第7話
「夏目の大バカヤロウはいるかあ!!!!」
火を見るより明らかな首謀者を捕えるべく俺は一年七組の教室に怒鳴り込んだ。
しかし、見渡しても大バカヤロウの姿はない。噴き上がっている俺に驚き困惑している生徒の顔が見えるばかりだ。クソが。
「……あ、あの。三組の春日井くん、ですか?」
執拗に教室を見回していると、小柄な女子がおそるおそる声をかけてくる。見返すと露骨にビクッと怯えられてしまったので、さすがに自省して一度深呼吸をする。
「……すまん、わるかった。言う通り、春日井だけど」
「ええとあのあの……これ、夏目さんから預かってて……」
そういって彼女──長野さんというらしい──はキャラ物の便箋をおずおずと差し出した。なんでも午前中に「三組の春日井が押しかけてきたら渡して」と夏目から押し付けられたとか。
……俺はつとめて微笑みを絶やさないようにしながら長野さんに尋ねた。
「わざわざありがとう。ちなみに夏目本人は?」
「あっはい。なんか四時限目の途中で早退して……それとその。伝言もあって」
──ごめん、昨日言うの忘れてた♡
それを聞いた瞬間、舌をペロリと出して悪びれない笑顔を浮かべた夏目の姿が脳裏に克明に再現され、俺は微笑んだまま便箋をぐしゃりと握り潰した。長野さんは「ぴえっ……!?」と怯えていた。ごめんて。
◎
ひとけのない中庭のベンチで俺はぐしゃぐしゃになった便箋を開封した。
中に入っていたのは折り畳まれたA4用紙が3枚。ノートを破り取ったと思しきそれの一枚目をまず開くと、
『春日井くんへ
さすがにはちゃめちゃに怒られる未来が見えたので、こうして手紙で伝えることをお許しください。
伊藤先輩から告白された話はしましたね?
やはりというか、お断りしたものの伊藤先輩はあきらめてくれませんでした。罪な女でごめんなさい。
なので、伊藤先輩が野球部のエースということを踏まえ、昨日の放課後にあたしから条件を出しました。
もしも一年生の春日井藍くんと野球で勝負して勝てたなら、その告白をお受けしますと──』
「…………落ち着け。まだ早い。破るな。紙にあたってもどうにもならないだろ」
必死に自分に言い聞かせる。なんだこの一行ごとに怒りの込み上げる怪文書は。新手のメンタルトレーニングか?
しかし合点がいった。伊藤先輩のあのあからさまな態度は──口にするのもおぞましいが──恋敵に向けるものだったようだ。こんな妙な条件を出された時点で「おや?」と疑問符がつきそうなものだが……
俺は頭痛を覚えながらも続きに目を通す。
『勝負形式:三打席勝負
伊藤先輩の勝利条件:三打席で抑えること
春日井くんの勝利条件:三打席以内に出塁すること
※ただし、四死球になった場合は出塁にはせず、ストライク・ボールカウントのみをリセットするものとする』
「一丁前にそれっぽいルールまで用意しやがって……」
他人の立場で眺める分にはおもしろい見世物になりそうなルールではある。問題はなぜ俺が当事者として打席に立たにゃならんのかというその一点に尽きた。
「バカバカしい。こんなもん自分で打て──……ん?」
『ここまで読んだ春日井くんは、きっと「おまえが自分で打てやアホボケカス」くらいに思っていることでしょうが……』
見透かしたような文章は2枚目に続いているようだった。紙をめくる。
『あたしもそう思います。ので、そのつもりです。先ほどの内容は、あくまで先方に伝えた勝負条件。あたし達の真の勝利条件はまた別にあります。そしてそれは、春日井くんの利益にもつながっていくものです』
また妙なことを言い出した。わけがわからん。
これ以上は読むだけ時間の無駄だと、腹いせ混じりに手紙を破り捨ててやろうと指に力を込めたそのとき──けして無視できない問いかけを目にしてしまった。
『ねえ春日井くん。秋本真昼さんとの関係を修復したくはない?』
◎
その日の放課後16時、俺は約束通りノコノコと野球グラウンドに顔を出しているのだった。
グラウンドには野球部以外にもなにやら大勢ギャラリーが詰めかけており、バックネット裏に密集地帯を形成していた。『女を巡って野球部のエースと勝負する一年のバカがいるらしい』なんて噂が流れでもしたのだろう。娯楽に飢えた暇人どもめ。
そんなギャラリーに見守られながら、ブレザーだけ脱いだ制服姿のまま借り物のヘルメットをかぶった俺は恋敵(嘔吐)と対峙する。
