第6話

 とりあえず、場所をリビングから俺の部屋に移した。いろいろ勘ぐっていそうな母の好奇の視線から逃れるためだ。


「ちょいちょい春日井くうん、女子二人をいっぺんに自分の部屋に連れ込んでいったいナニするつもりなのかなー。てかだいじょうぶ? エロ本ちゃんと隠してる? もーやめてよねうっかりベッド脇に開きかけで置いてたりとかいろいろ垣間見えそうな感じの…………あらやだすごい綺麗に整頓されたお部屋。性格出てるわー」


 つまんねー! と唇をとがらせる夏目を無視して、俺は普段はしまっている折り畳みのローテーブルと来客用の座布団を準備し、ふたりに落ち着いてもらう。挙動不審にあちこち部屋を眺め、勢いクローゼットまで物色しようとしていた夏目の襟首つかんで座布団まで引きずる手間も発生したが些事としておく。


「元気だったか、真昼」


 膝を崩して座る真昼は、夏目と同じブレザーの制服を着ている。

 同じ学校に進学したのはもちろん知っていた。学校で姿も見ている。それでも話す機会は待てなかった状況が今の距離を物語る。


「質問がお母さん。……ん、まあ元気だよ。普通に」


 うつむきがちにほほえむ真昼は、野球をやめたこともあってか髪を伸ばし、より女性らしい身体つきに成長していた。前ははじけるほどだった快活さも鳴りを潜め、表情もどこか憂いを帯びている。

 聞いた話では、夏目と並んで学年でもトップクラスの美人として数えられているらしい。夏目とは対照的な雰囲気プラススタイルの良さでファン層は二分している、などというしょうもない話も聞こうとせずとも聞こえてきた。


「学校はどうだ。クラスにはなじめたか」

「だからお母さん。適当にやってるよ。ひとに合わせるのは得意だし」

「そうだったな。真昼は昔からチームでもうまく……いや、うん」


 転がそうとした先の話題につい口をおさえる。何を話しても話が野球に転がりそうになる。

 真昼は現在帰宅部だ。ソフトボール部に入るでも野球部でマネージャーをやるでもなく、球技自体から距離を置いてるように見える。わざわざそちらに話を転がすのは気がとがめる。

 すこし思案して、そういえば、と俺は真っ先に聞くべきだったことをたずねる。


「なんで夏目と一緒に? クラスは違うけど、知り合いだったのか?」

「ううん。顔と名前くらいは知ってたけどね。今日は近所で会って」

「近所……このへんで?」

「なんか探してる風だったから声かけて。そしたらアオちゃんの家を探してたみたいだったから」

「だからってわざわざ連れてこなくても……」

「なんで? 最近よく一緒にいるんでしょ? 聞いた話だけど」


 にっこり笑ってこころなし語気を強める真昼。……遠くから様子を伺っているのは俺だけじゃなかったらしい。


「……それで、夏目はなにしにきた? 家を教えた覚えはないが」

「お。喋っていい感じ?」


 水を向けると、珍しく空気を読んだのかスマホとにらめっこしていた夏目がぱっと顔を上げる。

 

「黙りたいならそれでもいいぞ。回れ右して帰ってくれたらもっといい」

「家は春日井くんの後輩ズに聞いたの。後輩ズも知らなかったみたいだから先輩ズに教えてもらったらしいけど」 

「あいつらか。余計なことを……」

「ちなみになんだけどさ、春日井くんが小学生の時にチームメイトだった女の子ってルンちゃんで合ってるよね? あそこに飾ってる写真の子ってそうでしょ?」

「る、ルンちゃ……? ……あ、まひの? そこから取られたの初めてだな……」


 突然の愛称に目を白黒させている真昼はさておき、小学生で日本一になった当時のチーム集合写真を指されては隠しようもないので俺はうなずく。


「ししし、なるほどなるほど。それならますます都合がいいや」

「あのな。詮索しにきただけなら帰れよマジで」

「いやいや、ちゃんと用はあるんだって。ただそれを話す前に──まずはこちらをご覧ください」


 なんらかのイベントの司会者のごとき口ぶりで、夏目は自分のスマホをうやうやしくテーブルに置いて画面をタップする。

 怪訝に思いながら見てみれば、なにやら動画の再生が始まっていた。

 

 ──金網の向こう、いずこかの野球場。晴天の下に対峙するのは左投手と左打者。投手はなぜかグローブをはめないまま、堂に入ったフォームで投球を──

 

