第2話
高校に入学して一週間が過ぎた。
担任とクラスメイトに恵まれたのか、教室の空気は良好だ。
中学校からの知り合いはいなかったが、友達と呼べる相手も両手の指で数えられる程度にできなじみつつある。
友達の定義はひとによるだろうけれど、春日井藍のなかでは挨拶を交わせて笑って話せればとりあえず友達にあたる。関係の浅い深いは今後の付き合いにこうご期待って感じ。これくらいゆるく定義していた方が、いろいろ円滑に進んでくれる。
ともあれ日々に過不足はなく、生活はおよそ順調だった。
「おっすー! ハルちゃん元気ー?」
心底忌々しいこの女のことを除けば、だが。
「あの、春日井君、また……」
クラスメイト達となごやかに交流していた食事中、教室の入り口でアホみたいにでかい声を出すどこかのバカのせいで教室の空気が静止する。
「………………ふぅぅぅぅ」
視線がバカとこちらに集中してなにやら固唾をのんでいるなか、俺はつとめて冷静に息を吐いてから「ごめん、俺ちょっと席外すね」と言った。
自作の弁当を手早く片付けて教室を出る。バカとは逆の入り口を通って。
「は!? 待て待てまた逃げんの!? 何度目!?」
追いかけてくる声までバカでかい。
とがめられない程度の速足で廊下、階段、渡り廊下と移動していき、第二校舎には入らず中庭に逸れる。
ほかに誰もいないのを確認しつつ、空いたベンチに腰を下ろして空間を囲った。
「だから待ちなって────おん?」
立ち止まって不思議そうな顔をする女の声は聞こえない。このままではこちらの声も伝わらない。だから俺は可能な限りベンチの端に寄りながら、反対側の端っこを示した。話したければそこに来いと。
女は得心したように手をたたき、特にためらいも気負いもない足取りで囲った空間に侵入してきた。
「へー、空間魔法。そっちも使えるんだ」
なつかしー、とぼやきながら巡らせたその視線は、普通は見えない空間の境目を正確になぞっていた。踏み込んできたのは意外だったが、この女ならそれくらいは当然やるだろう。
前世の俺を打倒した、勇者イサナの生まれ変わり。
制服はブレザーを腰に巻いてブラウスを着崩し、ショートの髪は明るい茶色に染めている。校則ゆるめの学校とはいえ、入学まもない一年生がするにはまあまあ大胆な恰好といえなくもない。
やや童顔だが目鼻立ちはしっかりしていて、クラスメイトに言わせれば学年でもトップクラスにかわいい方らしい。スタイルはいいが胸がないのが玉に瑕とも聞かされた。知ったことではないが。
そんな夏目は指図通りベンチの端に足を組んで座り、背もたれに図々しく腕を広げながら言う。
「で、これなに? 盗み聞き対策? あたしらの会話なんて誰も興味ないと思うけど……あ、遮音だけじゃなくて認識阻害も織り込んでる。おいおい、白昼堂々エッチなことでもする気かー? ハルちゃんってばやーらしー」
「まず、そのふざけた呼び方を改めろ夏目勇那」
「え、なんで。いいじゃんハルちゃん。読みに合わせるとカスちゃんになっちゃってちょっとアレだけど、ハルならかわいいし。あ、それとも前世に合わせて呼び方考えてほしい的な? ちょい待ち考える。んー、じゃあ、魔王アスールにちなんで……」
「なれなれしく愛称なんぞで呼ぶなと言ってるんだ。昔の話も軽々しく持ち出すな。変な誤解を受けたら面倒…………待て。そっち『も』?」
引っ掛かりを覚えて口に出すと、夏目は薄いピンクの唇をにやりとゆがめて俺を指さした。
正確には、俺の眼球を。
「あるでしょ? 因果の魔眼。対象の因果・連なる過去・導かれる未来まで読み解くズルの眼。敵を手近な地中海底に片っ端から叩き込む空間魔法に並んで魔王アスールの象徴ともいえるヤベー力。入学した日、あたしが勇者イサナだってそいつで気づいたんでしょ?」
おかげであたしも気づけたけど、などとうそぶく夏目。
思わず舌打ちしそうになるのを俺は抑えながら、
「……あれは意図しない暴発だ。強すぎる因縁は、ときおりそうした誤作動を呼び起こす。おまえのことなど誰が好んで視るものか」
「ふうん? まあ、あんたぶっ殺したもんねあたし。これ以上の因縁もそうないわ」
「そもそも、この体は前と比べ物にならないほど貧弱だからな。前のように魔眼を使うのはとうてい不可能だ。せいぜい一日一回が限度。恒常的に因果視なんか多用すればあっというまに脳がパンクして廃人だ」
「? 聞いてもないのに弱点さらすじゃん」
