第31話 君が本当に大切だから
「えっ……!?」
こちらを真っすぐに見つめながらのその一言に、僕は驚くことしかできなかった。
そんな僕の目を見つめながら、ひよりさんは畳みかけるように言う。
「脱衣所で下着、見たよね? 今、洗ってもらってるから……あたし、この下に何も着てないよ?」
「~~っ!?」
そう言いながら、ひよりさんが布団を捲り上げる。
空いているスペースを撫で、ここにおいでとばかりに視線を向ける彼女は、目を細めながら下着を着けていないことを告白した後で言葉を重ねていく。
「いいよ。あたし、雄介くんになら触られても、キスされても、それ以上のことも……嫌じゃない。雄介くんさえ良ければ……こっちに来て」
そう僕に言うひよりさんの顔は、暗闇の中でもわかるくらいに赤く染まっていた。
深呼吸の度に大きな胸が揺れて、落ち着かない様子を見せながらも体を動かすことはしていなくて、そんな相反しながらも何かを期待する眼差しを向けてくる彼女と暫し見つめ合った後、僕は言う。
「それはできないよ。だって、僕たちは友達なんだ。そういうことをする関係じゃあない」
「……うん、そうだね。じゃあ、さ――」
ハグも、あ~んも、間接キスも、全部許してきた。だけど、これは違う。これは明らかにそういった行為とは一線を画したものだ。
僕たちは友達だ。ひよりさんの望む行為は、そのラインを超えているものだと言って断った僕に対して、彼女は静かな決意を固めた声でこう返す。
「――もし、ここであたしたちが友達じゃなくなったとしたら……雄介くんが断る理由は、なくなる?」
「っっ……!?」
甘い、それでいて苦い誘惑の言葉だった。
今の僕たちの関係である、友達という言葉さえ取っ払ってしまえば、僕にためらいはなくなるのか?
そうしたら僕は、迷いなくひよりさんの期待に応えられるのか? という質問の答えは、考えるまでもなく出た。
静かに、息を吸う。静かに、息を吐く。
昂り続けていた心臓を落ち着かせるように深呼吸を行った後、僕を見つめ続けるひよりさんの瞳を真っすぐに見つめ返しながら……その答えを述べる。
「……それでも、僕は手を出さないよ」
「……あたし、そんなに魅力ないかな? それとも、雄介くんはあたしみたいな女の子は趣味じゃない?」
「そうじゃないよ。むしろ、今でも心がグラグラ揺れてるし、気を抜いたら手を出しちゃいそうになってる。でも、だからこそなんだ」
もしかしなくとも、ひよりさんは勇気を振り絞ってくれたのだと思う。その思いを無下にしてしまうことに罪悪感もある。
だけど、それ以上に優先しなければならないこともあると思う僕は、その気持ちを彼女へと伝えていった。
「大切にしたいんだ、ひよりさんのこと。僕たちはまだ、友達になって一か月も経ってない。仮に恋人同士だったとしても、そういうことをするのは早過ぎるよ」
「……あたしがそれを望んでるとしても、手は出せないの?」
「うん。だってここで告白してもらって、恋人になったとしたらさ……僕が本気でひよりさんのことが好きで恋人になったのか、それともただひよりさんの体が目当てで告白を受け入れたのか、わからなくなっちゃうでしょ?」
「……!!」
僕の返事に、ひよりさんが大きく目を見開く。
申し訳なさと譲れなさを抱きながら、僕はそんな彼女へと強い意志を見せながら言う。
「僕は優柔不断な人間だから、一緒に居続けたらきっとひよりさんを迷わせることもある。その時、もしかしたら最初から自分のことなんて好きじゃなかったのかもだなんて思ってほしくないんだ。それと、これはくだらないプライドだけど……江間と同じだって思われたくない。ひよりさんの顔と体だけが目当ての男だなんて、君にだけは絶対に思われたくない」
「……そっか。そうだよね。うん、そうだ。雄介くんはそういう人だ……!」
嬉しそうに見えて、悲しそうにも見える顔だった。でも、声からは納得の感情がにじみ出ている。
それでも、やっぱりここまで勇気を出してくれた彼女を拒絶してしまったことが申し訳なくて、僕は謝罪の言葉を述べた。
「ごめん。意気地のない男で……」
「ううん。雄介くんは何も悪くないよ。仁秀に浮気されたあたしを励ました時、言ってたじゃん。体で繋ぎ止める関係だなんて、恋人でも何でもない、って……わかってたはずだし、雄介くんと同じように少しずつ仲良くなっていこうってあたしも思ってたはずだった。なのに、こういう状況になって……もしかしたら神様がこういうことをしろって言ってるのかもって、そう思っちゃったんだ」
以前に僕が言った言葉を出しながら、ひよりさんが答える。
