「当たってるんじゃなくて、当ててるんだよ!」

「あ、当てっ……!?」


 やや上目遣いで、からかうような笑みを浮かべながらのひよりさんの言葉に、思わず息を飲む。

 そう言いながらさらに胸を押し当ててきた彼女の動きにはっとした僕は、咳払いをしてから歩き出すと共に口を開いた。


「か、からかわないでよ……! 僕、そういうのに慣れてないんだから……!!」


「あははっ! ごめん、ごめん! 憧れの台詞を言えるチャンスだったから、つい……」


「わかったから、腕を放してって! 離れた方がいいって!」


「それは無理! あたしが離れたら、雄介くんがまたずぶ濡れになるでしょ? だから、少しでも二人で傘の中に入れるようにこうするから!!」


 ぎゅ~っ! とひよりさんが強く僕の腕に抱き着けば、腕と肘に当たる胸の感触もよりはっきりと感じられるようになる。

 雨が降りしきる寒空の下、恥ずかしさに顔を真っ赤にする僕が頬に熱を感じる中、にや~っと笑いながらひよりさんが言った。


「ちょうどいい高さで良かったね~! 雄介くんも腕が楽でいいでしょ~?」


「逆に色々しんどいんだけど!? わかったからさ、そうやって強引に押し付けるのは止めてよ!!」


「よし! ならいいでしょう! ただし、少しでも気を抜いたらまたぎゅ~ってするからね!」


 そう言って腕の力を緩めてくれたひよりさんのおかげで緊張から脱することができた僕であったが、それでも完全に気が抜けるわけでもない。

 少なくとも、吹き付ける風と雨を避けるように身を寄せてくるひよりさんと僕の体は大分くっついていて、腕を掴む小さな手の感触も僕を緊張させてくる。


 ただ、その手の温度が随分と冷たいことにも気付いてしまって、思わずそのことを口に出してしまっていた。


「ひよりさん、手がかなり冷たいけど、大丈夫? やっぱりその恰好だと寒いでしょ?」


「あはは、そうだね。雨が降るって聞いてたし、今日は上着を着ておくべきだったよ」


 シャツの上からブレザーを着ている僕とは違って、ひよりさんは薄いシャツ一枚だけのようだ。

 雨に濡れた状態で冷たい風を浴びたら、凍えてしまうくらいに寒いだろうなと考えて彼女を心配する僕へと、今度はひよりさんが言う。


「……ごめんね、雄介くん。あたしのせいで大分無理させちゃってさ」


「えっ? なんでひよりさんが謝るの?」


「だって、あたしの歩幅に合わせたり屈みながら歩いたりしてるせいで、ペースが落ちてるでしょ? 雄介くん一人なら、もうバス停に着いててもおかしくないのにさ……あのお店に行こうって言ったのもあたしじゃん。雨が降りそうなら、もっと他のお店を選ぶべきだったよ。ごめん」


「そんな、謝らないでよ! 悪いのは僕たちの傘を盗んだ誰かであって、ひよりさんは悪くないって!」


「でも――」


 どうやらひよりさんはこの状況に責任を感じているようだ。

 彼女を思って気を遣っていたのだが、そのせいで僕に負担がかかっていると思わせてしまったらしい。


 先の胸を当ててきた強引な行動も、からかっているように見せて僕に無理をさせないように釘を刺すためにああしたのだろう。

 それを理解した僕は凹むひよりさんの言葉を遮って、励ましの言葉と正直な自分の気持ちを伝えていく。


「本当に気にする必要なんてないよ。僕だって天気が悪くなるって知っててあのラーメン屋さんに行くことに同意したし、ひよりさんの責任なんかじゃないって。それに……その、この状況も嫌じゃないっていうか、むしろラッキーっていうか……」


「え……?」


 きょとんとした様子でこちらを見上げてくるひよりさんの視線から、ついつい顔を逸らしてしまう。

 自分でも似合わないだろうなと思いながらも、僕は自分の正直な想いを彼女へと述べる。


「こうしてひよりさんと相合傘できて、男としては嬉しいっていうか、なんていうか……傘を盗まれたことはアンラッキーだけど、それを差し引いても十分プラスだなって思ってます、はい」


 くっつかれるのも、胸を当てられるのも、一緒の傘に体を縮こませながら入るのも……恥ずかしいが嫌じゃない。

 むしろひよりさんを普段より近くに感じられて、僕としては嬉しい限りだ。唯一、彼女が風邪を引かないかが気掛かりだが、そういった部分を抜けば、決して嫌なことではない。


「美味しいラーメンも食べられて、こうして相合傘をしながらおしゃべりできて、僕は楽しいよ。だから、ひよりさんが自分のせいで~なんて考える必要はないから」


「……そっか。雄介くん、あたしとこういうことできて嬉しいんだ。えへへっ、そうですか~……!」


 僕の言葉を聞いたひよりさんが、それを噛み締めるように繰り返し呟く。

 そうしたと思ったら静かに、だけど嬉しそうに声を弾ませながらぎゅっと腕に力を籠めてきて、体を寄せてきた。


 それがからかいではなく、親愛と喜びを示していることは僕にだってわかる。

 ほんの少しだけ冷えていたひよりさんの体が温かくなっていることや、彼女の顔がほんのりと赤く染まっているように見えたのは、僕の勘違いだろうか?


 そうしながら、雨の中を歩き続けた僕たちの前に、目指していたバス停が姿を現す。

 ありがたいことに雨を凌げる屋根付きのそれを目にした僕たちは少しだけ歩くペースを速めてその中に飛び込むと、ようやく一息ついた。


「屋根付きで助かった~! えっと、タオルタオル……!」


「僕、バスの時間を確認してくるよ。ちょっと待ってて」


 バス停に置いてあったベンチの上に鞄を置き、中身を漁り始めたひよりさんにそう言って、再び屋根の外に出る。

 置いてあったバス停の時刻表を確認した僕は、ささっと屋根の下に戻って今見た内容を報告しようとしたのだが……?


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