「……うわ。すごいストレート」


 思わず、といったふうに漏らしたのは真昼だ。身を乗り出して食い入るようにスマホを見つめている。


「え、これが女の子の球……? あ、でもコースが全部甘いとこ……これはキャッチャーの問題かな……だとしたらコントロールも尋常じゃない……それにしても、バッターの方もあんなファストボールよく当て続けて……、……?? あれ、このピッチャーとバッター……って……?」


 はたと気づいたように顔を上げて唖然と俺たちを見る真昼。

 それを気まずく受け流すように、俺は非難がましい視線を夏目に向ける。


「……おい。夏目、これって」

「よく撮れてるでしょ? あたしも驚いた。いるもんだね、野生の腕利きカメラマンって。スカートの下にちゃんと短パン履いててよかったわー」


 あの勝負が撮影されていた。

 野球好きは野球選手より圧倒的に人口が多い。たまたま野球好きが通りがかった公園で野良勝負をしていたから思わずカメラを向けた、というのはまあありうる話だ。……その行為者が、勝手に動画サイトの類にアップロードしてしまう可能性まで含めて。

 我ながら周りが見えていない。勝負に集中し過ぎだ。不覚。

 ご丁寧にも動画は撮っていた。一打席目の初球から投球と投球の間、俺のセンター前ヒットから特大ファール、そして夏目の集中コンセントレーションから金属バットを折られるところまで余すことなく無編集ノーカットで。距離があるせいか言い合いの声までは拾えていないのは幸いだ。余裕でお互いの名前出てるからな。

 

「──なに、いまの」


 戦慄した声は最後の投球を目の当たりにした真昼ものだ。無理もない。何度でも主張させてもらうが、金属バットは普通折れねえのだ。

 いやそんなことより。

 スマホを操作して確認する。動画のタイトルはごたいそうに『魔球少女』。アップロード時間は一昨日の夜。再生数は――うわ。


「百二十万再生っておまえ……」

「SNSの方はもっとすごいよ? 特に最後の一球だけ切り抜いた投稿はインプレッションだけで二千万……あ、もう三千万超えてる。投球間隔を省いて編集したやつとか球速解析したやつとか子動画孫動画いろいろ出てるし、この調子だとまだまだバズりそうね」


 めまいがした。それは同時に俺の凡打の瞬間もその規模でさらされているということでもある。ちくしょうめ。


「まあ、なんぼ再生されようとそこは正直どうでもいいんだけど」

「どうでもいい数字ではないだろこれは……」

「いやどうでもいいっしょ。たとえ億に見られたところであたしたちにゃ一円も入らんし。──それよりも、


 にやりと笑う夏目。……こいつ。


「昨晩と今日の暇な時間にざっくり反応コメント眺めた感じ、ほとんどにとってこれはただの激ヤバめちゃ速ストレート。つまりあたしの聖剣のインチキ光もあんたの対抗魔法も何も見えてない。互いが衝突して生じた余波の音だけは聞こえてるっぽいけど、この世界の人間に魔力由来の現象を正しく認識する機能がないみたいね。後輩ズに聞いて確認したとおりだ」


 たしかめていたのか。俺と同じように、こいつも。

 

映像データきかいのめでもそれは一緒ってことがこれで証明された。魂と脳の紐付き方の問題なのかな? 多層化して折り畳まれた情報をうまく解凍できてないっていうか……細かい理屈はまあいいんだけど。つまり何が言いたいかというと」

「……つまり、おまえのあの球を反則球として処理する手段はないに等しいってわけだ」

 

 魔球というものについて考える。

 たとえばの話、念動力によって通常の回転と空力ではどうやっても起こりえない変化球を投げたとする。球審は確実に反則球を疑うはずだ。球の表面を磨くシャインボールや泥を付着させるマッドボールなどが候補になるか。実際に球にそういったしるしが確認できなくとも、映像で明らかに不自然な変化をしていれば反則とみなされる可能性は高い。

 そこへいくと、さて、夏目のあの投球はどうか。

 聖剣のバフは付着物といえなくもないが肉眼でもカメラでも視認できない。しかもボールの軌道に変化はなく、映像で見たとしてもほどに暴力的なだけのストレートだ。反則扱いされる可能性は極めて低いといわざるをえない。

 一球の消耗が著しいこと、そもそもあんなん捕球できるキャッチャーなんざいるかボケ、等々いくつかの問題点に目をつむれば、あれはのひとつであり──万が一あらゆる課題をクリアして多投できるようになったなら、まさに無敵だ。世界大会決勝での完全試合すらも夢物語ではなくなる。だってあんなの前に飛ばせねえもん。

 

