傘は一つ、僕たちは二人

「ごちそうさまでした。美味しかったです」


「ありがとうございました~!」


 テーブルを拭き、綺麗にしてから立ち上がった僕は、ラーメン屋の店主さんに挨拶をする。

 こういう時、ごちそうさまの挨拶は大事だ。作ってくれた人への感謝と敬意を示さなければ。


 と、ちょっとした癖みたいになっている挨拶をした後でお店を出ようとした僕であったが、そこで先に外に出ようとしていたひよりさんが大声を上げる。

 驚いた僕に対して、振り返った彼女は外の傘立てを指差しながら慌てた様子で言ってきた。


「雄介くん、ヤバいよ! あたしたちの傘、盗まれちゃってる!!」


「えっ!? あっ、本当だ……!!」


 そう言われて傘立てを見てみれば、確かにそこに刺したはずの傘たちがなくなっているではないか。

 風で吹き飛ばされるはずもないし、誰かが盗んでいったのだろうというひよりさんの言葉に同意した僕は、かなり強くなっている雨脚を確認しながら顔を顰めた。


「マズいな……流石にこの雨の中を歩いて帰るのはしんどいぞ……」


「ここに来るまで、近くにコンビニとかなかったよね? バス停とかも見当たらなかったし……」


 この辺りの地理には詳しくないが、見た感じはバス停もコンビニもなさそうだ。

 僕はまだ平気だが、この雨の中を薄着のひよりさんが歩くのは大変だろうと思いながら、どうにかできないかと考えていた僕は、不意に肩を叩かれて思わずそちらを振り返った。


「これ、使いな」


「えっ……?」


 振り返った僕は、自分へと差し出されたビニール傘を見て、それを差し出している強面の店主さんの顔を見て、二度驚いてしまった。

 交互に彼の顔と傘を見つめる僕に対して、店主さんが言う。


「こういう時のために、何本かビニール傘を用意してるんだ。ただ、今日は他のお客さんにも貸し出しちまったからな。この一本で我慢してくれ」


「いいんですか!? 助かります! ありがとうございます!!」


「感謝してくれるのなら、傘を返すついでにまたラーメンを食べに来てくれよ。二人一緒にな」


 顔は怖いが気のいい店主さんが、笑顔を浮かべながら僕たちへと言う。

 ありがたくそのご厚意に甘えることにした僕は、ついでに最寄りのバス停の場所も教えてもらってから店の外に出ると、ひよりさんに傘を渡しながら口を開いた。


「じゃあ、ひよりさんはこれを使ってよ。僕は走って帰るからさ」


 ひよりさんには傘を使ってもらって、僕は全力疾走でバス停まで向かう。これがベストな方策だ。

 ……そう、僕は考えていたのだが、ひよりさんは目を細めるとそんな僕に対してダメ出しをしてきた。


「何言ってるの? 雄介くんも使えばいいでしょ?」


「いや、傘は一本しかないんだから、僕が使うわけにはいかないって」


「だから、二人で使えばいいじゃん!」


 そう言いながら傘を開いたひよりさんが、そのサイズを確かめるように上を見上げる。

 僕から見ても、二人入れなくもないな……的なサイズだったそれを見て、うんうんと頷いた彼女は、傘を僕へと差し出しながら改めて言った。


「ほら、二人で使おうよ。あたし、雄介くんが無理してびしょ濡れになって風邪ひいたりするの、嫌だからさ」


「うっ、う~ん……わかったよ」


 少し気恥ずかしくもあるが、ひよりさんにそう言われてしまっては断るわけにはいかない。

 体の丈夫さには自信があるが、万が一にも彼女を悲しませるようなことにならないためにも、ここは恥ずかしさを我慢するべきだろう。


「えっと、じゃあ、行こうか」


「うん、よろしくね!」


 少し戸惑いながらもひよりさんから傘を受け取り、彼女と一緒にその中に入る。

 できるだけ彼女が濡れないように面積を広く、庇えるように傾けながら、横からの雨を少しでも防げるように少し屈んで歩く僕は、ひよりさんへと声をかけた。


「大丈夫? 傘の位置高いから、横から雨が入ってくるでしょ?」


「あたしは平気だよ! っていうか、そう言う雄介くんの方こそ少しは雨を防ごうとしなって! あたしを気遣い過ぎて、ほとんど浴びまくってるじゃん!」


「僕のことはいいから。ひよりさんの方が薄着なんだし、濡れて体を冷やさないようにしないと……」


「それはそうかもだけど……ええい! 遠慮し過ぎ! せめてもう少しくっつきなって!!」


「ちょっ!? ひよりさん!? わわっ!?」


 そう叫んだひよりさんが、急に僕との距離を詰めてくる。

 できる限り下げていた左腕を両手で掴み、少しでも傘に入る面積を増やすように僕にくっついてきた彼女は、ぴったりと密着しながら体を押し付けてきた。


 僕の二の腕を掴んで自分の側に引き寄せ、もう片方の腕で胸を下から支えるようにするひよりさんは、僕の左肘を自分の胸の谷間に挟むような状態にする。

 柔らかくて大きな胸の感触と、それを肘置きにしてしまっている状況に慌てた僕は、彼女の方を見ながら大声で注意した。


「ひ、ひよりさん! その、もう少し離れてもらえないかな……?」


「それはダメ。離れたら雄介くんがまたあたしを優先するだろうし、そしたらあなたが濡れちゃうしね」


「でっ、でも、胸が当たって――」


「ちっ、ちっ、ちっ……! それは違うよ、雄介くん」


 芝居がかった動きで指を振った後、僕へとしがみついてさらに胸を押し当ててきたひよりさんが言う。

 その感触に、腕から感じる彼女の体温に驚いて硬直する僕へと、ニヤリと笑った彼女は楽し気な声でこう告げた。


「これは当たってるんじゃなくって……んだよ」

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