『呪いの家』

@dodaretororo

呪いの家

 ひび割れた窓から夕焼けの光が差す。ボロボロの天井を見上げ、床に尻をつけたまま、ピンと足を伸ばす。


 ぐるぐると周りを見渡しながら足をぶらぶらとしていると、次第に尻が痛くなってきたので、伸ばしていた足を曲げ、尻を浮かせて足をクッションのような形になるように組んで、ゆりかごのようにぐらんぐらんとしてみる。


 すると今度は足が痛くなるので体育座り、その次は腹這いの体勢……と代わる代わるに体勢を変えていく。


 ずっと座ってるのにも疲れてしまうので、時折部屋の中を歩き回ってみる。


 間取りは一般的な一軒家とそう変わりないのに、電気が通ってないため薄暗く、床も壁も雨漏りや経年劣化で今にも崩れそうなほどひび割れている。ちなみに水道も止まってるため、用を足す際は持参した携帯トイレにして持ち帰ることになる。私は現役女子大生としてのプライドが許さないので限界まで我慢しているが。


 何度も何十度も来ているものだからすぐ見飽きて、すぐに元の居間の中心に戻り、また座ってさっきまでと同じように体勢をローテーションさせる。


 窓の外を覗くと、もうすっかり夕日は沈んでいる。


 日が暮れるのに連動するように部屋に闇が侵食していくにつれ、疲れも伴って眠気が湧き出て来る。


 うつらうつらとし始めたところでパシンと平手で頬を叩き、持参したペットボトルのコーヒーを一気に飲み干す。


 今が何時なのか、何時間経ったのかは分からない。


 精密な時間を気にすると時間の流れが異常なほど遅く感じるので、腕時計は置いてきている。


 スマホも持ってきていない。時計機能を使わないためではない、それ自体を使ってはいけないからだ。


 スマホだけじゃない、読書も勉強も睡眠も駄目。“そこに存在する”という意識から離れてしまうことがいけないのだ。


 何故? 


 そんなもの私にも分からない。「信号を赤で渡ってはいけません」と教わって素直に従う児童と同じだ。危ないという抽象的なリスクを回避するために従っているだけで、実際にどうなるのかなんて当事者以外に分かりはしない。


 屋内を歩き回る以外には考え事くらいしか許されないので、歩き回って座り込んでひたすら何かを考える。


 閉鎖的な空間で考え事をしていると、嫌でもネガティブな思考になっていく。将来に対する不安、人間関係に関する不満、普段は隠れているような潜在的なストレス。そして最後に辿り着くのは今の状況への恐怖。


 なぜこんなことを私がしなきゃならないのだろう。いつになったらこの時間が終わるのだろう。


 もう一生このままなのではないか。皆私を置いて行って、私を犠牲にいつも通りの日常を過ごしていくのではないだろうか。


 視界が歪む。意識が微睡む。


 早く終わってほしい。もう、いっそこのまま終わってもいい。


 ゆっくりと意識が薄れていく。それに呼応するように、“それ”がどこからか這い出して来る。


 目には見えない。音も聞こえない。ただいるという気配だけがゆっくりと……。



「交代の時間だぞ」



 聞き覚えのある声にハッと意識が正常に戻る。


 振り返ると、そこには見知った顔ぶれが二人。従兄いとこのお兄さんと、私の母親だった。


「お疲れ。何もなかったか?」

「別に」


 従兄の声掛けに対して不愛想に返す。


 彼とは特別仲が悪い、ということはないのだが、この習慣以外では年に数回無い程度の親戚の集まりくらいでしか顔を合わせることは無いのでそこまで交わす言葉が思いつかず、いや、そんなことはただの建前で、本当は私自身が疲れていることのでついきつい態度を漏らしてしまっているだけだ。


 とはいえ、従兄だけでなく他の親戚もこの疲労感をよく分かっているので、口の悪さを咎める者は誰もいない。寧ろ、終わってもニコニコと返事する人なんて母方の祖父母などのごく一部だけだ。


 痺れる足でゆっくりと立ち上がる。


 ついさっきまで感じていた気配は一切感じない。夢から覚めたときのように、気配を感じていたという確信が記憶が薄れていくのが分かる。


 恒例の社交辞令的に声を掛けた彼とは対照的に、母の方は、心配そうな声で私に声を掛ける。


「大丈夫? 吐き気とかしない?」

「大丈夫」

「ちゃんとお水飲んだ?」

「大丈夫だって、ほら」


 母の前で空になったペットボトルを掲げる。それを母は慌てたような素振りで受け取った。


 不安そうに顔にしわを寄せる母に対し、私はなんとか愛想笑いを取り繕って答える。


「本当に大丈夫だって。そんなことよりさ、ここで喋るのもなんだから、早く車行こ?」


 私は母の背中を押して玄関へ誘導する。


 従兄の方は、こちらへ特に言うことも無く、入れ替わりに部屋の奥に入っていく。


 そんな従兄を背に、私たちは屋敷を後にして車に乗り込んだ。


  *


 舗装されていない山道を、母の運転する軽トラックが下っていく。


 軽トラックはあの家に向かうために親戚たちが共有で使っている年季の入ったものだ。何しろ人の手の入っていない奥の奥まで行くものだから、自家用車で行こうものなら、帰る頃には目も当てられない姿に成り果ててしまうのだ。かなり昔のことだが、別の従兄弟いとこがボロボロのスポーツカーと共に泣いて帰ってきたのを、幼いながらに印象に残っている。


