第30話 魔法祭当日

 とうとう魔法祭のその日がやって来た。

 祝日のため、火葬場の門扉は日が変わると同時に閉められた。異世界と繋がる扉だ。

 魔法祭では音楽祭の他に芸術祭とスポーツ祭も行われる。奈央と悠人は音楽祭に朝から出演するべく奮闘していた。夜明け前に集合して本番前練習をこなす。夜明けと共に演奏を開始するからだ。演奏は野外で行われる。

「皆んな、準備は万端だな?」

 ビルアーニャが声をかける。

「今日は我々の日々の練習の成果を見せつける日だ。どんと構えて演奏しろよ!」

 ビルアーニャは張り切っていた。

「奈央と悠人は定位置についていろ」

「はい!」

 夜明けと共に開始する演奏は奈央と悠人の二重奏だ。「朝」という名の曲で、クラリネットの独奏から始まりフルートが途中から追いかける、朝らしい透明な美しい曲だ。

 楽隊の正装をして二人は夜明けを静かに待つ。太陽がその顔を出した瞬間、悠人の独奏は始まった。しばらくの間、クラリネットだけの世界が広がる。それからフルートが加わる。二人の二重奏は朝の清々しい空気に溶けていった。

 二人の演奏が終わるとすぐに次の曲だ。太陽が完全に顔を出した瞬間、「始まりの歌」という曲が演奏された。全ての楽器が登場する合奏だ。演奏開始と同時にたくさんの色とりどりの風船が放たれ、朝の空の水色に色を散らしながら消えていく。空気砲も虚空に向かって放たれた。華々しい演出だ。

 演奏が終わると大きな拍手が沸き起こった。

 これから奈央たちは朝、昼、夜とそれぞれ演奏をする。夜には丘の墓地に向けた哀悼の演奏を捧げる予定だ。

 奈央たちの楽隊以外にも管弦楽団や合唱団、バンド、歌手等、出演者は目白押しだ。

 朝の演奏を済ませた団員たちは昼の演奏までそれぞれ自由時間となっている。家族と芸術祭やスポーツ祭を見に行くものも多い。

「奈央、悠人、いい演奏だった。ありがとう」

 ジュディドが二人に近づいてきて言った。

「二人ともお疲れさま。いいものを聴かせてもらったわ」

 と、エミル。

「次の曲も楽しみだな」

 大男の兄も楽しげだ。

「奈央おねえちゃん、悠人兄ちゃん、良かったよ!」

 ベルナールが無邪気に笑う。

「皆んな、来てくれてありがとうございます」

 奈央がフルートを持ちながらお礼を述べる。


「奈央、昼の演奏まで時間があるだろう?魔法祭を一緒に回ろう」

 ジュディドかデートに誘う。

「うん、待ってて。着替えてくるから」

 実際、初めての魔法祭は奈央を楽しませた。芸術祭では奈央にはちんぷんかんぷんな作品をジュディドが解説してくれたし、スポーツ祭では途中参加可の魔法競技でジュディドの勇姿を見ることができた。ジュディドは戦利品のガラスの花を髪飾りに魔法で変えて、奈央の髪に挿してくれた。

「何か腹ごしらえに行くか?」

「うん」

 二人で過ごすデートの時間を奈央は目一杯楽しんだ。


 奈央と悠人は昼の演奏をつつがなくこなし、残るは夜の演奏だけだった。

 魔法祭も終盤に向かい、夕方の空気が人々を包む会場を抜け出し、奈央たち楽隊は丘の上に向かった。「哀悼の調べ」を演奏するためだ。

 丘の上では既に太陽が傾いているのが見え、向こうに見える街中に消えていこうとしていた。丘と街はオレンジ色に包まれ荘厳な景色が広がっている。

 演奏は奈央のピッコロの音から始まった。遠くまで響く高い音色。ゆったりとした悲しいメロディが丘の上を駆けて行く。

 ピッコロの次に登場するのは悠人のバスクラリネットの音だ。低く強く響くクラリネットが哀愁を掻き立てる。哀悼の意を込めて団員たちは静かに静かに調べを奏でた。

 演奏が終わっても拍手はなかった。聴衆は墓地に眠る人々だ。日はとうに暮れ、辺りには夜の藍色と太陽の残したワインレッドが混じる空が残るのみだった。カラスが空の向こうへ飛んでいく。