「ふん、逃げずに来たようだな春日井。その度胸は褒めてやる」
「はい、ありがとうございます。今日はどうぞよろしくお願いします」
「? 昼のときよりやけに低姿勢だな……言っておくが、手加減なんぞしてやらねえぞ。覚悟しろよ」
野球の練習ユニフォームに着替えた伊藤先輩は相変わらず敵愾心むき出しで、握手を求めても拒絶された。
しかし俺には彼への敵意などもはやない。なぜなら俺も彼も夏目勇那というアホに踊らされている被害者なのだから。相憐れむべき同類ですらあるし、なんなら派手に負けてあいつを引き取ってもらいたい気持ちすらある。
まあ、そういうわけにもいかなくなったのだけども。非常に残念なことに。
「ところで、肝心の夏目さんはどこだ? 勝負を彼女に見届けてもらわないことには話が……」
伊藤先輩がキョロキョロとギャラリーの中を探すが、夏目の姿はなかった。
早退したという話だったが、あの手紙の通りならそんなわけはない。必ずどこかに──
「あたしはここにいますよ、伊藤先輩」
声に振り向くと、いつのまにか夏目がそこにいた。ブラウスにリボン、それからスカートの下に体育の長いズボンを履きこんでいる。加えてヘルメットをかぶりながら立つ場所はネット裏ではなく、グラウンドの三塁側ファウルゾーン……コーチャーズボックスと言われる走塁の補助者を配置する場所だ。
身も蓋もなく言えばトロフィーの立場にある人物の登場に気付いて「夏姫キタ!」「夏姫マジ女神」などとバックネット裏も湧き立……いや待てあいつ姫とか言われてんの? きっしょ。呼び始めたやつ目も頭も腐ってるぞ大至急病院行け。
「おお、夏目さん! よかった、いてくれて安心したよ。ところでなぜそんなところに? 打球が飛んだら危ないぞ?」
「気をつけますのでご心配なく。勝負の様子はここからが一番よく見えるので」
……ああ、なるほど。たしかに右投手の伊藤先輩も左打者の俺も、観察するならそこが特等席だ。
ふと俺と夏目の視線が合う。夏目は笑顔でぱちんとウインクしながら口パクで「がんばれ」と言った。俺もまた笑いながら口の動きだけで「死ね」と返した。偽らざる本音だ。夏目は腹を抑えて震えだす。笑ってんなよ殺すぞ。
「そうか? まあいい。俺が飛ばさせなければいい話だ。なんにせよ、しかと見届けてくれよ夏目さん。俺は必ずこの男に勝ってみせる!」
堂々宣言してマウンドに上がっていき、投球練習を始める男・伊藤。か、勝たせてやりてえ……! 諸事情により勝たなきゃいけないけど、本当に……!
複雑な思いを抱きながら対戦相手のボールを観察していると、今度は捕手の方から話しかけられた。
「なあ、春日井ってもしかして、軟式で中学全国制覇したっていう春日井か?」
「……一応そうですね。よくご存知で」
「後輩から噂でな。監督以上にチーム仕切ってるやばい中坊がいたって。俺はシニア出身だからよく知らねえけど。……おまえなんで野球部入らねえの? 硬式でメッキ剥がれんの怖がってる感じ?」
いっそ清々しいほどのシニアマウントだ。俺は適当にほほ笑んでおく。
「さて。伏見先輩の想像にお任せします」
「ふうん? なんでもいいけどよ、簡単に海斗のボール打てるなんて思うんじゃねえぞ。あいつのストレートは一級品──……ん? 俺、名前言ったか?」
首を捻っている捕手はさておき、借りたバットを軽く素振りする。近年導入された低反発性の金属バットだ。従来の金属バットより打球速度も飛距離も下がる。ぶっつけで扱えるかどうか。
「────さて」
左打席に入り、ぐるりとグラウンドを見渡す。
マウンドには伊藤先輩、その後ろにはきっちり野手が全ポジション揃っている。俺の後ろにいる伏見先輩も含めて、昨年秋大会のスタメンと同じ顔ぶれだ。こんな茶番に付き合ってわざわざご苦労なことだが、そのわりには全員気迫がみなぎっている。
自分の状態を確認する。体調よし。機嫌悪し。因果の魔眼使用不可。夏目戦で使った未来視の過負荷から回復させるため現在封印中だ。回復目安は一週間、つまりあと四日ほどこのままである。
とはいえ通常視力に影響はない。ので、普通に野球をする。それだけだ。
マウンドで伊藤先輩がロジンバックを使いながら「確認するぞ春日井」と声を上げる。
