第27話 二人からの告白

 俯いた奈央を見てカレンがフォローする。

「まぁ、今すぐ選べって話じゃない。それに双方向の道が見つかれば解決するしな」

 奈央は顔を上げてカレンの目をじっと見た。

「双方向の道。安全に行き来できる道はあるのかしら」

「さあなぁ。私はこの手のことに関しては全くの素人だし。でも、この国から奈央がいなくなってしまったら私は寂しいかな」

「私もカレンに会えなくなるのは寂しい」

「嬉しいことを言ってくれる」

 カレンは満面の笑みで答えた。

「ジュディも同じ気持ちだよ、きっと」

 それからそう付け加えた。

「ジュディも」

 奈央はバナナマフィンを皿に置き、机の上を見つめた。

「この国に残れたらな……」

 小さな呟きはカレンには聞こえていなかった。


 午後、出勤すると悠人が駆け寄ってきて心配した。

「奈央さん!奈央さんも溺れたって聞いたけど大丈夫?」

「悠人先輩。ご心配をおかけしました。この通り無事です」

「どうして溺れたりなんか」

「魔力溜まりの泉に入ったんです。せっかくジュディが支えてくれていたのに、私、離れてしまって」

「どうして離れたの?」

「どうしてって……」

 二人の女子生徒の顔が浮かぶ。あの二人には意地悪されたが、悠人の同級生でもあった。

「事情があって」

「言えないことなら無理しなくていいけど、とにかく危険な真似はしないで」

「はい」

「そうだ、奈央さんに伝えておきたいことがあるんだ、始業前だけどちょっといい?」

 悠人は人気のない庁舎の裏側に奈央を呼び寄せた。

 朝練なのだろう、庁舎からはオーボエやサックス、音量の少ない弦楽器の音までもがかすかに聞こえてきた。暑いから窓を開け放しているのだろう。

「予想はしているかもしれないけれど」

 悠人は前置きをしてこう言った。

「魔法祭の日、火葬場の扉が閉まるその日に、僕は帰るつもりなんだ」

「えっ?」

「奈央さんは帰らないの?」

「……」

「ご家族が待っているだろう?」

「はい」

「ジュディさんのことで迷っている?」

「……はい」

「そうか…本当に好きなんだね」

「はい」

「こんなことを聞いておいて言うのも変だけど」

 悠人は少し躊躇ってから決心したように奈央の顔を見据えた。

「僕と一緒に帰らないか?」

「え?」

「元の国にだよ。僕も奈央さんも生活基盤はあちらにあるだろう?帰って一緒にやり直さないか?」

「やり直す?」

「うん。僕たちが突然消えて、あちらの世界では大騒ぎしていると思う。学校の授業も進んでいるだろうし。帰ってもしばらくは異邦人みたいな生活が待ってると思う。一人で立て直すのは心細いだろう?一緒に立て直さないか?」

