名前負け勇者、キメラ討伐ができず保護者(皇女)に泣きついて励まされる

「ん、ついた。ここ」


「あ、ここ? 普通の畑じゃん」



 ラミアはやにわに立ち止まると、木製の柵に手を添えながら言った。木々がうっそうと生い茂って、日射しが枝葉を抜けていく。幻想的な木漏れ日の向こうに、それほど大きくはない規模の畑があった。ここがどうやら、害獣の被害を受けているとかいう場所らしい。



「どうすればいい?」


「自分のクエストなんだから自分で考えなさいよ。あたしは付き添い」


「あ、そっか。応援だけしてくれると嬉しい」


「お馬鹿さん。早く行って」



 急かすラミアを尻目に、俺は柵を抜けて畑に入る。林のなかを開墾しただけあって、周囲は木々に囲まれていた。こういう林に住む獣が荒らしていくのか。ひとまず一周してみる。



「痕跡とかあった?」



 柵の内側には入りつつも汚れるのは嫌なのか、彼女は畑のふちで腕組みしている。



「いや、見た感じは分からなかった。っていうか野菜が美味そう」


「あんたねぇ……。あっ、あれあれあれ! あそこ! いた!」


「ちょっ……!」



 無理やり身体の向きを変えさせられる。



「うるさい、静かにっ。あそこ……!」



 ラミアは背後から俺の肩を掴むと、耳元で囁きながら林の方を指さす。

 ……黒い塊の何かがいた。小型犬くらいの大きさで、二つ、三つほど。


 いや、それよりも。それよりも気になることがありすぎて。それどころじゃない。



「あの、ちょっと」


「は? 見えないの? あそこにいるからっ」


「うわっ……」



 ラミアが俺の肩越しに指を差すたびに、背中が程よい弾力に包まれる。

 胸。リアル王族美少女の。バレたら不敬罪で処されそうなレベルの事案。


 いやでもこれは……合法! 事故! 不可抗力! しかも本人は気付いてない! 王手飛車取り、ダブル役満、ロイヤルストレートフラッシュだ。これならいっそ、知らないふりを押し通して胸の感触を少しでも長く楽しむのが利口な判断! 完璧な作戦だ。



「あー、あの……あっちでモゾモゾしてる黒っぽいやつ?」


「あっち……? いや、だからあれだって言ってるじゃないっ。あそこの──っ、ねぇ、人が真剣に教えてるのに何をニヤニヤしてんのよ! そんなんだから……あっ」



 そこまで言って、ラミアは露骨に俺から距離を取る。それから自分を抱くようにして、



「ちっ、違う! いま近くに寄ったのは状況を説明するためであって──あんたに気を許したとかそういうわけじゃないっ。勘違いしてニヤニヤしないで。何もないしっ」


「いや、別にそういうわけじゃ……」


「いいからさっさと駆除してきなさいよっ!」



 小石で無理やり追い払われる。本当にそういう意味じゃない……というか、勘違いしててくれて助かった。これは自分だけの秘密にしておこう。バレたらもっとキツイこと言われる。



「まぁ、獣くらい木の棒で追い払うとかできるしなぁ……」



 握って太さを感じる程度の棒と石。落ちていたそれを片手に忍び足で進んでいく。


 ──野菜の陰から覗くそのシルエットを見て、一瞬、心臓が跳ねた。



「うわっ!?」



 反射的に持っていた棒と枝を投げつける。鈍い音がするのも確認しないで後ずさった。


 俺の知ってる害獣と違う。てっきり野良犬とか狸とか狐みたいな野生動物かと思ってたのに。そんなんじゃない。獣だか怪物だかをグチャグチャに混ぜ合わせたような──!



「ちょっ……ラミア、なにあれ!?」


「なにって……害獣でしょ? キメラとかじゃない?」


「いろんなのがグチャグチャになったみたいなやつ!」


「あー、キメラねぇ。あんた見たことないの?」


「ないよ! あんなのがゴロゴロうろついてたら困るんだよ! てっきり狐とか狸とかを想像してたのに……! あんな不気味なの俺だけで倒すのは無理だって──うわっ!」



 さっきの石とかが当たっていたのか、俺の存在に気付いたキメラとやらが飛び出してくる。本当に色々な種類の動物とか怪物を混ぜ合わせたようなビジュアルだ。正直、グロい。


 黒い毛に覆われて、白目を剥いて、四足歩行かと思いきや二本足で立っている。肥えた豚の鼻や痩けた猿の胴体にも見えて、その鳴き声もまるで悪魔。すえたような臭い。何かの間違いで生成されてしまったキメラそのものだ。不気味すぎて、なかなか直視できない。



「どうしよ……」



 対抗する武器は、さっき放り投げてしまった。威嚇されてるのか、歯も爪もむき出しだ。あんなのにやられたら、出血どころか感染症の可能性だってある。どうすればいい?