「ルールは聞いてるな? 三打席勝負だ。一度でも塁に出たらおまえの勝ち、抑えたら俺の勝ち。四死球は出塁なしで打席をやりなおすって話だが……せめてもの温情だ。おまえが希望するなら四死球でも出塁扱い、つまりおまえの勝ちってことにしてやってもいい」
よほど自信があるのか、みずからハンデを申し出る伊藤先輩。つくづくかっけえなこの人。どうして夏目なんぞに惚れてしまったんだか。
「いいえ、決めた通りでけっこうです。はじめましょう」
そのルールは必要なものだ。変えるわけにはいかない。
伏見先輩の後ろについた球審がプレイのコール。
俺はバットを左肩の上にかまえる。伊藤先輩はサイン交換の後、両手でボールを保持してゆっくりとモーションに入る。
ワインドアップのオーバー寄りスリークォーター。振りかぶって、投げた。
「!」
ズバン! 耳元で乾いたミットの捕球音。ほとんど顔面に浮き上がってくるようなインハイのストレート。俺は上体を逸らして見送った。球審は当然ボールのコール。
「おっと、わるいわるい」
返球しながら伏見先輩が言うが、もちろんサイン通りの球だろう。
初球から攻めてきた。球速とインコースへの印象づけ。先日の夏目戦との明確な違いはここだ。捕手のリードのあるなしで投手の力は何倍にも増幅する。
続けて二球目。今度は曲げてきた。インコースに鋭く食い込んでくるスライダーを見送る。やや怪しいが球審はストライクのコール。球審も野球部員だ。判定はあちらに寄るか。
「おいおい。振らなきゃ当たんねえぞ?」
後ろから煽ってくる伏見先輩。ごもっとも。
伊藤先輩がテンポよくモーションに入る。さて。
ここまで緩急もつけて執拗にインコースを印象付けてきた。セオリー通りならアウトコースに散らして空振りを取りに来そうなものだが──
「ふっ──!」
気勢とともに放たれるストレート。やはりインコース。
カアン! やや逸った快音。左肘を畳み腰の回転で押し出したスイングが一塁線にライナーを放つが、早々にファウルグラウンドへ切れていった。
「残念。追い込まれてしまいましたね」
「……お、おう。そうだな」
マスクを取った伏見先輩の歯切れ悪い反応。1球目は露骨な印象付けで、2球目は同時に俺のインコースへの反応を見たかったのだろう。それで俺がピクリともバットを動かさないから「こいつインコース捌けないんじゃね?」と疑ってカウントをとりに来た。
しかしあいにくインコース打ちは得意分野だ。伊藤先輩のストレートはたしかに速いが、あいにく直近でそれ以上のストレートにやられたばかりでもある。簡単に空振りなどしてやれない。
とはいえカウントはワンボールツーストライクで追い込まれたのも事実。球審の甘い判定も加味するとこの状況はすこぶる不利だ。……さて、ならば。
「しかしなんというか……伊藤先輩、あんまり伸びてませんね」
「……あ?」
フィッシュ。
「一球ファウルにしたくらいで攻略できた気分か? 調子のんじゃねえぞ一年坊主。あいつのマックスのストレートはもっと──」
「球が伸びてない、という話じゃありません。去年から伸びてないという話です」
「は……?」
「このくらいのストレート、去年の夏と秋の予選でも投げてたじゃないですか。身長もちゃんと伸びてるのに投球に反映できてない」
実際、そんなことはない。しかし俺は気にせずイチャモンを続ける。
「この様子じゃ50球を超えると内角の制球が甘くなり始めるクセも改善してるかあやしい。……扱いづらい相棒を持つと大変ですね。リトル時代から女房役の伏見先輩?」
言うだけ言って前を見る。後ろではやや間があってから荒々しくマスクを被って座る音。仕込み十分だ。
球審がプレイ再開のコール。伊藤先輩がサインを交換する。ここまで淀みなく終えていたが、今回はわずかに意外そうな表情を浮かべ、しかしすぐに頷く。信頼し合ったいいバッテリーだ。
──放棄した俺の計画において、伊藤海斗と伏見康平の二人はキープレイヤーだった。
シニア出身でありながら強豪校には進学せず、自分達の力で地元の無名校を全国へ連れて行こうと夢見るおさななじみのバッテリーコンビ。俺ならその夢に力を与えられるし、それは俺自身の実績作りにもなると踏んで調べ尽くした。
先ほど伏見先輩に渡したのはその情報の一部だ。知られているとわかればリードも変わる。「成長がないな」と自慢のエースを笑われた捕手は、さて決め球に何を選ぶ?
