名前負け勇者、保護者(皇女)が捕らえられて絶体絶命に至る

「ラミアもっと笑って……。俺のこと励まして……」

「やだ。あんた調子乗るとニヤニヤしててキメラより気持ち悪いし」



 道幅ぶん約三メートル離れ、俺よりも一メートルほど向こうをラミアは足早に進む。

 どうやら同情して励ましたことを後悔しているらしい。いいじゃん別に。元気出るし。



「ラミアがいなきゃ俺もうこの世界でやってけない」


「あたしのことジロジロ見回して目の保養とか言うやつと一緒にいたくないから」


「あー、そういうツンツンしてるのも効く……。存在してくれるだけでいいや」



 もはや溜息も吐かれない。慣れたのか、いよいよ本気で呆れられたのか。そんな彼女の背中を眺めながら呆然と歩く。ときおり日射しを浴びる金髪の髪。現代社会ならコスプレと言われそうでも、この世界なら特に違和感のないクラシカルなゴシックドレス。美少女にしか許されない特権。追い風が吹いて、服がなびいて、ヒップラインと太ももが見える。別にパンツが見たいわけじゃない。こういうのでいいんだよ、こういうので。高望みは無しだ。



「ねぇ、いい加減にその邪な視線を──っ、忠輝、後ろ!」



 振り返ったラミアの視線が一瞬で険しくなる。反射的に身体が動いた。

 言われた通りに後ろを向くよりも早く、彼女が虚空に手のひらをかざす。



「うわっ!」



 さっきと比べものにならないほどの突風。吹き飛ばされそうなのを堪えながら、完全に油断していた頭で何が起きたのかを考える。晴れてきた砂埃の向こうに、人影が見えた。


 何人いるかもどんな風貌かも分からない。とりあえず彼女の盾になるように立つ。



「はぁー、あっぶねェ……。さすがは王家の嬢ちゃんだけあって筋金入りか」



 若い男の声。飄々とした口調が、緊迫したこの雰囲気には似つかわしくない。


 色の褪せたケープマントを羽織っているのが、五人。今のはきっとリーダー格の男だろう。チャラチャラしたヤンキーのような声で、細目で、金髪のくせにみすぼらしい身なりだ。


 対峙したことのないシチュエーション。緊張と不安で胸がいっぱいになる。指先と足がわずかに震えるのを感じながら、俺は平静を努めて立っていた。息が詰まりそうだ。



「通りがかりにこれだけ上質なのを見つけたらさァ、無視はできねェんだ」



 ひと目見ただけで、カタギの者じゃないと告げている。その取り巻きにいるのは、ほとんどが痩せこけた男や少年たちだった。それがなんだか不自然で、妙な不気味さがある。



「……あたしたち、これから都に戻るところ。邪魔しないでほしいんだけど」



 背後から、勝ち気な声が聞こえる。男たちと彼女の合間に挟まるように、俺は立っていて──いや、立った。自分から。いくらラミアが強いとはいっても、女の子は女の子。その背中に隠れて怯えてるようじゃ示しがつかない。だからせめて、これは、俺の意地だ。弱いから、何もできないからって、そんなので彼女を失望させたくない。それだけの思いで、男を見据える。細目の、鋭い視線に射抜かれる。やつは軽く笑うと、そのまま俺を指で示した。



「なんちゃらとか言った異郷の少年、随分とお嬢様のお守りになってるようでさァ……。あっはっは、笑っちゃうね。異郷の人間とやらはそこまで貧弱で、能無しで、それなのに希望の星とか崇められるんだ、さぞかし滑稽……。よく俺の前に立てるね。意地っ張りか?」



 本心を見透かされて、わけも分からず肩が跳ねる。顔が歪む。何をどう返せばいいかも分からなくて、けれど声が出せない。そんな俺のことは気にもせず、ラミアが続けた。



「こいつはどうでもいいでしょ。むしろ、あんたたちこそスラムの盗賊じゃないかしら」


「皇女様にも知られてるのか、光栄だね」


「委託所にクエストが発令されてて──似顔絵が一緒に描かれてたから。金髪で、細目で……ふふっ、よく似てる。探す手間が省けて良かったわ。のこのこ出てきて、お馬鹿さん」


 無言のまま、ラミアは俺の手を取って後ろに引く。入れ替わるように自分が前に出ると、ドレスの裾を指先でつまみながら、うやうやしくお辞儀した。その余裕すらもどこか不自然で、彼女ほどになると、こんな盗賊なんて大したものじゃないんだろうか、と思った。



「あんたは動かないでいいから」



 あの凛々しい顔つきで、ラミアは振り返りながら励ましに言う。それに頷くだけしかできない自分が悔しくて、けれどどうしようもなくて──俺の張った見栄なんて、彼女にとっちゃ笑いものなんだろうな。結局、弱いから相手にされない。本来ならきっと、右腕どころか対等な戦力になれたはずなのに。そんなことを考えながら、場違いな甘い匂いが鼻に香る。