「勘のいいおまえ相手に隠し通せるとも思わん。探られるだけ面倒だ。魔王アスールは間違いなく勇者イサナに殺された。ここにいるのは世を脅かす力も意志も残していない、魔王と呼ばれた敗者、その断片未満の搾りかすがせいぜいの只人だ。──それでも掃除しておきたいっていうのなら、抵抗くらいはさせてもらうが」
視線に殺気をこめてにらみつけるが、受ける夏目の態度は涼しいものだった。
「んーそういうのよくない? めんどいめんどい」
「…………」
「うっわ、疑りぶかい目。……あのさあ、魔王アスールが死んで生まれ変わったように、勇者イサナだっておっ
「なら、どうしてわざわざ俺に絡んで来ようとする」
「そこはほら、昔の知り合い見つけたら『うっわ奇遇! やば! なつかし!』って感じになるの普通じゃん? 話くらいしたくなるでしょ」
「自分でぶっ殺した相手にどのツラ下げて……いや、わかった。もういい」
どうやら本気で言っている。ここまで殺気をぶつけても、敵意のかけらすら返ってこない。
そう確信すると、警戒している自分がかなりバカらしく思えてくる。やる気がなくなった俺は、ベンチの背もたれに頬杖をつきながら適当に結界を破棄した。防音効果がなくなり、中庭にまで届く校舎内の喧騒が耳をくすぐる。
「まあ血なまぐさい昔のことはお互い置いといてさ。ハルちゃんにいっこ聞いてみたいことあって……あれ、結局ハルちゃんでいい? カスちゃんにしとく?」
「どちらも却下だ。春日井と呼べ」
「ガード堅いなあ……それでね? 聞いた話なんだけど──『天才マネージャー』って何?」
…………気を抜いたとたんにこれだ。このやろう。
「ハル……春日井くんのこと知ってるってクラスメイトから聞いたんだけど、なんか野球? の小学生チーム? でマネージャーやってたって話じゃん。女の子もいたってチームで、日本一になったとか? すごいじゃん。しかもその立役者が選手じゃなくて、当時マネージャーだった春日井くんとかいったいどういう──うっわ、急に不機嫌そうな目こわっ。どしたの」
「夏目、おまえ、何組?」
「七組っすけど」
「一年七組……ああ、うん。なるほど」
情報の出所として思い浮かぶ顔が二・三人ある。口止めしておかなかった俺のミスだ。
「たしかにマネージャーはやっていた。日本一にもなった。軟式だけどな。天才どうのは知らん。運で勝ったようなものだからな」
「なんでマネージャー? 選手でしょ普通。マネージャーで天才まで言われるのもよくわかんないし」
「チームにいた女の子っていうのがおさななじみだった。その父親に頼まれて、お目付け役みたいなことをやってたんだよ」
小学生のチームに女子がまざるのは今時珍しくないが、それでも競技人口は男子が圧倒的なのが野球というスポーツだ。親として不安を感じるのも理解できた。
その役には選手よりマネージャーの方が適していて、やるからには手を尽くした。全般的に役立ったのは『因果の魔眼』だ。堆積した過去を覗けば味方の人心掌握はたやすく、敵チームの弱点も厄介なエースの泣き所も一目で把握できる。制限はあっても使いどころを選べばじつに便利な能力だ。
結果として、俺はチームメイトも監督コーチも懐柔して正しい意味でチームの
大所帯を育成・コントロールするのは魔王時代を思い出してなかなか楽しく、まあ、その、楽しむあまりやり過ぎた感も否めない。なにより影から支配してる感じがとてもよかった。いいよね支配。
もっとも、そこまでできすぎた結果になったのは体格面で優位な選手がたまたま複数いたからというのもある。小学生レベルでは技術よりフィジカルがなにより物を言うし、本来そうした選手は大体硬式にいく。運で勝ったとはそういう意味だ。
「よくわかんない、という感覚は正しいよ。結果を残したのはチームであって俺じゃない。ほめられるべきはあくまで選手たちだ」
「野球、自分でもできるの?」
「やろうと思えば人並み程度にはな」
「ちなみに今は部活って入ってる?」
「精力的に帰宅する部活動に所属中」
「高校ではやらんの? 野球」
「精力的に帰宅してるのがもう答えだろ」
「ふうん……?」
夏目はなにやら考え込む。
時計を見ると、昼休みもそろそろ終わる。思いもよらず長引いたがそろそろいいだろう。
「もういいな。俺は教室に──」
「ねえ春日井くん!」
「……なんだ?」
中腰の体勢で反応してから後悔した。無性にいやな予感がしたのだ。
俺の予感を裏切らず、夏目はとびきりのイタズラを思いついた子供のように目を輝かせて言った。
「野球しようぜ! 放課後、あたしと!」
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