第26話 奈央の選択

「奈央!奈央!」

 岸に這い上がったジュディドは、奈央の胃を思い切り突き上げて水を吐かせ、呼吸の怪しい彼女に人工呼吸を施した。

「奈央!目を覚ませ!奈央!」

 何度も肩を叩いて意識を確認する。こんな時でも夜は静かで、フクロウの鳴き声が響いてくる。

「奈央!奈央!」

 夜のしじまにジュディドの叫びが吸い込まれていく。奈央は虚ろな瞳を朧げに開いた。

「奈央!大丈夫か!?」

「……ジュディ?ごめ…げふっ」

「喋らなくていい」

 ジュディドは奈央を抱き抱え、移動魔法で彼女を下宿に移した。


 ベッドにタオルを敷いて奈央を横たえると、びしょ濡れの身体を軽く拭いてやってから、乾燥魔法で乾かしてやる。それから治癒魔法に明るいカレンを呼び出した。

「何だ何だこんな夜中に」

 カレンは欠伸をしながらやってきたが、患者が奈央だと知ると一目散に奈央の元にやってきて、眠っている奈央に治癒魔法を施した。

「水を吐かせるときに胃を突き上げた。あとで障害が出るかもしれない」

 ジュディドがそう言うと、カレンは奈央の胸の下に手を当てて観察した。

「魔法で診る限りは大丈夫そうだけど、念のため明日の朝、医者に連れていきなさい」

「分かった。こんな夜中に感謝する」

「いいのよ。奈央は大事な仲間だもの」

「なぁ、カレン」

「んん?」

「この国と奈央の国を安全に行き来できる道などあるのだろうか?」

「突然どうしたって言うんだい、それにそんなに弱気になって」


「魔力溜まりの泉、竜の根城、魔法使いの扉。どれも私では、魔法使いでは通れないんだ。だから奈央にこの国とかの国を行き来してもらうしかない。だがどれをとっても不完全なんだ」

「不完全というと?」

 カレンはこの話、この国と元の国をつなぐ道については初耳だったので、興味深く思って聞いた。

「竜の根城は、奈央の国を上空から眺めるだけ。魔法なしがあそこを通ったら転落死してしまう。

 魔力溜まりの泉は魔法なしは溺れて危険だ。今回がそうだ。

 魔法使いの扉。これは別名、死者の扉と言って、魔法なししか通れない。しかしおそらく帰ることしかできない一方通行の道だ。しかも安全に帰れるかは分からない。

 どれをとっても不完全だろう?」

 ジュディドは自嘲気味に言った。焦ってもいたのだ。

「どれも安全じゃない。安全に行き来できる方法が見つからねば、奈央は帰れない。あるいは……」

「奈央が帰ったきり戻って来ないかも、と言いたいわけ?」

 カレンがジュディドの痛いところを突いた。

「……ああ」

「おまえさんの不安は痛いほど分かる。けどね、例え一方通行の道だったとしても、奈央が帰ることを選んだなら、それは尊重しないといけないな。奈央にだって向こうの国に家族や大切な人がいるはずなんだから」

