 目の前の水槽の中を泳ぐ魚たちについて話しつつ、この後の予定についても話しつつ……そうやって進んでいった僕たちは、その先にあった通路に差し掛かったところで感嘆に息を飲んだ。


 人が二人並べる程度の細さになっているその通路は頭上百八十度が水槽になっていて、周囲を泳ぐ魚たちを観察できるようになっていた。

 足元は水平なエスカレーターこと『動く歩道』になっていて、その上に乗った僕たちはまるで水中を散歩しているような気分になりながら周囲を泳ぐ魚たちを眺め始める。


「わわわっ!? 見て、雄介くん! エイのお腹だよ! エイのお腹!!」


 そう言いながら、僕たちの頭上をゆったりと泳ぐエイを指差したひよりさんが楽しそうにはしゃぐ。

 こういう、下から魚たちを観察できる形状の水槽だからこそ見ることができたエイの真っ白な腹を見つめた後にやって来た首を振って泳ぐシュモクザメに視線を奪われながら、彼女が不思議そうに言う。


「毎回思うんだけどさ、こういう大きな水槽にサメみたいな魚を入れても共食いとかって起きないってどうしてなんだろうね? 飼育員さんの躾の賜物的な?」


「う~ん……幾つか理由を聞いたことがあるような気がするけど、忘れちゃったな。でも確か、狩りをしなくても餌が貰えることを学習して、別の魚を襲わなくなるって話を聞いたような……?」


「あはははっ! つまり、なまけものになってるってことか! 環境に適応したというか、そういう状況に慣れたというべきか……ふふっ!」


 多分、水族館に行ったことのある人間ならば誰でも一度は思ったであろう疑問を口にしたひよりさんへと、同じことを思った時に調べた記憶を頼りにしながら僕が答える。

 その回答を聞いてくすくすと笑ったひよりさんは、水槽から僕へと視線を映しながら口を開いた。


「慣れるといえば……雄介くんもこうして手を繋ぐことに慣れたらさ、次から何も言わずに自然と手を繋いでくれるようになるのかな?」


「ん……! ひよりさんが望むなら、いつでもそうさせてもらうよ。僕も、そうしたいって思ってるからさ」


「えへへ~! 嬉しいこと言ってくれるじゃ~ん!」


 望みを叶えると言ったことを喜んでいるのか、それとも僕も彼女と手を繋ぎたいと言ったことを喜んでいるのか、どちらかはわからない。

 だけど、今の僕の答えをひよりさんが喜んでいることは確かで、笑顔を浮かべながら再び繋いでいる手に力を込めてきた彼女は、楽し気に声を弾ませながら僕へと言う。


「それじゃあ……お言葉に甘えて、雄介くんにはあたしのしたいことに付き合ってもらっちゃおうかな~!」


「……なんか、そう言われると若干不安になってきたな」


「にししっ! 後悔しても遅いよ! 残念ながら、拒否権を使わせるつもりはないからね!」


 僕の目には、そう言いながら小悪魔のように笑うひよりさんのお尻から尻尾が生えているように見えていた。

 先の発言の意味を上手いことずらされて利用されている気がするが、別に嫌というわけでもない僕は苦笑を浮かべながらひよりさんへと尋ねる。


「それで? ひよりさんは何がしたいの?」


「んっふっふ~! それはね――!」


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