ぼふっ、と音を立てながら体勢を変え、天井を見上げた彼女は、自嘲気味にこう続けた。
「言い訳に聞こえるかもしれないけどさ……トラウマになってるのかも、仁秀に言われたこと」
「……捨てられたくなかったら、胸を揉ませろってやつ?」
「うん……そういうことを許してあげないと捨てられちゃうのかもなって、不安なんだ。だから、こういう絶好のシチュエーションで、あたしにはそういう意思があるよって見せて……そのままなし崩しに繋ぎ止められるかもなって、そう思っちゃった。むしろそういうことをしなくちゃ、雄介くんもあたしから離れていっちゃうかもって、そんな失礼なことまで考えちゃったんだ」
「……大丈夫だよ。大丈夫だから、不安にならないで」
「うん……ありがと」
仲良くなれていると思っていた。少しずつ、わかり合えていると思っていた。
だけど、もしかしたら僕はひよりさんの大事な部分に目を向けていなかったのかもしれない。
僕が思っている以上に彼女は江間に傷付けられていて、心に深いトラウマを抱えていた。
その部分をずっと見ていなかったのではと、こうして弱々しく不安を吐露し、そのトラウマが原因でこんなことをしてしまったと語る彼女を見つめながら、僕は思う。
だとするならば、僕がすべきことは――
「……幸せにするよ」
「え……?」
不意に発したその一言に、ひよりさんが驚いた様子で僕の方を向く。
さっきと逆だなと思いながら、静かに微笑みながら、僕は彼女を真っすぐに見つめ、こう続けた。
「きっと、ひよりさん自身も気が付いてないトラウマとか、そういうのがたくさんあるんだと思う。幼馴染としてずっと傍に居て、それから恋人になった男に裏切られたんだから、そんなの当たり前だよ。その傷が全部癒えるように、僕がひよりさんのことを幸せにする。全部過去のものだって、そう思ってもらえるように頑張るから」
「雄介くん……!」
「……どれくらい時間がかかるかわからないけど、ひよりさんが江間とのことを完全に振り切って、全部笑い飛ばせるようになったら、その時にちゃんと気持ちを伝えるよ。だから、もう少しだけ待っててほしいんだ」
「……うん。ありがとう、雄介くん」
ひよりさんの瞳に涙が浮かんでいるように見えたのは、僕の見間違えかもしれない。
ただ、その嬉しそうな彼女の笑顔を見るためなら、僕はどんなことでも頑張れるって……心の底から思った。
「あのさ……手、出してもらってもいい? あっ! 変な意味じゃないよ! お布団から手を出してほしいって、そういう意味! ちょっとだけ怖いからさ、手を握ってほしいんだ」
そうやって話に一区切りがついたところで、ひよりさんがまた別のお願いを口にした。
その後、慌ててそのお願いの意味と真意を説明する彼女へと、僕は笑みを浮かべながら応える。
「もちろんいいよ。はい、どうぞ」
「えへへ……! ありがとう」
僕とひよりさんの布団の境目。彼女の手が届きそうなところに手を置く。
嬉しそうにはにかんだひよりさんは僕の手に自分の手を重ね、ぎゅっと握り締めてきた。
「ふふっ……! おっきいね、雄介くんの手。すごく、安心する……」
ひよりさんが僕の手の指と指の間に自分の指を潜り込ませ、強く握ってくる。
所謂、恋人つなぎというやつを友達の僕たちがしているわけだが、今日は都合よくそのことをツッコまないことにした。
代わりに、小さくて暖かい彼女の手を包みこむように僕も手に力を入れる。
きゅっ……と、優しく強く握り返せば、ひよりさんはとても嬉しそうに微笑んでくれた。
「じゃあ、今度こそ寝ようか。ちょっと落ち着かないけどね」
「あははっ! 確かに! でも……できるだけ、こうしていたいな」
その気持ちは僕も同じで、それを伝えるようにちょっとだけ強くひよりさんの手を握る。
また微笑んでくれたひよりさんが同じように僕の手を握り返して……と、お互いに顔を見合わせて笑い合った僕たちは、相手の顔を見つめながら口を開いた。
「おやすみなさい、ひよりさん」
「うん。おやすみ、雄介くん」
その言葉を最後に、僕たちの間に静寂が流れる。
ガタガタと風と雨に吹かれる窓がうるさいけれど……今日はいい夢を見られそうだと、小さなひよりさんの手を握り締めながら、僕はそう思った。
―――――――――――――――
第一章のお話も残り六話となりました。
なんの気無しに書き始めたお話がこんなにも沢山の方に読んでもらえるだなんて思ってなかったので、とても嬉しいです。
あと三日間、最後までお付き合いください。
よろしくお願いします。
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