「はいはいおめでとおめでと。せいぜいこれから毎日走り込んでクソほどスタミナつけるこった。はーやってらんねえなクソ。けっ」

「え、なに。急に態度わるっ」

「わるくもなるわこんなもん。この堂々公然チート野郎が」

「その悪口かなりブーメランな気がするけど……や、てかちがくて。あたしが言いたいのはこのへんのこと! ほら見てこれ!」


 夏目が動画サイトへのコメント欄をスクロールしていくつか見せてきたテキスト。投球に対する驚き、投手の女子に対する好奇心が大多数を占めるなかで、


「……発光現象への言及に、マウンド・ホームベース間に突如出現したについての指摘……おい、これって」

「そう。ごく少数だけど見えてるやつがいるの。きわめつけはこれ」


 一段と長いスクロールの先で、夏目はぴたりとひとつのコメントを指し示した。


『聖剣?』


 野球の動画に対してするにはうわごとも同然な、その言葉を。


「わかるでしょ? よ」


 同郷。すなわち勇者イサナと魔王アスールと出身を同じくする転生者。

 ありうる話だとは思っていた。夏目に会った日以来、どこかにいてもおかしくはないと。

 でも、こんな形であぶりだされるのは想定外だ。


「マジか…………あー、クソ。マジでか……」


 天井を仰いで思わず悪態をついてしまう。

 魔王と勇者。言ってしまえばそれは前世で憎まれっこランキングを堂々独走したふたりだ。そんなツートップがなにやらふたりして生まれ変わっているとこの動画は知らしめたことになる。

 そのうち動画から場所も特定されて……いやもうされてそうだな……あーーーやだやだ考えたくない。百パー厄介ごとになる。めんど。どうしよ。だんだん腹が立ってきた。なんてことしてくれやがったんだこの無断投稿野郎は。


「来るだろうね。遅かれ早かれ、誰かしら。こっちが望む望まざるとにかかわらず。だから────ねえ、秋本真昼さん?」


 そこで夏目はどうしてか、そういって真昼の方に向き直った。ほぼ置いてけぼりになっていたであろう真昼は当然「わ、わたし……?」と面食らった反応。


「あたし野球チームを作るんだけどさ。一緒にやらない?」

「い、いきなり何……?」

「おま……はあ!? なんでそんな話になる!」


 立ち上がった俺に対して夏目は「まあ聞いてよ」と手で制しながら、


「最近初めてやったんだけど、野球っていいよね。なにがいいって、本気でやって勝っても負けても誰も死なない。それなのに、

「────」


 思わず黙り込んだのは、薄く笑う夏目に気圧されたからじゃない。

 してしまったからだ。不覚にも。

 刹那の斬り合いにも似た投打の勝負のわかりやすさ。一球ごとに思考を凝らすことで生まれる攻防の奥行き。血を流さないだけでそれは命のやりとりにも似ている。


「急な話なんだけど、あたしと春日井くんの……なんだろう、昔の友達? みたいなお客さんが今後たずねてくるかもしれなくてさ。わりと高確率でどっちかに恨みを持ってる感じなんだよね」


 それは友達ではないだろ断じて。


「そのひとたちと方法として、野球がいいんじゃないかなってあたしは思うの。もしよかったら、そのとき一緒のチームで戦ってほしいんだ」


 ……なるほど。言い方はともかく、夏目の意図はおよそ読めた。

 仮に勇者と魔王を知る者がわざわざたずねてきたとして、まず間違いなくそれはどちらかに思うところのある者だ。夏目の言う通り九割怨恨だろう。

 だが、前の世界と同じノリで安直に殺し合ったところで、お互いつまらないことになるのは明白。かといって話し合いだけで満足して帰ってくれるとも考えづらい。

 なので、殺し合いのに野球で穏便にボコり合えばいんじゃね? と夏目は考えているわけだ。


 うん、なるほどなるほど。突拍子もなくばかばかしいようで案外よく考えられた──……いや考えられてるか? ほんとに?

 他の転生者とも野球やってみたいがためにそれっぽいこと言ってるだけだったりしないか?

 というかこいつ、さりげなく俺がチームに入るのを確定事項のように語ってない? 詐欺師か?