「さあ、これで我々の演奏は全て終了した。皆んな、お疲れさん」

 ビルアーニャが団員に声をかける。お疲れ様と言い合いなが、団員たちは散り散りに去っていった。

「奈央」

 声をかけたのはジュディドだった。

「お疲れ。とても良い演奏だったよ。心に染み入るような、切ない気持ちになった」

「ありがとう」

「奈央さん、素晴らしい演奏でした」

 傍らにいたセルアーニャも褒める。

「そう言っていただけて、光栄です」

 奈央は謙遜を言ったが、自分でも満足の行く演奏だったと思っていた。

「さあ、皆んなで悠人を送り出そう。悠人」

 ジュディドが悠人を呼ぶ。悠人はビルアーニャと話し込んでいた。今日の演奏の感想会だろう。

「はい」

 呼ばれた悠人は素直にジュディドについて火葬場に向かった。奈央とビルアーニャとセルアーニャもそれに続いた。


「着いたぞ」

 ジュディドが火葬場の入口の門扉の前に立つ。他の四人もバラバラと到着した。

「悠人、お別れだ」

 そう言うとジュディドは悠人の肩を軽く抱いた。別れの挨拶だ。それに倣ってビルアーニャとセルアーニャも悠人と軽いハグをする。奈央だけは悠人をじっと見つめた。

「先輩、さようなら。どうか健やかにお過ごしください」

「奈央さんも、こちらの世界で元気に暮らしてください。双方向の道を見つけて、いつかまた会える日を楽しみにしています」

 そうして二人は抱き合った。奈央は泣いていた。

「それじゃあ…」

 そう言うと悠人は「形見」となる自分の切った髪を取り出した。地面にそっと置く。風はなく穏やかな夜だ。

 火葬場の門扉は閉まっている。「魔法使いの扉」としての本領を発揮するために。特別な日、特別な場所、特別な方法は、今宵、この場で、奈央たちの世界に通じるためにある。

 悠人はクラリネットを取り出した。柔らかい音色が夜の空に響く。扉が向こうの世界の景色を映し出す。


 そこで一同はたじろいた。奈央たちが住む世界の景色が以前とは比べ物にならないほど激変していたからだ。

 街が壊れている。その一言に尽きた。

 建物は崩れ落ち、道が割れ、河川が氾濫している。瓦礫から煙が立ち、火災が起きている。人々は逃げ惑い、犯罪が起き、動物は放たれていた。

 戦場のようなこの景色に皆は言葉を飲んだ。口火を切ったのはジュディドだった。

「これは、戦争が起きたのか?」

「地震だわ…」

 奈央が呟く。

「地震?」

 地震を知らないジュディドとビルアーニャ、セルアーニャの兄弟はそれは何だという顔をした。

「大地が揺れて人も建物も揺らすの」

 それを聞いたこの国の三人は息を飲んでその景色を凝視した。

「大変だ!すぐに帰らないと…!」

 悠人はそう言うとクラリネットを更に鳴らした。景色はどんどん鮮明になっていく。

 その時、大風が吹いた。風はその場にいた皆の髪を揺らした。地面に置いた悠人の髪の毛が風に乗って空を舞う。

「あっ、形見が…!」

 それを見ていたジュディドはすぐさま魔法で掻き集めようとしたが、「魔法使いの扉」の効力でジュディドの魔法は無力化された。

「なんてことだ」

 ジュディドが叫びながら扉の正面に来た時、ジュディドの身体中から光が放たれた。その光は扉に向かって道を作る。

「何だ、ありゃあ?」

 ビルアーニャが首を傾げる。

「うん。おそらくですが…」

 セルアーニャが前置きをしてこんな推論を述べた。

「悠人とジュディは瓜二つでしょう?扉がジュディを悠人の『形見』と認識したのかもしれません」

「なんてことだ。奇跡じゃないか」

 奇跡でできた道を見つけた悠人は、急いでその光る道に向かった。

「奈央さん!」

 悠人が奈央に声をかける。

「緊急事態だ!奈央さんも僕に続いて帰ろう」

 けれど奈央は決心がつかなかった。

「……」

「奈央さん!」

 悠人はもう既に身体を全て扉の向こうに投げ入れている。

「……」

「奈央!」

 奈央の沈黙を破ったのはジュディドだった。

「奈央!すぐに帰りなさい。私達のことはいいから」

「ジュディ…」

 やり取りをしている間にも悠人はどんどん消えていく。

「向こうで待ってるから!」

 その言葉を最後に悠人の姿は扉の向こうに消えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る