第31話 奈央の手紙

 悠人の姿が消えた後、残された奈央とジュディド、ビルアーニャとセルアーニャの兄弟は呆然として、ただ立ち尽くすしかできなかった。

 地震が直下した街が映る景色は少しずつ薄らいでいき、最後は光を放って消えた。残されたのはただの火葬場の門扉だった。

「奈央」

悠人が去って一番最初に声を上げたのはジュディドだった。

ジュディドが奈央の肩を掴み、目を覗き込んで言った。

「おまえも帰りなさい。ご両親が心配だろう?」

「……でも」

「私のことなら心配いらない。この国とおまえの国を行き来する方法を必ず見つけ出してやる。見つけたら交信魔法で教えよう。だから毎晩、月が天頂に昇るとき、私を想って」

 ジュディドはそう言ったものの、果たしてきちんと交信できるのか不安だった。この国と奈央の国とで暦が違いはしないか、時差はないのかと考えたためだ。

「……でも」

 奈央はそれでも譲らなかった。

「私は必ず見つけ出す」

 ジュディドは力強く言い切った。決心するかのように。

「ビル、頼む。何か音楽を流してくれないか」

「あ、ああ…」

 ビルアーニャはジュディドに言われて、先程演奏した「哀悼の調べ」を鼻歌で歌ってみせた。

 扉は歌に反応して再び同じ景色を映し出す。地震後の混乱した街の景色だ。

「奈央、さあ」

 ジュディドは奈央の髪で作ったタイピンを取り出すと、扉にむかってかざした。光が放たれ、道ができる。

「奈央、急いで」

 ジュディドは奈央の背中を押した。奈央は扉の中に半分だけ身体を移した。

「ジュディ…だめ。私、帰れない……!」

奈央はジュディドを押し返し、こちらの世界に戻る。勢いでジュディドは後ろに倒れた。奈央はジュディドにしがみつき泣きながら訴えた。

「あなたと離れるなんて考えられない!!」

「でもご家族が…」

「分かってる…分かってる…。お父さん、お母さん、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 奈央は号泣した。


 ジュディドは奈央を下宿に送り届けると、泣きじゃくる彼女を宥め、ベッドに寝かしつけた。興奮と今日の演奏の疲れですぐに寝付いた奈央を見つめながら、ジュディドは頭を撫でてやった。

「奈央……」

 奈央の唇に軽くキスを落とすと、ジュディドは奈央の下宿を後にした。外は月が明るく照っている。散歩がてら、ジュディドは帰り道を移動魔法は使わずに歩いた。

 ジュディドが帰ると、奈央はベッドから起き出した。眠ったふりをしていたのだ。扉の景色の惨状を見てしまった今、眠れそうにはなかった。

 奈央は悶々と考えた。月が天頂に向かおうとする頃まで。それから不意に思い立つと、机に向かってジュディドに宛てた手紙を取り出し、燃やして捨てた。代わりに別の手紙をしたため、封をして引き出しの奥に丁寧に仕舞った。

 奈央は下宿を出た。手荷物は少ない。大切なものはジュディドに貰った、ジュディドの髪でできたブローチと、ペペロンの楽器だけだ。

 夜道を歩きながら月を見上げる。もうすぐ一番上まで来そうだ。ジュディと交信できるかしら…。そんなことを考えた。夜風は優しかった。


 奈央は墓地の丘のふもとに来た。そのまま火葬場に向かった。火葬場の門扉の前に立つ。

しばらくの間、奈央は立ったままそこを動けなかったが、心を決め、フルートを取り出した。

 静かに、静かに、奈央はフルートを吹いた。夜に相応しいように、低音で低速の曲だ。「魔法使いの扉」がゆっくりと開かれるのを待つ。

 それは姿を現した。つい数時間前に見た光景と同じだった。崩れた建物、割れた道路、逃げる人々……。

 奈央は自分の髪の毛を引き抜いて握り、その手を真上に上げた。そこから光が放たれた。光が向こうの世界への道を作り出す。

 扉の景色から風が吹く。大きな風だ。奈央の髪が揺れた。ジュディドが今日くれたガラスの髪飾りも揺れた。次の突風で髪飾りは奈央の髪から抜け出し、宙に浮いた。

 ガラスのそれは光を受けてキラキラと舞った。流れ星のように。そして硬い扉の角に当たって割れた。破片も光を受けてキラキラと散った。

 ちょうどその時、月が天頂に昇った。日が変わる瞬間だった。扉の門番が警鐘を鳴らす。

「日が変わります!火葬場の扉を開けます!扉を開けます!」

 奈央は決心して、向こうの世界に身体を投げ込んだ。

 その時ジュディドの声がした。「奈央」と。一言だけ。奈央も同じことを交信した。ただしもう一言付け加えて。

「ジュディ、愛してる」

 奈央の涙は夜風に散った。



 奈央が元の世界に帰ってひと月が過ぎた。

 ジュディドは相変わらず傷心だった。帰れと諭したのは自分ではなかったか。自分のことは心配するなと言ったのは紛れもなく自分のはずだ。

 奈央の下宿はジュディドが借り上げてそのままにしてある。ジュディドは奈央のベッドに横たわると、奈央の匂いが残っていないか無意識に探したが、痕跡はなかった。天井を睨みつける。

「奈央……」

 自分の目の前に突然現れて、突然消えた娘。

 初めて恋して、初めて愛された娘。

 最後の日、奈央は確かに自分に言った。「ジュディ、愛してる」と。自分が教えた交信魔法で伝えてきた。

 ジュディドは涙を堪えた。視界がぼやける中、起き上がってあたりを見回す。他に奈央の痕跡が残っていないか探す。うろうろと部屋の中を何度も行き来する。部屋中の戸棚や引き出しを開けて回る。情けないが、親を探す赤子のようだと自分でも思う。

 ふと机の引き出しを開いた時、奥の方に手紙が丁寧に仕舞われているのを見つけた。きちんと封をしてある。宛先は自分だった。ジュディドは緊張しながら封を破る。

 それは長い長い手紙だった。

 

「愛するジュディへ


突然いなくなってしまって、本当にごめんなさい。あなたを悲しませることは本意ではありません。それでも私は故郷に帰ることを決心しました。


日本が大地震に遭い、私はやはり父や母、友人たちが心配でなりません。

家族や仲間を大切にするジュディだからこそ、「帰れ」と言ってくれたジュディドだからこそ、この気持ちを分かってくれると信じます。


ジュディが泉で私を助けてくれたおかげで、この国で私は虐げられることなく生き生きと生活を送ることができました。ジュディのご家族とも仲良くなれたね。ペペロンの楽器を手に入れたり、カレンと治療に行ったり。「魔法使いの扉」を探したり、セルアーニャに会いに行ったり。一緒に魔力溜まりの泉にも潜ったね。ザハードさんとリサさんに出会って、双方向の道が確かにあるのだと希望が持てました。色んなことがあったけど、とても楽しかった。


ジュディが竜に攫われてしまった時は心配で心配で心細くて、あの時、私はどんなにあなたを愛しているのか気づきました。あなたを見つけた時の私の喜び、分かるかしら?


結局、双方向の道は見つけれなかったけれど、私は必ず見つけてあなたの元に戻ります。

どんなに時間がかかっても、必ず見つけてみせる。

これからは毎日、月が天頂に昇る時、あなたのことを考えることにします。


ジュディ、いつか「奈央からキスをしてほしい」って言っていましたね。

この手紙にキスを託します。

戻るその日まで、信じて待っていて。 奈央」


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