「いくら皇女様でも五対一は厳しいぜェ……。しかもそんな、少年とかいう能無しのでけェお守りを抱えてさァ──肝の座ったガキだ、やっぱり綺麗な女は強ぇってな!」



 怒鳴るが速いか、俺たちの周囲だけ掘り起こしたかのように地面が崩れる。ラミアは軽く跳ねて避けると、頭上に手を掲げてからそれを追い返すような仕草をした。


 一瞬にして相手陣営だけに豪雨が降る。突風の威力が、背後で尻もちをついている俺でさえ分かる。雨上がりの埃臭さと冷気を感じて、向こうに雹が落ちていることに気が付いた。



「座ってないで身を守るくらいして!」



 隣に立つ彼女の声で我に返る。はっと立ち上がると、辺りが霧に覆われていた。どうしたらいいか分からない俺を横目に、どこからか伸びてきた炎が地面を囲っている。



「──っ、燃え……!」


「あたしのだから燃えない!」



 向こうがアクションを起こすより早くラミアは対処していく。濡れた何かが頬をかすめていくと同時に視界が晴れて、炎を利用した熱風を浴びせていった。取り巻きたちが持っていた水の弓が地面に弾けて、俺を狙っていたらしい雷も見当違いのところに落ちている。



「あいつとあいつ──」



 苦い顔をしている敵を前に、ラミアの手のひらに水流が見える。それを一瞬にしてナイフのようにかたどると、狙いをつけたらしい二人──少年と痩せぎすの男の足元に向けて投げ込んだ。同時に勢いよく駆け出すと、白い雷光を散らした長柄の剣を地面に突き刺す。



「あッ……!」



 パチパチという細かい音を立てて稲妻が地面を辷っていく。ナイフを避けそびれた少年が感電したショックで倒れ込んだのを確認してから、彼女は自分を囲っている残りの四人に向けて長柄の剣を振りかぶった。揃って避けられたが、ヘイトは完全に彼女に向いている。



「お前ら今だ、打てッ!」


「っ、たく邪魔なやつ!」



 四方向からラミアを狙った水の弾が飛ぶ。足元に散らばった雹のせいで体勢を崩したのか、思うように防ぎきれていない。直撃こそしていないようだが、衣服や髪をかすめた。



「こっちだって……!」



 展開が遅れた炎の壁を自分自身にまとうと、刹那、砂嵐、雷光とともに花弁のごとく開いていく。直撃してよろめいた中年の男が、彼女の追撃で地面に叩きつけられた。



「あと二人──!」


「っ、クソ……!」



 大した時間の戦闘じゃないのに、今の俺にはそれがとても長いものに感じられた。同時に一瞬で敵陣営の戦力を半減させたラミアの実力を目の当たりにして、次から次へと目の前で展開される光景に、俺はどこか非現実的な、夢心地のような気分で眺めている。


 だから、自分に向けられた危機にも、呼びかけにも、気付けなかった。



「──何やってんのバカ、早く逃げなさいよっ!」


「…………っ!?」


 遠く聞こえた彼女の声が、目の前で立った火柱のインパクトに掻き消されがちだった。気付いたときにはあの金髪の男が数メートルのところまで詰めていて、どうしていいか分からなくて、俺は動揺と恐怖に震えながら地面に座り込む。それと同時に火が消えた。



「うッ──!?」


「いやっ、触るなっ……!」



 火柱の余韻が頬を焼く。焦げた臭いが鼻を衝く。ラミアの叫び声が重なって、俺の視界が空を仰いだ。手首も足も、磔になったかのように押さえつけられて動けない。声を出そうとは思えなくて、ただ眼前にいるその男を、逆光になって薄暗い面持ちを、眺めていた。



(痛ッ……! それよりラミアは……!?)



 馬乗りにされているのか、下半身が重い。手首と足が軋むように痛い。なんでこんな目に遭わなくちゃならない? 俺は何も悪くないのに。なんで、どうして、意味が分からない。


 男から目を逸らしながら、視線だけでラミアの姿を探す。唯一の味方が、頼みの綱が、いない。見えない。嫌な焦りだけが募って、眼球を痛いほど動かして──やっと見つけた。



「あっ……」



 一瞬だけ高揚した気分が絶望へと変わる。血の気が引くような感覚がして、身体が凍りついた。声にもならない声が漏れるその最中に、あの男の耳障りな声が近くで聞こえる。



「っはは、いや、気の強い──それこそ魔法の強い王家の娘さんでさァ……。そんなのを相手に俺たちが不意を突くっていったら、このくらいしかねェんだよ。むしろ世間知らずの男知らずなのが仇になったな。恥ずかしいところ触られて意気消沈たぁ参ったねェ」



 崩れ落ちるように地面へ座り込みながら、ラミアは泣き顔で俺のほうを向いていた。一連の戦闘で髪は乱れて、服は汚れて、その目に士気はない。後ろ手に捻り上げられた状態のまま、半ばパニックと恐怖に苛まれて、抵抗する素振りも見せなかった。男が笑って続ける。



