第28話 陸のものは空に

 二人が魔力溜まりの泉の岸に上がった時、謎の光は木の枝に止まっていた。

 昼間だというのに、周囲の明るさよりも一際明るい光を放つ謎の物体。近づいて見てみると、それは伝書鳩だった。

「どうして鳩が泉の中から現れたのかしら?鳩は空を飛ぶものよね?」

 奈央は鳩を見上げながら疑問を口にした。

 すると鳩のいる方から声が聞こえてきた。

「空のものは水に、水のものは陸に、陸のものは空に」

 その声を合図に、岸辺の土が一斉に波打ち始めた。

「えっ何!?」

 奈央は足元を凝視した。ジュディドは咄嗟に奈央を庇う。

 足元の土は魚のようにうねり、飛び跳ねている。いや「ように」ではなく、それは実際に魚だった。

「これはどういうことだ」

 ジュディドが叫ぶ。

「水のものは陸に」

 先ほどと同じ声が木の上から聞こえた。よく見ると人らしき気配がする。

「誰だ?」

 ジュディドが現れの魔法を声のする方向に向かって発する。

「おっと、危ないなぁ」

 声は木から飛び降りて姿を現した。

「上司に向かって魔法を投げつけるなんて無粋だよ」

「上司?」

 奈央とジュディドは顔を見合わせる。

「どなたですか?」

 奈央が姿を現した声に聞く。声の主は体躯の良い四十前後の魔法使いだった。

「魔法省法務部のザハードというものだ」

 声は答えた。

「ジュディド君とは部署こそ違えど、魔法省の上司に当たる」

 ザハードは淡々と説明する。

「ザハード殿、失礼をお許し願いたい。しかしいったいあの鳩や魚は何ですか?」

 ジュディドは手を組んで屈み、謝罪の姿勢を表しながら尋ねた。

「『空のものは水に、水のものは陸に、陸のものは空に』だ。何のことか分かるか?」

「いえ、さっぱり」

「私は向こうの世界にいる妻とあの伝書鳩で交信をしていたのだよ。向こうの世界というのは、そこの女の子のいた世界のことだ」

「それは本当ですか!?」

 奈央が反応する。

「本当だとも」

「どうやってですか!?」

「それはだな、……」

 そこで警報器のような音がブーブーと鳴った。

「おっと、これ以上は極秘だとよ。お偉いさんからの警告だ」

「ザハードさん、教えてください。あの伝書鳩で奥様と交信していたとはどういうことですか?」

「そのまんまの意味さ。妻は魔法なしがどうやってこの世界に迷い込むのかを研究する研究者なんだ。彼女はあちらの世界に行く方法を知っているからね。時々出向いては報告を伝書鳩で飛ばすのさ」