 慎重な運転を得意とする母のテクニックでもガタガタと音を鳴らす車の揺れは、疲れ切った私の体を無理やり揺すり起こした。


 とても眠りに落ちれる状況ではなかった私の脳内では、嫌でもあの家のことをぐるぐると巡らせていた。


 あの家は、所謂いわゆる『呪いの家』だ。


 とある山奥にポツンと存在し、迷い込んだ旅人を閉じ込めて、新たな人間が迷い込むまで決して出ることはできない。


 どうしてそんなものが山奥に建っているのか、誰が建てたのか、どうしてそんな不可解な現象が現実に成立しているのか、詳しい事情は一切不明だ。


 ただ、これまで幾度も解体しようと試みたにもかかわらず、そのたびに作業員が何人も不審な死を遂げて、今の今まで解体できずにいるという実態だけが、非現実的な現象が現実を侵食しているという事実を物語っている。


 あるときに私の先祖が迷い込んだ際に、その家族がその人物を生贄にするよりも、事情を知っている身内や知人が代わる代わる中で過ごすことで、呪いを避けようと画策した。


 そしてその風習を、何世代にも渡って現在に至るまで続けている。


 とまあ、ここまでが私が両親や親戚から聞いた話を纏めて要約したあの家の概要だ。


 あくまでも伝え聞いた話でしかないので、どこまでが真実かは定かではない。


 語る人によって内容は結構違うし、信用させようと誇張したり、嘘を織り交ぜている話もかなり多いと思う。


 それに関しては、「夜中に爪を切ったら親の死に目に会えない」とか、「夜の海に行くと霊に引きずり込まれる」のような、子供を危険から守るために語り継がれた怖い話と同じような過程で発生したものだろう。


 何故家から出られないのか、出たらどうなるのか。あそこに何がいるのか、そもそも本当にいるのか、そういった疑問の答えも一切分からない。


 ただ、私が信用して素直に従う確信的な理由は、幼いころ大好きだった父方の叔父が、あるとき突然親戚の集まりに顔を出さなくなり、親戚全員が彼をまるで最初からいなかったかのようにシラを切るようになったことだけだ。


 数十分と走り続けてやっと荒れ果てた山道を抜け、見慣れた舗装された車道に辿り着いてすぐのコンビニの駐車場で車は停まる。


「大変だったでしょう。はい、これ」


 母は懐から財布を取り出し、中から一万円札を抜き取ってこちらに差し出す。


 別にこの行事は賃金の発生する労働ではないのだが、母は私が嫌になってボイコットしてしまうのを恐れてか、終わるたびに毎回こうやってお駄賃をくれる。


 ありがとう、と言ってから私はそれを受け取り、足元に置いてある自身のハンドバッグを手元に引き寄せて、中にある財布を出してお札を収納する。


 今日、あの家にいた時間は約六時間。時給換算にすればそこらのアルバイトより全然割高だが、あの何もできないという苦痛の時間を考えると全く割に合わないと思う。


 母は疲れている私を気遣ってか、話しかけてくることはなかったが、私は私で眠ることは出来ず、かといって自分から話を切り出す気力も湧かず、コンビニの駐車場で数十分無言の時間が続いた。


 ようやく頭が落ち着いた私は、バッグからスマホを取り出して電源を入れる。


 ロック画面から真っ先に目に映ったのは、十時と二十六分という数字の配列。


 メッセージアプリを起動させると、ニュースアカウントや割引のために登録していた店舗アカウントの未読メッセージの山。その中に混ざるひとつのアカウントからのメッセージを開く。


『今暇?』

『飯行かね?』


 相手は彼氏。メッセージは三十分ほど前に送られてきたものだった。


『ごめん今起きた』

『今から間に合う?』


 返信が遅れた理由は言わなかった──言えるわけがなかった。


「このあとどうする? どこか寄るなら送っていくわよ」


 見計らったようなタイミングで、母が声を掛けてくる。


「じゃあ駅前で降ろして。このあとカレとご飯食べてくから」


 私はスマホに視線を向けたまま母に答える。  


 彼とよく行くファミレスは駅前にある。それ以外だとしても、まあ、駅で待ち合わせれば失敗することは無いだろう。


 地図アプリで現在位置を調べると、ここから駅まで大体三十分くらいで着くらしく、そのくらいには到着するという旨のメッセージを送る。


 彼からの既読を待っている間に車を発進させると思っていたが、母はハンドルを握る様子が無く、沈黙の時間がまた継続される。


 暫くして、母が沈黙に耐えられなくなったのか、或いは決心を固めたのか、恐る恐るといった声色で話し出した。


「美香、ごめんね、いつもこんなことさせて」

「ううん、気にしてないよ。大変じゃないと言えば嘘になるけど」

「大学も大変だろうし、あなたが嫌だって言うなら、他の人に代わってもらうことも──」

「私がやらなかったとしたら、誰かがその分の割を食うことになるでしょ」

「でも……」

「私は……、ただ、私がされる側だったら嫌だな、って思ってるだけ」


 母にとって、この問いかけは私の意志を聞き出すためなのか、ただの確認作業なのかは分からない。でも、一つだけ分かることは、母は親戚からの風当たりを気にしているのだろう。


