第32話 ジュディドの旅

 奈央と別れて一年が過ぎようとしている。今年の魔法祭は魔法なしの二人抜きでの演奏になりそうだ。

 ジュディドはこの国と奈央の国を双方向に行き来できる方法を探して旅に出た。と言っても移動魔法を使うので、魔法省を辞める必要もなかった。この一年は国中のあちこちを巡った。

 奈央との約束で毎晩、月が天頂に昇る時、奈央のことを想った。だが時差の違いなのか、交信魔法はうまく作動しなかった。いつか天の巡りで時差が解消される日が来るかもしれない。そう信じてジュディドは交信を毎晩欠かさなかった。


 今日の旅先は竜の根城がある山のふもとの山村だ。夫婦が宿を経営しており、今晩はそこに泊まることにした。

「お二人はこの世界とは違う、別世界に渡る方法をご存知ですか?」

 いつもの質問だ。

「さて、私達は知りませんなぁ」

「ああ、でも池のそばに住むおじいちゃんなら何か知っているかもしれませんよ。昔、この国とかの国を行き来する人と知り合いだったようですし」

 ジュディドは夫婦の話に興味を持った。知り合いとは三井千尋のことだろうか。

「それは興味深い。その方はどちらにいらっしゃいますか?」


 池のそばに建てられた掘っ立て小屋をジュディドは訪ねた。

「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」

 掘っ立て小屋の中はがらんとしていて、老人が一人、ぽつんと座っていた。

「どなたかな?」

「街からやってきた者です。あなたは三井千尋さんをご存知ですか?」

「さて、どうだったかのぅ。遠い昔、この国とかの国を行き来しているという噂があった魔法なしの老人ならおりましたなぁ。確か名前をチヒロとか言った」

 三井千尋だろう。

「どんな人でしたか?」

「齢は今のわしとそう変わらんかったかのう。その方はわしらが遊び場にしとったふもとの池のほとりで、よう池を眺めたり泳いだりしておりましたわ」

「池を眺めたり泳いだり?どうして?」

「さぁなぁ。池に映った景色をいつまでもいつまでも眺めとりりましたよ。時には池に入って水浴びしておりました」

「そうですか」

 ジュディドは試しにその池に行ってみることにした。

「ありがとうございます」

 挨拶を済ませると、魔法で池のほとりに瞬間移動した。


 池はどこにでもある何の変哲もない池だった。

 池の周りは小高い山で、その景色が池の水面にも映り込んでいる。鳥が池の周りから飛び立ち、池に向かって素早く飛んでいく。獲物でも見つけたのだろう。

 ジュディドはしばらくの間池を眺めたが、特にヒントとなるようなことは何もつかめなかった。

「三井千尋はここで何をしていたのだろう」

 ジュディドは池のほとりに座り込んで、考えた。

 

 昼も過ぎた頃、小腹が空いてきたので集落に出ることにした。

 定食屋に入り、やはり同じ質問を亭主に投げかける。

「ご主人は、この世界とは違う別世界に渡る方法をご存知ですか?」

「いや、知らねえなぁ。あんちゃん、その道を探しているのかい?」

「ええ」

「俺のばあさんが、昔、そういう老人がいたと言っていたっけ。魔法なしだったそうだ」

 三井千尋のことだろう。三井千尋はこの村に滞在していたようだ。

「その方は、よく池のほとりにいらっしゃったそうですが」

「ああ、池を眺めたり泳いだりするんだろう?まあ、歳が歳だから、泳ぐと言っても浮かんでいるだけだったそうだが」

「浮かんでいるだけ…」

「ああ、上を向いて浮かびながら空を眺めていたそうだ。不思議なご老人だ」

「ご老人は何をされていたのでしょうか?」

「さあなあ。空の遠くを見つめて思いに耽っていたんじゃないのかなぁ。死んだ伴侶のことでも考えていたんじゃないのか?その老人は亡くした伴侶のことをよく皆に話していたそうだから」

「そうですか。ありがとうございます」

 ジュディドは定食屋を出て、また池のほとりに戻った。そこにあった木の根に腰を下ろし池を見据える。

 三井千尋はここで何をしていたのだろうか。池に入ることは、ただ伴侶のことを想う時間を得るためだったのだろうか?それとも、かの国に繋がる道と何か関係があるのか?