 なるべく威嚇しないようにその場で静止する。嫌な汗が額に滲む。緊張のせいで鼓動が早い。小刻みになってきた呼吸を意識的に落ち着けながら、震える手を押さえた。



「こういう時の魔法でしょ。なんのためにクエスト受けたの?」


「わ、分かってるっ」



 背後からラミアの声が聞こえる。彼女はあくまでも付き添いだ。だから、助けてはくれない。俺が自分でなんとかするしかない。どうやればいいかは分かってる。あとは勇気だけ。



「動くなよ……」



 目の前のキメラに合わせて手をかざす。作物のあるここじゃ、下手な属性は使えない。っていうか、俺はどの属性が得意かすら分からないけど。一回も魔法として発動できたことないし。でも、技のイメージだけはある! こういう時は……あれだ、水牢がいちばんいい。



「自分のイメージの内側に魔力の核を作る感じ。そこからだんだんと全体に巡らせてくの」


「おっけー……」



 手のひらに力を込める。魔力の核。そこから水流ができて、渦を巻いて、やがては綺麗な丸を描いていく。その流れに魔力を乗せて、水牢すべてに満遍なく巡らせて──よし、いける。イメージは完璧だ。言われた通りにやった。あとはそれを発動させればいい!



「手のひらにイメージを向けて。発動は手でしかできないから。あとは念じる」


「えっと……呪文とかよく分からないけど発動しろ!」



 一歩だけ踏み出す。手のひらをキメラにかざす。土埃が舞って、視界を一瞬だけ塞いでいく。どこからともなく水牢が現れて、水滴を地面に落としながら渦を巻いた──

──なんていうことは起こらなかった。無意味な叫び声と砂煙に逆上したキメラが、あの気味悪い鳴き声とともにいよいよ俺の足元まで飛び出してくる。間一髪で後ずさりした。



「ちょっ……できてないじゃん!」


「あんたが悪いんでしょっ!」


「だって言われた通りに──うわっ!」



 噛みつき引っ掻こうとしてくるキメラをなんとか蹴り払う。よく分からない見た目をしているくせにすばしっこい。もう気持ち悪い。こんなの武器なしに倒すの無理だって!



「……もういい。あんた、そこ邪魔。こっち来て」


 分かりやすく肩を落としているラミアの姿も、今は救済の女神に見える。やっとの思いで彼女の背後に隠れると、俺はパニックで乱れた呼吸を整えながら事の始終を見守った。



「気持ち悪いのなんて見た目だけでしょ」



 ラミアはそう言って、手のひらで追い払うような仕草をした。足元に駆けてくるキメラが、どこからともなく突風で吹き飛ばされる。舞い立つ砂埃が目に滲みて、地味に痛い。


 ……と思った瞬間、水音がした。一メートルほどの水球が宙に浮かんで、濁流のなかにキメラを飲み込んでいる。彼女が指先をひょいと上げると、それも呼応して動いていった。強かった水流もいつの間にか弱くなって、水球の底には黒い塊が沈んだまま動かない。



「……やば」


「別に、まだ終わってない」



 凛とした声で彼女は言う。めちゃくちゃカッコいい。ガチで惚れそう。

 そんな俺のこともお構いなしに、ラミアは掲げていた指で地面を差した。


 ──一瞬にして、穴が開く。

 水球が弾けて、鈍い音を立てながらキメラが落ちる。

 ──跡形もなかったかのように閉じた。



「……これで問題ないでしょ。廃棄の手間も省けたし。土の肥やし」


「あぁ……。そっか」



 振り返る彼女に、曖昧な返事しかできない。周りにはもう何もいない。畑と、木漏れ日。

 一気に気が抜けて、思わずその場にしゃがみこんだ。ラミアがそんな俺を見下ろす。



「なんか、先が思いやられるわね」


「……あんなグロいのだと思ってなかった」


「キメラは生物実験で異種交配をさせて、一部が逃げちゃったその名残よ。繁殖力も高くて駆除の手間が面倒なの。でもまぁ、そんなに強くないし。普通の獣と同じくらい」


「いやでも、あんなのだったらパニックで上手くいかないこともあるか! はは……」


 虚勢を張って、わざと明るい声を出す。けれどすぐに虚しくなって、乾いた笑みが出た。ラミアもかける言葉を迷っているのか、困ったように、曖昧な顔をして作り笑い。



「あんたがいたところとは環境も違うだろうし、最初から一気に慣れろとは言わないし……。でも、魔法の基礎練習みたいなのは、安全なところでもいいから、やってみなさい」


「……ごめん」


 気を使わせているのが申し訳なくて、反射的に謝る。自信満々でやってきたけど、自分が馬鹿らしくなった。想定外のことでパニックになって、女の子に頼って、情けない話だ。


 基本的なことさえできない。自分が想定している以上に、何もできていない。そんなのが、異世界からの期待の星? この世界で俺は、こんな有様で、期待になんか答えられるのだろうか。それならばいっそ、つまらなくても、現実社会で流されている方がマシだ。



「──ほら、さっさと立って」



 急かすわけでも責めるわけでもない。初めて聞いた、ただひたすらに穏やかな、優しい声。


 伸ばされた手が視界に入る。どこも汚れていない、白くて綺麗な手だ。


 背景を彩る金髪の髪。空を映したように澄んだ瞳。それがまっすぐ俺のほうを向いている。



「帰ったらまた練習。できるようになってもらわないと困るんだから」


「……そっか。そうだな」


 ヘコんだ心に、ラミアの些細な優しさが滲みる。取り返した手は、温かくて、柔らかい。

 少しだけ励ますような笑い顔だけが、今の俺には救いだった。

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