「あーあ、やっぱり少年、お荷物だねェ……。お嬢様は俺から君を守ろうとして、自分に向けられた危機に気付けなかった。その隙に俺のお仲間が懐に入り込んで、ちょちょいと下品に触って──怖くなって、パニックを起こして、守れたはずのお荷物すら守れなかった。やっぱりお嬢様っていうのはスキンシップも上品じゃなきゃ駄目かァ……なんてね」



 ラミアが視界の端で必死に頭を振っているのが見える。男はそれすらも一笑した。



「上流階級っていうのは良い駒になるんだ。だから少年、君のことはどうでもいい。俺たちはこの皇女様を見つけて、手駒にしたかっただけだしね──あぁでも少年、君はきっと弱虫だから、すぐに都に戻って助けを呼ぶだろ? そりゃァ困るんだ。だから君、悪く思わないでほしいんだが、ちょっとだけ我慢してくれたまえよ。俺たちはこういう人間なんでねェ」



 冷淡に笑いながら、何かを取り出そうとマントの内側を漁る。心臓がこれ以上ないほどに早鐘を打って、目尻に自然と涙が溜まる。空の青が歪んで分からなくなって、でも、何をされるのかは分かり切っていた。手を拘束されたラミアの頭に、取り巻きの男が指を突きつけている。


 ……このまま俺は死ぬのだろうか。現代社会ですらない異郷の地で、家族も顔見知りもいない世界で、死ぬ? 男がナイフを取り出したのが見えた。せめてもと目を細める。



「あっはは、殺しやしねェから安心しろよ、お荷物くん。でも死ぬより辛いか」


「うッ……」



 口を塞がれて無理やり足を押さえられた。苦しい。息ができない。呆然とする意識のなかで、俺は濁った視界から目を背ける。ラミアがこっちを向いている。だけど、何もしてくれない。何も、できない。ただ俺のことを凝視したまま──。男の背後に魔法の一つくらい、ぶっぱなしてくれたっていいのに。なんで今になってそんなに怖がってるんだよ……!



「足だけ失礼するぜ、逃げられねェようにな」



 ナイフの刀身に日射しを反射させて、それがやけに眩しかった。一瞬だけ暗くなったかと思うと、男が大きく腕を振りかぶったのが見える。……何を言っているのか分からないラミアの叫び声を背景に、俺は心のなかで溜息を吐いた。達観ってこれのことかと思った。


 ──自分にも魔法が使えたら、こういう時、背後から奇襲とか仕掛けられたのかな。もう少し体格が良ければ、こいつだって吹っ飛ばして、反撃の一つや二つ、できたかもしれない。まともに暮らしてこなかったツケだ。だからってこんなところで倒れるなんて馬鹿馬鹿しい。でも、そういう人間なんだろう。ラミアのお世話になれただけ幸運だったか。



(……いや、それはないだろ)



 無様にやられて幸運? 目の前で女の子を傷つけられていて、幸運?

 馬鹿馬鹿しい。俺はなんで諦めてるんだ? せめて一回くらい反抗しろよ。


 こんなところで舐められたまま死にたくない。最後の最後なら──!



「──どけッ!」



 怒声に一瞬だけ反応したその鼓動が、今までよりも力強い。こんな状況なのに、なぜか俺の五感は澄み渡っていた。口を塞ぐ汚らしい手を火事場の馬鹿力で押しのけながら、振りかぶられる寸前の腕を無理やり掴んで、理性もかなぐり捨ててから力の限り噛みつく。



「痛っ……クッソ……痛ってェなァおい!」


「ぐッ……!」



 頬に渾身の一撃が飛ぶ。痛いとかいうレベルじゃない。意識が眩みそうだ。それでもなんとか怒りに身を任せながら、俺は再び振りかぶられた腕を必死に押さえながら叫ぶ。



「いつまで泣いてんだよラミア! お前のせいで俺が死にかけてんだぞっ……! さっさと助けるくらいしてくれよッ! 俺が死んだら、っ……! お前の責任、だからな……!」



 もはや彼女を見る余裕もなくて、これ以上なく迫ったナイフの切っ先をギリギリのところで持ちこたえている。助けてくれなかったら俺マジであいつのこと恨むから。痴漢に遭って恐怖でパニクって、しかもそれが俺の死の危機よりも優先されるとかおかしいだろ!



「うッるせェなァ……! 弱ェやつが死んで文句あるか!?」



 込められる圧が増していく。地力の差で力負けしそうだ。

 痛みが神経を通して広がる。血管が何本も切れていく。



「ッ……あ……!」



 ──ダメだ、負けた。もう限界だ。これ以上は耐えきれない。

 腕の力がふっと抜けるのを感じて、俺は固く目を閉じる。 



(死ねよクソ悪党がっ……! 滅多刺しにされて死んじまえよ犯罪者……!)



 ──ドクン、と、さっきよりも重厚な鼓動。刃の先端が空気を切り裂くのを感じながら、俺は狂ったように呪詛を吐き続ける。もはや何を呪っているのか分からなくなった。頭のなかが怨嗟と後悔で満たされる。ラミアの二度目の叫び声と、呻き声が聞こえた──。

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