「ってまあ、わけわかんないだろうこと長々言っちゃったけど要は『野球しようぜ!』って勧誘したいのです。この冷血かすがいくんとおさななじみなルンちゃんがどんな野球するか興味あるし!」

「おまえいま何に俺の名前でルビ振った?」

 

 侮辱的なニュアンスを感じ取ったぞこのやろう。

 ……こんな誘いに真昼が乗るはずもないが、断りやすさというのはあるだろう。一応フォローはしておくか。


「流していいぞ真昼。聞いてわかるとおり、夏目はたいがいおかしなやつだ。いまさら野球に戻ろうとも思わないだろ。それが草野球ならなおさらだ。イヤなことはイヤとはっきり言ってやれ」

「いいよ。やる」

「まあそうだよな。夏目、そういうわけで真昼は──……真昼さん?」


 なんて?


「そのチームに入る。わたしも夏目さんがどんな野球するか興味あるから」 

「は──」

「っしゃあああああチームメイト一人目ゲット! これからよろしくねルンちゃん!」


 ローテーブル越しに真昼の手をとってきゃっきゃとはしゃぐ夏目に、真昼も苦笑しながら応じる。


「うん、よろしく。でもそのルンちゃんっていうのはちょっとやめて」

「えー似たこと言うじゃんおさななじみ。いいけどさ。……あ、そういえばー」

 

 その流れを呆気にとられながら見ている俺に向かって、夏目はにやりと底意地のわるい笑みを浮かべて言ったのだ。


「ごめーん、春日井くんってばまだチームに入ってくれてなかったねえ。おさななじみの秋本さんは入るみたいだけど──どうするの?」



 俺は答えられなかった。

 ただふたりを追い出すことで結論を先延ばしにして、翌日の学校でもまだ頭を抱えていた。


「どうなってんだよいったい……」


 わからない。どうして真昼は受け入れたんだ。

 彼女は野球はやめただ。中学でクラブをやめて以来、関わることも避けていただ。だから高校だって女子野球部のないこの学校を選んでいるで──


「…………クソ。わかってるよ、全部憶測だってことくらい」

 

 秋本真昼に対して因果の魔眼を使ったことは、ただの一度もない。

 両親が夫婦になる以前の恋愛遍歴すらうっかり覗いたことはあっても、彼女にだけはこの眼が向かぬように強く意識して絞ってきた。

 ああそうとも。特別だからだ。大事だからだ。おそらく家族以上に。おさななじみや異性という枠も超えて。

 だがそのこだわりがいま、まわりまわって俺の首を絞めている。


「それもこれも全部、夏目のアホのせいだ……!」


 その八つ当たりめいた怒りをしずめるために、その日の昼休みの食事はひとけのない場所でひとり済ませた。かろうじて心を落ち着かせながら教室に戻る。すると入る前にクラスメイトから声をかけられた。


「お、戻ってきたな春日井。おまえどこ行ってたんだよ。探したぜ」

「ちょっと気分転換。……金森、どうかしたか?」

「おまえに客だよ。先輩の。いないなら待つっておまえの席に居座っちゃって、まいったよ。何やらかしたんだ春日井」


 心当たりのない俺は金森に肩をすくめて見せながら教室に入る。

 たしかに、俺の席を占領している男子がいた。周りのクラスメイト達も困惑した様子で遠巻きにしているそいつは、見覚えのない……──いや。


「こんにちは伊藤先輩。俺に何か?」


 声をかけると、腕を組んで俯いていたその人物がギロリとこちらを睨んでくる。

 伊藤海斗。シニア上がりの現野球部二年生エースそのひとだ。


「おまえが春日井か。……ヘラヘラ余裕ぶりやがって。なめてんのか? あ?」


 立ち上がるなり、176センチの俺を見下ろす角度で強めにガンつけてくる伊藤さん。さすがいい体格してらっしゃる。

 ところで、なぜかいきなり敵意むきだしだ。マジで何?


「猿じゃあるまいし、わけわからん因縁つける前に会話しましょうよ。まさかキャッチボール苦手ですか? それでよくピッチャーやれますね」


 やべ、イラついて普通に敵意をセンター返ししてしまった。おのれ夏目。

 伊藤先輩の敵意が殺意レベルにまで膨らんだものの、結局それが視線以外の形で放出されることはなかった。たっぷり二十秒は俺にガンつけてからゆっくりと身を引いて舌打ちをし、


「その威勢、後悔するなよ。……ともかく、放課後だ。16時にグラウンド。用具は貸してやる」

「? ……??」


 放課後? グラウンド? 何を言っている?


「……あの、伊藤先輩? すいません、何を言われてるのかさっぱり……」

「いまさらとぼけて勝負から逃げようったってそうはいかねえ。──いいか!」


 俺に指先と暑苦しいまなざしを向けて、伊藤先輩は威風堂々耳を疑う宣言した。


「今日おまえに勝って──!」

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