「奥方は魔法使いなのですか?」

「いや、リサは、リサというのは妻のことだが、リサは魔法なしだよ。あと一月もすればこちらに戻ってくる」

「では魔法なしが安全に向こうの世界に渡っていて、しかも戻ってくることも可能なんですね!?」

 ジュディドが食いつくように聞いた。

「可能だとも。方法は極秘だがな」

「極秘…」

「二人ともそんな顔をするなよ。そうだな、ヒントを与えてやろう。『空のものは水に、水のものは陸に、陸のものは空に』。この呪文の通りにすればいい」

「呪文?」

「じゃあな」

 ザハードはヒントを残すと去っていこうとした。それを止めたのは奈央だった。

「待ってください。私たち、この国と向こうの国を安全に行き来できる方法を探しているんです。何か知っていたら教えてください!」

 ザハードは立ち止まって奈央を見た。

「うーん。じゃあうちの嫁さんに会うか?」

「えっお会いできるんですか?向こうの世界にいるんじゃ?」

「うん、まぁね、とりあえず二人ともうちに来なよ。細かい話はそれからだ」


 ザハードの家は散らかっていた。妻不在の四十男は家事を一切放棄しているらしい。

「あ、そこ掃除してないから、これではたいてから座りなよ」

 はたきを渡しながらザハードは何でもないことのように言う。奈央はジュディドの座る場所と自分の場所との両方を丁寧にはたいた。

「ほれ!そこの壁にもうすぐ妻が映るぞ。今日は連絡を取り合う日なんだ。少し待っておれ」

 言われた通り待つと、しばらくして金髪の女性が壁に映った。

「ハイ、ハニー!」

 リサが映るなりザハードはデレデレとした表情を隠さず懐かしそうに壁を見つめる。

「ハイ、ザハード。そちらのお嬢さんたちはどなた?」

 リサが奈央たちに気付いて問うた。

「はじめまして。奈央と申します。こちらはジュディド」

「ハイ、こんにちは」

 リサは笑顔で答えた。

「今日は魔力溜まりの泉を渡る方法を知りたくてお邪魔しました」

 奈央が訪問の理由を述べた。

「あの泉では魔法省の監視が強いからな。あまり滅多なことは言えんのだよ」

 ザハードが家に招いた訳を話す。

「リサさんはこちらの国とそちらの国を行き来していると聞きました。どんな方法で行き来しているんですか?」

「あら、簡単よ。『陸のものは空に』よ」

「『陸のものは空に』?」

「ええ、そうよ。その呪文の通りにするのよ。やり方はね…っきゃあ!」

 そこでリサの映る画面が揺れた。

「ああびっくりした。今ね、私は日本にいるんだけど、この国は地震が多くて。今も少し揺れたわ」

「大丈夫ですか?」

 ジュディドが初めて見た地震に戸惑いながら聞いた。

「日本人はこれくらいの地震には全く動揺してないわ。私はダメね、怖かったわ」

「地震はどこで起きたのですか?」

 奈央が心配そうに聞いた。

「トウキョウよ。もう揺れてないわ。大丈夫。本題に戻りましょう。あの泉を渡る方法だけどね…」

 そこでもまたもや警報ブザーが鳴った。

「魔法省め、抜け目がないな。極秘だから教えられないってか」

 ザハードがちっと小さく舌打ちをした。

「何かヒントはありませんか?」

「まぁ、そうだな。あの泉で溺れるのはだな、陸のものが水に入るからだ。確かに泉はこの世界とあの世界を繋いでいるが、法則を無視すればそりゃあ溺れるさ」

「陸のものが水に入るから溺れる…?」

 ジュディドと奈央は顔を見合わせた。


 ザハードの家に暇を告げた二人は帰り道を散歩しながら話し合った。

「『空のものは水に、水のものは陸に、陸のものは空に』。どういう意味かしら」

 奈央が教えてもらった呪文をぶつぶつと唱える。ぶつぶつ唱えていたので口を尖らせていたらしい。

「おそらくだが」

 ジュディドが奈央の尖った唇を摘んで引っ張った。何よジュディという顔をする奈央。ジュディドはニヤッと笑って奈央の顔を覗き込み、手を離した。

「ものの例えだろう。あの泉から伝書鳩が現れた。鳩は空のものだ。『空のものは水に』。

 それから、岸辺の土の上で魚がうねっていただろう?『水のものは陸に』。

 そして最後に『陸のものは空に』。これはおそらく陸のものである人間は空に行けという暗示だろう」

「すごいジュディ!」

「ただなぁ。実際、具体的に何をしたらいいのかは結局分からずじまいだったな。我々で発見するしかなさそうだ。魔法なしが空を飛ぶことができるとは思えないし、いったいどういう意味なんだ…?」

 奈央は試しに空を飛ぶ真似をしてみた。宙に向かって飛ぶが、すぐに重力で身体は陸に戻ってくる。ぴょんぴょんと跳ねるその姿にジュディドは笑った。

「魔法祭まであと一月弱ある。ゆっくり考えよう」

 ジュディドは飛び跳ねる奈央の手を取って繋いだ。そして奈央を抱えるとヒュンと空を飛んでみせた。


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