「先輩……」

「すぐに答えが出ないのは分かってるよ。魔法祭のその日に答えを教えて欲しい」

 悠人は柔らかく笑うと、さあお終いという顔をした。

「…分かりました」

 奈央は魔法祭の日に答えを出すことを約束した。


 終業後、下宿に帰るとジュディドが待っていた。

「魔力溜まりの泉のことで話がしたい」

 真剣な表情で言う。

「先輩二人に意地悪されたこと?」

「いや、それについては煮るなり焼くなり好きにするがいい」

「そのつもりよ」

「奈央は魔力溜まりの泉に双方向の道があると思うか?」

「いいえ。あそこは魔力なしが一人で潜るのは無理でしょう?」

「……そうだよな」

「どうしてそんなことを聞くの?」

「実はな、セルアーニャにガザフ議長のツテを辿って三井千尋の晩年の日記を手に入れてもらったんだ」

「えっ、日記を?」

「ああ。記述はぼかされていたが、文脈の前後から解読するに、そこには魔力溜まりの泉を溺れずに難なく行き来する千尋の姿が書かれていた」

「あの魔力溜まりの泉を!?」

 奈央は驚いた。昨日、自分が溺れたばかりの泉だ。

「行き来していたと言うことは、魔力溜まりの泉が双方向の道っていうこと?」

「おそらくな」

「でもどうやって」

「そこがわからないんだ。セルアーニャが言うには、魔法使いの扉のように『形式』があって、それで無事に行き来できていたんではないか、と」

「形式…。それを見つければ私はここと元の国を自由に行き来できるのね」

 なんとしても見つけ出さなければ。約束の魔法祭の日までに。奈央はぶつぶつと独り言を言った。

「魔法祭?なんのことだ?」

 ジュディドが奈央の独り言を聞きつけて問う。

「あっ。えっとね。悠人先輩と約束をしたの。魔法祭までに帰るか残るか決めるって」

「魔法祭までに…?あと一月もないではないか」

 その時、ジュディドは決心した声で唐突に言い出した。

「……奈央、帰らないでくれ」

「え?」

 ジュディドは奈央の手を掴むと自分の身体に引き寄せ、体重が傾いた奈央の身体を抱きしめた。

「奈央、帰らないで」

 奈央の身体を抱きしめたまま、ジュディドは奈央に懇願のキスをする。長いキスだった。唇を離した時、奈央はとろんとした意識でジュディドを見上げた。

「ジュディ?」

「この国で私と一緒に暮らそう」

「ジュディと一緒に?」

「そうだ。おまえは私が守る。だからここにいてくれ」

 奈央にとっては甘い誘惑のような申し出だった。

 ジュディドは奈央の目が焦点の定まらないところを行き来しているのを見つけて、そっと奈央を解放した。

「いや、すまなかった。今のはあくまで私の願望だ。奈央は好きに選んでいいんだ。帰っても、残っても」

「ジュディ……」

 奈央はジュディドを見つめた。

「私もずっとジュディのそばにいたい。でも叶うなら両親にも会いたい」

「そうだよな。分かってる」

 奈央は迷っていた。帰るべきか残るべきか。自分がどうしたいのかも分からなかった。分かっていたのはジュディドのことを大切に思っているということだけだった。

 今度は奈央がジュディドの手を取り、そのままジュディドの身体に寄り添った。お互いの体温が伝わってくる。心臓の音も聞こえてしまいそうだ。

「私はあなたが好き。大好き」

 奈央は躊躇いなく伝えた。

 その告白を聞いてジュディドはもう一度、奈央にキスを与えた。

「私もだ」

 そうしてそのままソファに奈央の身体を押し倒した。


 その週末、二人は再び魔力溜まりの泉に来ていた。今度は昼間に。

 奈央は今度こそジュディドの作る結界から離れないことを約束して、二人はもう一度泉に潜った。

 この間と同じで泉の深部は魔力が強く、二人を押し返そうとする。それを無理に進めると、奈央が見た景色のある場所に辿り着いた。

「あの渦を巻いているところ」

「今日は何か見えるか?」

「うん。お父さんとお母さんが仕事をしている。学校の皆んなは部活の練習をしているわ」

「それは日常の景色か?それとも今日の出来事か?」

「えっと…。あっ、黒板に日にちが書いてある。八月十日。こことは暦が違うからわからないかもしれないけれど、おそらく今現在の景色よ。皆んな、夏服を着ているし」

「そうか、ではあの渦は向こうの世界の今を映しているんだな」

「この渦を潜れば向こうに行けるのかしら?」

「向こうからこちらに来るときは、おそらくそうだったのだろう。しかし反対はどうだろうか?渦の流れがこちらに向かっている。あちらに行くのは難しそうだ」

「こんなところを三井千尋さんは一人でどうやって渡ったのかしら…」

 と、その時、渦が揺らいで流れ星のような瞬息の光が渦の中心から奈央たちのすぐ横をヒュンッと横切った。

「何かしら今の?」

「渦の中からやってきたな。岸の方に行ったようだ。見にいこう」

 二人は上昇して岸に上がった。




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