 カレンが正論で諭す。

「ああ、分かっている。分かっているが…」

「心が納得していないんだね?」

 カレンはジュディドの目を見た。

「ああ。私を選んでくれと、そう思っている。こんなことは奈央には言えない」

「言えばいいじゃないか。奈央が家族じゃなくジュディを選んでくれるかもしれないよ」

「そうしたら、私は奈央から家族を奪ったことを、一生後ろめたく思って生きることになる」

「それが嫌だから、双方向の道を探しているのかい?」

「恥ずかしいが、その通りだ」

 頭を抱えた子供のようなジュディドを見て、カレンは慰めてあげたい気持ちになった。

「いいけどね、欲張りなジュディさんも。私だって同じ立場にいたら同じものを探すだろうさ」

「……そうか」

「……ねぇ、ジュディ」

「うん?」

「奈央は強い娘だよ。自分のことは自分で解決する。それに加えて、竜に攫われたジュディド姫を見事探し出す勇者だ。

 ……ジュディには言っていなかったけど、ジュディの捜索隊に参加した奈央は、魔法なしだからと下っ端兵士に襲われそうになったんだよ。ちゃんと逃げ出したけどね。

 ジュディを見つけた時の奈央の気持ちを想像できるか?」

 ジュディドは沈黙した。そんな経緯があったとは。

「そうまでして見つけてくれたんだ。奈央のジュディへの気持ちは本物だよ。奈央を信じてあげなって」

「ああ、ありがとうカレン」

「礼はいいさ。私は奈央が幸せになってくれればそれで。じゃ、私は帰るけど、お姫様には朝まで付き添っててあげなさいね」

 そういうとカレンは移動魔法で消えた。


 翌朝、奈央が目を覚ますと隣でジュディドが眠っていた。奈央の手をしっかりと握ったまま。

「ジュディ…?」

 奈央の声にジュディドも目を覚まし、

「おはよう、奈央」

 ほっとした笑顔を見せた。奈央の髪の毛を掬ってやり、そのまま頬に手をあてキスをする。

「今日の午前中は楽隊はお休みしなさい。胃を突き上げたから診療所に行かないと」

「うん。……ねぇジュディ」

「何だい?」

「昨日はごめんなさい。結界から勝手に出てしまって」

「過ぎたことはもういいんだ。それに私は聞き捨てならないことを聞いてしまったようだし」

「……女子生徒の先輩のこと?」

「うん、池に突き落とされた、って聞こえた」

 ジュディドは眉根を寄せ険しい表情をした。

「そうなの。いじめられて、肩を突かれた拍子に池に落ちて。私も黙っていられない性分だから、やり返してやろうと思って池を上がろうと足掻いているうちに、この世界に来てた」

「そうか。私は奈央を突き落とした彼女達が許せない。だが、奈央がこの世界に来てくれることになったのは彼女達が原因でもあるってわけだ。……難しいな」

「そう?これとそれは別の話よ」

「なあ、奈央」

「うん?」

「三井千尋はどうやってこの世界と元の世界を行き来していたんだろう?気にならないか?」

「そうねえ、魔力溜まりの泉でやってきて、魔法使いの扉で帰って、を繰り返してたんじゃないのかしら?」

「入り口は魔力溜まりの泉で、出口は魔法使いの扉?…危険すぎる」

「じゃあどうやって?」

「それを知りたいんだ。おまえを安全にこの世界と元の世界を行き来させるためにも」

 ジュディドは奈央の目をしっかりと見て言った。


「お取り込み中申し訳ないが、そろそろ診療所に行く時間だ」

 カレンが突然現れてそう告げる。

「カレン!久しぶりね」

 奈央が嬉しそうにカレンに駆け寄る。

「おはよう奈央、元気だったかい」

 カレンは奈央の頬にキスをして挨拶をする。

「診療所で診てもらうまでは何も食べるんじゃないよ、胃に障るから」

「うん」

「ジュディ、悪いけど、奈央は私が連れていくな」

「えっ?ちょ、カレン……」

 言うが早いか、カレンは移動魔法で奈央を診療所に連れ出した。

 診療所の診察を受け終わると、カレンは奈央を遅い朝食に誘った。

「へええ、そんなことになっていたのか」

 バナナマフィンを頬張りながら、奈央はここ最近、元の世界に戻るための「魔法使いの扉」を調べていたことをカレンに報告した。

「それでジュディがあんなに悩んでたわけ」

「悩んでいた?」

 奈央が聞き返す。

「すぅっっっっっっごく、ね」

 カレンは野菜をフォークで突き刺して口に詰め込み、むしゃむしゃと食べた。

「ジュディが?」

「ジュディはね、奈央を手放したくないいだよ。自分と奈央の家族、天秤にかけられて選んでもらえなかったらって、すごく不安がってる」

「天秤になんかかけられないよ」

 奈央が困った顔で笑う。

「そりゃそうだろうさ」

「ジュディも家族もどちらも大切だもの」

「そのためにジュディは安全に行き来できる道を探してるだろう?」

「うん。ジュディが魔力溜まりの泉で溺れたのもそのためだったの」

「で、奈央はどうするんだい?」

「どうするって?」

「安全な道が見つからなければ、選ぶしかない時が来るよ。その時、奈央はどちらを選ぶか覚悟はできてるのかい?」

「選ぶ覚悟……?」

「そうさ。人生には選ばなきゃいけない、ここぞって時が何度かあるんだ、奈央のそれはジュディと家族かもしれない」

「そんな」

「逃げられない選択というものがあるんだよ」

「……ジュディか、家族か」

 奈央は不安げに目線を膝に落とした。


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