(名前負け)勇者、皇女の掌の上にあり

「うッ、ゲホッ……!」


「っ、忠輝!」



 ──ラミアの声にハッと目を開ける。刹那、心臓が止まったように錯覚した。勢いよく殴られたみたいな衝撃が俺の脳髄を襲って、それが余計に火照っていた意識を冷ましていく。



「あっ……え……?」



 俺に馬乗りになっていた男が、口元から血を漏らしていた。咳き込むたびに吐血して、射殺しそうなほど鋭い視線でこちらを睨みつけている。ナイフを握った手に力はなくて、やがてゆっくりとした動作で地面に落とすと、俺にもたれかかったまま動かなくなった。



「ひッ……!」



 思わず後ずさりする。無数のナイフ。それが男の背中に突き刺さっている。

 ラミアが……やってくれた? この状態で? ギリギリのところで? 



「いや……えっ……?」



 心臓が痛いくらいに拍動して、安堵しているはずなのに手が震える。手汗を拭う余裕すらなくて、目の前で見た人間の血そのものが、吐きそうになるほど気持ち悪かった。平衡感覚を失いかけている俺の意識に、つんざくようなラミアの声が、警告が、また聞こえる。



「──危ないっ!」



 彼女のことを拘束していた取り巻きの男が、なぜか俺の方に指先を向けている。本能的に手で遮ろうと顔を守った。頭上で雷光が瞬いて、それが鉾のように降り落ちてくる──刹那、



「うわ……!?」



 それよりも速く、槍が男の背後をかすめていく。意識を取られた一瞬の隙にラミアは拘束を解くと、そのまま地面に突き刺さった槍に雷光をまとわせ、力の限り男を殴打した。



「ッ、く……!」


「ったく、この変態……」



 倒れた男を一瞥しながら、彼女は何事もなかったかのように佇まいを戻す。それから俺の方に鋭い目つきを送ったかと思うと、歩調を緩めずにこちらへと向かってきた。


 ヤバい。さっきボロクソ言ったの怒ってる? 殴られる? 今度は俺の番か……!?

 咄嗟に身を引いて距離を取った。



「っ、ねぇ──!」


「なん、だ、よ……」



 ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ、首元が苦しかった。回された腕は温かくて、抱きしめられていると気付くまでに時間がかかった。優しいとしか言いようのない感触。首筋に拭きかかる吐息がくすぐったくて、胸の感触が……なんてニヤけてしまうのは、我ながらバカだ。



「あっ、あの……なに……?」



 気持ち悪い笑い声を抑えながら、甘い匂いのするラミアのうなじに問いかける。

 彼女は少しだけ落ち着くように間を開けると、か細い声で呟いた。



「怖い思いさせて、ごめん」


「……いや」


「あたし、本当はあんたのこと試してた。命の危機に直面すれば、もしかしたら本能的に魔法が使えるんじゃないかって。あんなやつ、あたし一人でも簡単に倒せるほどだったし」


「はっ……? どういう、え、それってお前──」



 咄嗟にラミアの肩を掴みながら彼女の顔を見る。バツが悪そうに目を逸らされた。



「……ごめん、怒られて当然。さすがにその、触られた……のは、びっくりしたけど、でも、油断させれば一気にいけるって思ったから。あんたのこと、殺させるわけないし」


「──っ、んだよ……」


「……ごめん。人のこと試して、最低、だよね」



 罪悪感に苛まれたような顔で、彼女は俺から距離を取る。一歩、二歩と後ろに下がると、胸のあたりをギュッと握って服に皺を作った。こういう時、どう答えていいか分からない。



「別に、俺は……そんなことまったく気にしてないから」


「……嘘までついて、否定しなくてもいいし」


「嘘じゃないって! 確かに本気で死ぬかと思ったよ。ギリギリまで助けてくれなかったって思っちゃったよ。だけど、そうじゃなくてさ……なんだ、理由って、あるじゃん」


 歯切れの悪い俺の言葉を、彼女はやや気まずそうな面持ちで聞いている。



「俺の能力を開花させるため、とかさ。なんていうか、その……本気で気にしてくれてるんだな、って。ラミアのことは信頼してるし、どんだけ強いかってのはなんとなく分かった。だから、助ける気があったって最後に教えてくれるだけで充分なんだよ。それくらい強ければ、無謀な賭けでもなんとかなるんだろうなって思えるからさ。……そういうこと、だよ」



 言ってるうちに恥ずかしくなって、目を逸らす。それと同時に彼女は顔を俯けると、無言のまま手を持ち上げた。やがて小さな嗚咽が聞こえて、俺はまた目の前に立つ少女を見る。


 眦から零れる涙を必死に拭いながら、ラミアは気に入らないような口調で叫んだ。



「っ、なんで……そんなに、優しいの? あたしはっ、あんたのこと……!」


「……弱いうちは、守られることしかできないし。それくらい許せるよ」


「うぅ……そういうところっ! なんか……ひぐっ……すっごくムカつ、く……っ!」



 指先を俺に向けながら、溢れる涙を手の甲で拭いつつ反抗される。忙しいやつだ。


 素直じゃないな、と思い思い、俺は一歩、二歩、と前に出た。睨まれたけど、多分それは、彼女なりの照れ隠しなのかもしれない。だから無視してラミアの手を取る。



「……なに、よ」


「その──ありがとう。俺のこと、守ってくれて。すっごく嬉しい」


「……本当に、怒ってない?」


「うん」


「……魔法の練習、頑張る?」


「もちろん」



 ノータイムで頷く。



「……じゃあ、これからも、守ってあげる。もう、こんなことしない」



 少しだけぶっきらぼうな言い方がとても可愛くて、なにより嬉しくて、俺は思わずラミアの身体を抱きしめた。……一瞬で振り払われたけど。でも、胸の感触は、堪能した。

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