第7話 姉妹の分岐点
妹は激しい感情を隠すことも、押し殺すこともしなかった。
目の前で姉の体が強張るのが分かる
彼女は思う。どうして分かってくれないの。どうして私だけを見ていてくれないの。どうして。どうして。
時代と世代が一昔前、水恵の王と火燈の王の間には友好関係が結ばれていた。お互い使者を送り合い、商人たちが行き交っていた。お互いの豊かさを分かち合い、譲り合い、助け合っていた。
水恵には1人の王子が、火燈には2人の姫がいた。王たちに連れられ、歳の変わらない子供達3人もまた同じように仲良く育っていった。
「お城の地下にはね、大きな火が燃えているの。とってもキレイだから、時々こっそり見に行くの」
「熱くないの?」
「部屋はちょっとだけ暑いんだけど、平気よ」
「へえ。それが火燈にとっての源なんだね」
「みなもと?むずかしいことは、よく分からないわ。茉莉花《マツリカ》なら知っているかも!」
「じゃあ、後で茉莉花に聞いてみようか」
「うん!茉莉花はなんでも知っているのよ!」
「茉莉花はすごいんだね」
「そう!茉莉花は本当にすごいの!」
無邪気な妹姫は、水恵の王子の事が好きだった。そして、2歳上の姉姫である茉莉花の事が大好きだった。毎日、姉の自慢をしたくて仕方なかったが、城の皆はもう充分に茉莉花の素晴らしさを知っていた。だから、こうして城の者以外の人間に自慢の姉の話をする。
月日は流れて、火燈には新たに双子の王子が生まれ、3人の子供たちは成人の儀式を迎えた。水恵の王子は妹姫の撫子《ナデシコ》に結婚を申し込んだ。
「私と共に水恵の国に来て欲しい」
「いやよ。茉莉花と離れたくないもの」
「でも、茉莉花とこれから先ずっと一緒にいるなんて出来ないよ?」
「出来るわ!だって茉莉花は約束してくれたもの。ずっとずっと私と一緒にいてくれるって約束したもの」王子と話しているうちに、撫子は無性に茉莉花の顔が見たくなった。声が聞きたくなった。触れたくなった。
撫子にとっては、目の前の王子より、茉莉花の方が何百倍も魅力的なのだ。会いたいと願うと、茉莉花は必ず撫子を探しに来てくれた。
「撫子?」
「茉莉花!」茉莉花を見て、撫子は駆け出した。
「撫子に呼ばれたような気がしたのよ」
「ええ!私、茉莉花を呼んだわ!」
「そう、良かった」そうニッコリと笑った茉莉花を、撫子は本当に愛おしく思った。
「茉莉花の方が大事だって、さっき撫子にフラれたよ」王子はそう笑いながら2人の元へやって来た。
「だって茉莉花と離れては、生きていけないんですもの」
「私も、撫子と離れたくないわ」
「なら2人で私のお嫁さんとして、水恵においでよ」
「あら、良い考えね」3人はそう言い合い笑い合った。
どこまでも高い空は、雲一つかかることなく、上へ上へと透き通り、空と大地の間を風が優しく通り抜ける。
やがて、本当に2人して水恵に嫁ぎ、2人して子を宿した。
「茉莉花の子供と、私の子供は、あの人を通しても血が繋がっているのね。これからもずっと、本当にずっと、茉莉花と一緒ね」撫子がうっとりした顔でそう言った。普段なら「そうね」と優しく返してくれる茉莉花が、黙って自分を見ていることに気づく。
「どうしたの?」撫子の問いに、茉莉花は答えない。「どうしたの?具合でも悪いの?」心配そうに自分を見つめる撫子の視線から逃れるように、茉莉花は横を向いた。
「茉莉花?」
「撫子、私はこの城を出るわ」
「え?」
「もう、一緒には居られないのよ」
「え?だって…もうすぐ子供が産まれるわ」
「ええ。この子が生まれる前に、私はこの城を出ていくわ」
「どうして!!」撫子は叫ぶと同時に、茉莉花の頬を両手で挟み自分の方に向けた。
「どうしてそんな事を言うの!!ずっと一緒だって約束したわ!!」
「撫子、私たちはこれ以上、一緒にはいられないのよ」
「茉莉花っ!!」
撫子は意識が飛ぶような感覚を味わっていた。茉莉花が、茉莉花の声で、もう一緒にはいられないと告げる。あんなにも、生まれてずっと、片時も離れずにずっと一緒にいた茉莉花が、自分と一緒にいたいと思っていない。怒りと混乱で、撫子の体が熱くなっていく。体が燃えるように熱い。吐き出す息も、溢れる涙も、何もかもが熱い。激しい感情が自分の中で渦巻き、外へ飛び出そうとしているかのようだった。そして、撫子はその感情を抑えようとは思わなかった。
「撫子…」いつも微笑みかけてくれていた茉莉花が、今は眉をよせ、恐れるような顔で自分を見ている。撫子にはその理由が分からない。
「だめよ、茉莉花。離れないで」そう言って差し出された撫子の手から逃れるように、茉莉花は後退りをする。
「どうして…どうして私から逃げるのっ!私には茉莉花しかいないのに!茉莉花にも私しかいないのにっ!!!」撫子は更に感情を爆発させた。熱い。燃えるように熱い。けれと、心地いい。全てを解き放ったように。
撫子はまたゆっくりと茉莉花に手を伸ばした。その手は炎に包まれている。自分が火魔法の適応者だと言うことを知る。自分にも魔法が使える。「源ね」いつかの記憶がよみがえり、撫子は自分にしか聞こえないような小さな声で呟いた。でも、今はそんな事はどうでもいい。自分から離れていく茉莉花を、どんな事をしても捕まえておかなければ。
「やめて…なで…し…こ」
か細い茉莉花の声が撫子の耳に届いた頃には、茉莉花はオレンジ色した炎に包まれていた。茉莉花の髪が、服が、肌が焼けていく。花びらを燃やしたような臭いが辺りに漂う。
「やめろ。カスが」低く怒りを含んだ声が響いたかと思うと、撫子は気を失いその場に崩れ落ちた。声を発した男は、茉莉花のそばに駆け寄る。焼け焦げても茉莉花は息をしている。生きていることに、男は安堵のため息をもらした。
「何をやってる」
「これでいいのよ」
「私はお前の外見も含めて愛しているのだが?」
「それは、愛ではないわ。きっと」
「なら、愛とは?」
「愛とは…撫子」顔の半分が焼けただれながらも、茉莉花は涼しげな顔でそう笑った。
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