第6話 義眼の記憶
睡蓮は、昔も今も変わらない。
葵は窓辺に座り、少し向こうにある横顔を眺めながら思った。
最近、左の義眼の調子が悪くなってきていたので、睡蓮に調整をしてもらっているところだった。細いドライバーでカチャカチャと小さな音を立てながら、睡蓮は葵の義眼を触っている。
「どうかした?」睡蓮は視線を上げることなく、葵に尋ねる。
「なんでもない。睡蓮は変わらないなって思っただけ」
「歳は取ってるよ。一応ね」睡蓮は口の端に小さく笑みを浮かべながら、そう答えた。葵は「一応」という言葉を頭の中で反復する。どんな魔法かは分からないが、睡蓮に流れる時間は、他の人のそれとは違う速さなのだろう。
小さい頃、葵はよく魔法で遊んでいた。
物を浮かせ、自分も浮かび、水を舞い上がらせては虹を作り、風を回してはシーツを大きく波打たせた。
魔法は1人で1種類を扱えればいい方で、同時に、また、色々な魔法を使える人間は誰もいなかった。その上、この水恵では見ない漆黒の髪色をした葵を、皆が誰の子かと噂をし始めるのに時間はかからなかった。
ある日、城をこっそり抜け出した葵は、小高い丘の上にある古城へ向かっていた。すると突然、森の中で数人の盗賊に殺されそうになったことがあった。手にした剣を振り回す盗賊たちに恐怖した葵は、1人の盗賊を舞い上がらせると、地面へ落とし潰した。別の盗賊は、体が風船のように膨れ上がり、破裂して死んだ。残りは刃物のような風に体を切り刻まれて死んだ。
それは葵にとって、無意識の魔法であり、初めて誰かを殺した瞬間だった。盗賊の恐怖と、目の前の惨劇の恐怖が、葵を混乱状態にさせた。刃物のような風は止まらず、空からは炎と氷が代わる代わる降り注いだ。
森の異変を知った衛兵たちは、急ぎ丘の前の森に向かった。しかし、木々が倒され、その真ん中で空を見上げている葵に、誰1人として近づけなかった。
「なんだ…これは」「やはり、化け物だったんだ」
「どうやって止めればいいんだ」
「姫を…殺すしかないだろう」兵長が決断する。
何人かが、葵を拘束する魔法を唱えたが、拘束出来そうな気配は全くない。他の者は、森に火が広がらないよう、炎を消すために魔法を使った。しかし、葵が生み出した炎も氷も一向に消える気配がない。「どうやっても敵わない」という、今までに味わったことのない恐怖が、半数の衛兵たちを狂わせた。炎に飛び込み焼かれる者。小さな竜巻に身を切り刻まれる者。自らが死を選択したのか、引き寄せられたのか、飲み込まれたのか。葵の周りには死体が増えていった。
少し遅れて駆けつけた睡蓮は、その場の惨状に眉を寄せた。
「兵長、姫に何をした」
「わ、わ、たしは、なに、なにも、なにも!!」
「私の姫に、何をした」睡蓮は兵長を静かに睨みつける。その瞬間、兵長は口から泡を吐き倒れた。睡蓮はそんな兵長を汚物を見るかのような目で見下ろした。
睡蓮は自分の体を防御魔法で包むと、炎と氷の雨の中、足元に転がる死体を気に留めることなく、それを踏みつけ、まっすぐ葵の元へ足を進めた。
炎と同じ物量の氷を降らしているせいで、熱くも寒くもない。そして、木が燃えることも、土が凍ることもない。ただ、自分に敵意を向ける人間を殺しているだけのように思えた。
「大丈夫だ。眠れ」睡蓮が葵の耳元でそう囁いた瞬間、葵の体は力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。同時に、葵が放った全ての魔法が消えた。自分の足元で眠るように倒れている葵を見て、睡蓮は嬉しそうに笑った。
残り半数の兵隊がざわついている方へ目をやると、睡蓮は共にこの場所へ来た男に声をかけた。
「柘榴《ザクロ》聞こえるか?」
「はい。睡蓮様」
「今からお前の周りにいる兵を眠らせる。この森の被害は大したことない。皆、遠征の途中で魔物に襲われた。薄汚い兵長も、この周辺に転がっている奴らも、皆が魔物にやられた。そして、姫には小さい頃に左目を病気で失った。と」
「はい。仰せのままに」
睡蓮がこの場にいる全員を眠らせると、柘榴は魔法を唱えた。皆の体を黒いモヤが包み始める。柘榴は夢に誘い、その者の記憶を書き換える事の出来る夢観の力を持っていた。先ほど睡蓮が言った情景を皆に見せ、記憶を書き換えていく。書き換わったものから、黒いモヤは消えていった。
葵の身体からも、黒いモヤが完全に消え去った。「さて」睡蓮はそう言うと、葵を宙に浮かべた。そして自分の中指を舐めると、葵の左目に押し当てる。目玉がひとつ、トロンとこぼれ落ちた。それを手のひらで受け止めると、睡蓮は目玉に凍結の魔法をかけた。
「さ。調整ができたよ」その言葉に、葵は窓辺から立ち上がり睡蓮の横に座り直した。睡蓮は葵の頬に手をやり、親指と人差し指で瞼を開けた。眼球が収まるその場所は、魔法を施した真っ白な液体で満たされている。そこに義眼を押し込むと、義眼の物量分の液体が溢れ出た。まるで涙のように伝落ちるそれを、睡蓮はゆっくりと舐めた。「いいよ。自分でふける」くすぐったいよと、葵は睡蓮から体を離す。
「ありがとう、睡蓮」
「どういたしまして。調子が悪くなったら、またおいで」睡蓮はそう言うと、葵を送り出し、先ほどの液体の後味を口の中で確かめた。
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