 

 いくら考えても分からなかったので、自分も池に入ってみることにした。魔法使いのローブを脱ぎ捨て木の根元に置き、下履き姿になると、端からそっと池に入り身体を沈める。

 ジュディドが池に入ると、静かな水面に波紋が立った。波紋はジュディドを中心に岸辺へと向かっていく。

 ジュディドは顔だけ出し、池の中心に向かって泳ぐ。そのまま池を泳いで一周した。だが、何もヒントとなるようなことは思い付かなかった。

 池の中心に戻り、昔、三井千尋がしていたというように浮かんでみる。

 高い空が見えた。雲が流れていく。鳥も飛んでいる。風が穏やかに吹く。平和な景色だ。

 三井千尋は、ただこの景色を楽しんでいただけなのだろうか。疑問は空に向かって消えていく。

 気持ちが良くなったのか、奈央のことを考えながら池に浮かんでうとうとしていると、池のほとりから声をかけられた。

「そこの兄ちゃん!」

 ベルナールくらいの子どもがジュディドを呼んでいた。

「兄ちゃん、何してんだい?」

 ジュディドは声の主のいる方へ泳いで行った。

「この池の不思議を解明するためにね、泳いでみたんだよ」

 ジュディドは岸に着くと子どもにそう説明した。

「この池は泳ぐもんじゃないよ。眺めるのか一番楽しめる」

 子どもはケラケラ笑って言い返す。

「なぜ?」

「この池はね、またの名を『神秘の鏡』と言ってね、夜になるとものすごいんだ」

「どうすごいのだ?」

「それは夜になってからのお楽しみさ。一度見たら忘れられないんだから」


 ジュディドは夜を待つことにした。夜まで時間があったので、ふもとの村をぶらぶらと歩くことにした。

 竜の根城が近いここでは、竜を象ったお土産品やまんじゅう等の食べ物が売られていた。ジュディドはベルナールのために土産品をひとつ買って帰ることにした。

「お兄さん、ありがとさん。お兄さんはどこから来たんだい?」

 店子は気さくに話しかける。

「街から来た。今日は山のふもとの池を見に行った」

「そうですかい。あそこは昼ではなく夜に行かれるといい。素晴らしいものが見れるよ」

 先程の子どもと同じことを言うので、ジュディドは余計に興味を刺激された。


 夜になった。辺りは暗く、ホウホウと夜鳥の鳴声が響く。夜空には満点の星が輝いている。その星は池にも映り込み、まるで鏡面のようだ。夜空が二つ、池の水面を境に反転し合っている。「神秘の鏡」とはこのことを表したのだろう。

 風はない。水面は静かで、時が止まったかのような荘厳な景色が目の前に広がる。

「なるほど。まるで小宇宙だな」

 ジュディドは呟いた。しばしの間、その景色を堪能する。風がないので水面と空は全くの対照だ。

 すると、一枚の枯葉が池の上に落ちた。枯葉は波紋を作り、波紋は片方の小宇宙の中を広がっていく。それからまた水面は凪いだ。静かな世界だ。二つの小宇宙の真ん中で枯葉が浮いている。その光景は宙に浮く枯葉そのものだった。ジュディドの目にはそう映った。

 その時、ジュディドは思い付いたように起き上がった。

「『陸のものは空に』…!

 もしかして…もしかして、三井千尋が浮かんでいたのは…!『陸のものは空に』のためではなかったろうか…!?」

 ジュディドは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。自分は今、とんでもない発見をしたのではないか?「魔力溜まりの泉」で溺れずにこの国とかの国を往復する方法。それは……。

 ジュディドはすぐに奈央に交信する準備をした。

 見つけたよ、奈央!

 約束通り、お前が安全にこちらの世界に来る方法を見つけた…!

 月が天頂に昇った。奈央に向けて祈るように問いかける。

 けれど奈央からの応答は、今晩もなかった。


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