 人は嫌でも歳をとる。歳をとるということは、苦行に耐えられる能力も衰えていくということ。


 若い世代というのは、若さという点だけで貴重な人材であり、親戚連中は、私が逃げ出さないか、台無しにするような行動に走らないか。そんな不安のまなざしを両親に対して一斉に向けているのだろう。


 頑固な父ならまだしも、心配性である母にその視線はとても耐えられる代物ではないと思う。


 本心で言えば、家系の風習も、あの家の呪いの顛末もどうでもいいのだ。


 でも私は、ただ両親の期待に応えるために、両親をあの悍ましい数多の眼差しから守る為に、風習に従い続ける。


 私のいつも通りの回答に安堵するような顔をした母は、やっとのことで車のエンジンをかける。


 街灯が照らす田舎の車道を、ガタガタとしたトラックの走行音だけをBGMに駆け抜けていった。


  *


 母に駅前のロータリーで降ろしてもらうと、彼は既に広場で待っていた。


 どこに行こうか話し合うも、時間も時間だから、と結局いつものファミレスに向かうこととなった。


 疲れているからか、特別食べたいものは思い浮かばなかったのだが、如何せん疲れているせいか、何でもいいからお腹に詰め込みたい気分だったので、惰性でメニュー表の最初のページにどかんと写真が載せてあったカルボナーラを注文した。


「元気ないね」


 彼はいつものような、優しい声色で私に声を掛ける。


「何かしんどいことでもあった?」

「……ちょっと」


 そっか、と彼はそれ以上聞いてくることはなかった。


 その性格に、時折腹が立つ場面もあるが、事情が事情である以上、こういうときはとてもありがたかった。


 あの家のことは、勿論彼には言っていない。言えるわけがない。


 そういえば、彼と出会った切っ掛けも、あの家が原因のストレスで大学で倒れていたところを介抱してもらったことだったな。


 くすんだ瞳に反して少しつり上がった私の口角を、彼は不思議そうに見つめていた。


 彼は自分でも驚くほどに気が合った。


 学部も同じで趣味も近い。私に対して優しいし、私もそれに応えるように愛想よく接する。


 きっと、彼より良い男性には一生出会わないと思う。私は彼と結婚するのだろう。そう思っているし、彼もそう思っていると信じている。


 でも、そんな誰でも願っていい平凡な想いに、あの家の影は付き纏う。


 私が彼と結婚すれば、きっと彼もあの家の風習に参加させられる。


 私と彼の間に子供が出来れば、将来的にその子も風習に参加させられるだろう。


 それは、本当に幸せなことなのだろうか。


 呪いなんてものとは無縁な彼を巻き込んでしまっても良いものなのだろうか。


 もしあの家の風習のことを話したら、そんな家柄の人とは付き合えない、と離れて行ってしまうのだろうか。


 そう考えてしまうことが、私はとても怖かった。


『あなたが嫌だって言うなら──』


 先刻の──何度も聞かされてきた──母の言葉が脳裏をよぎる。


 私には──出来ない。


 私が逃げてしまった世界の、瞼の下に隈を増やす従兄弟いとこたち、冷ややかな感情を帯びた祖父母に叔父叔母の瞳、その凍てつく視線を一身に浴びる両親のことを想像したら、母の遺伝子を受け継いだ私の精神が耐えられるわけもない。


 そもそも、あの家から逃げられるのだろうか?


 あの日いなくなった叔父が、もし、あの家の呪いによって消えたのではなく、──なのだとしたら?


「もしかして、食欲ない?」

「あ、ごめん」

「ごめんね、元気ないのにご飯誘っちゃって」

「大丈夫、うん、大丈夫」


 そう言って無理に口に運んだカルボナーラからは、ただ温かさと柔らかい触感だけが感じられた。


 そうだ、彼と本気で将来を考えるのなら、いつかは話さなければならない。


 たとえ彼が離れてしまうとしても、私が彼を手放す覚悟をしなければいけないとしても、隠し事をすることは出来ないのだ。


 この不安は、きっと一生続くのだろう。


 私だけじゃない、父も母も、他の従兄弟たちも、私と同じようにこの不安を抱えて、一生あの家と付き合い続けていくのだ。


 まるで呪いのように。


 ずっと、ずっと。


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