先ほどストレートに対応してみせたことも踏まえると──おそらく新球種。
昨年秋時点での伊藤先輩の持ち球はストレート・カーブ・スライダー。予選で勝ち上がって対戦したシードの強豪校からなかなか空振りを取れずに苦戦していたことも考えれば──
伊藤先輩の四球目。腕の振りはストレートと同じ。しかし握りと球速がそれを否定している。30キロ近い落差の見事なチェンジアップ。
「──ナイスピッチ」
ヤマ的中。引きつけて引きつけて、低めのボール球なのも構わずスイング。
カアン! という流す快音。バットの先ですくいあげるような打球は三塁手の頭を超え、フェアゾーンにバウンドして回転で逃げるように外野ファウルゾーンへ転がっていく。長打コースだ。
俺は一塁を回り、レフトからの送球が届く前に余裕を持って二塁まで到達した。ツーベースヒット。
バックネット裏から歓声が上がる。伊藤先輩はマウンド上でがくりと膝をついて「クッソおおおおお!」と叫ぶ。いっそ気持ちのいい悔しがりようだ。
……勝ちは勝ちだが、ズルと運で勝ったようなものだ。伊藤先輩の内角への制球は安定感があった。普通ならあれでまず怯む。ストレートの球威も変化球のキレも高校レベルなら十二分以上。伏見先輩が冷静により球数を使ったリードをしていたら危うかったし、最後のチェンジアップとて、もっと外角に投げ込まれていたらバットが届かず空振り三振だっただろう。
こうしたほんのわずかな差が一瞬の明暗を分けるのも野球の醍醐味。どうあれナイスピッチだ。未来あるバッテリーコンビに心から賞賛を送りたい──
──ブオン! ブオン!
…………などと勝利の余韻にひたっているところ、やたら主張の激しいスイング音を響かせるヤツがいた。
夏目である。
素振りしながら歩くトロフィー様が何食わぬ顔で打席の方に向かっていることに周囲も徐々に気づき始めたのか、ざわめきの質感が変わる。
「いい投球、いい打撃、いい勝負でした伊藤先輩。──ええ、ここで終わらせるのがもったいないと思っちゃう程度には」
「……夏目さん? いったい何を……」
「勝負続行といきましょう。ここからが本番ってことで。そもそも付き合う付き合わないって話で、結果をよそに預けるのも違うなって気がしてきましたし?」
左のバッターボックスに立った夏目は、マウンド上で戸惑うエースに挑戦状を突き付けるようにヘッドを向ける。
なら最初から巻き込むなボケ、というツッコミを俺は二塁ベース上でつとめておさえねばならなかった。
「ルールはほぼ同じです。伊藤先輩は変わらず三打席を抑えることが勝利条件。ただこちらのゴールだけ変更します。すなわち三打席以内に──」
──打点を上げること。
夏目がその条件を口にした瞬間、さすがにグラウンドの空気が変わった。具体的には体感気温が5度は低下した。
「…………それは。君が俺から点を取りにくる、という理解でいいのかな?」
伊藤先輩の声は一目惚れした相手にかけるものとは思えぬほど底冷えしていた。
おまえから点を取ってみせると、エースに向けて
いや、まあ。理解していたとてあいつはやるか。やるな。
だって笑ってるもんあいつ。野球部連中から殺気に近いものを向けられてむしろ爛々と目を輝かせてるもん。
「その理解で合ってます。ただこちらが勝手にルールを変えるわけですし、景品も上乗せしましょう。もしこちらが負けたら、夏目勇那はマネージャーとして野球部に奉仕することも約束します。三年間しもべのように使ってもらってかまいません」
夏目の宣言にバックネット裏の暇人たちがどよめく。なにやら余計おもしろいことになってきたとスマホで動画撮影をはじめる者も出てくる始末だ。これほど証人がいたら取り消しはきくまい。
「あ、ただいっこだけ。点を取りに行くのはあたしじゃなくて、あたしたちです」
そういって夏目が視線を送った先はバックネット付近にある円状の白線、いわゆるネクストバッターズサークル。そこにはいつのまにやら準備万端の打者がバットを杖にしてしゃがみこんでいた。上下体育ジャージ姿の女子だ。目深にかぶったヘルメットの奥から静かなまなざしでフェアグラウンドを見つめている。
……夏目の便箋、その三枚目の内容は手紙ですらない。
それは手書きのオーダー表だった。一番・春日井、
「二番・夏目。三番・秋本。──この打順で手合わせいっちょう、よろしくお願いします!」
打線で勝負すること。つまりはそれが今回の夏目の
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