第25話 魔力溜まりの泉

 魔法祭まであと一ヶ月を切った頃、太陽は高くなり空の青も濃くなった。日差しが強く、汗ばむ季節だ。

 奈央と悠人は音楽学校の校庭で演奏の練習をしていた。最近は日陰に入っても蒸し暑く、風も生温くなってきた。そろそろこの穏やかな場所で練習するのも厳しくなってきた。この気候は楽器にとってもコンディションが悪い。

「まるで夏みたい。こちらの世界の気候は元の世界の気候と似ていますね」

 奈央が悠人に話しかける。

「そうですね。今は向こうは夏真っ盛りでしょうか」

「夏休みの最中かしら?スイカにプール、花火、それから吹奏楽大会」

「懐かしいですね。僕らも帰れれば参加できますよ、きっと」

「そうね…」

 奈央の顔が曇る。

「そっか、奈央さんはこちらとあちら、両方行き来できる道を探していたっけ」

「はい」

「ジュディドさんがいるから?」

奈央は赤くなったが、

「はい」

 と素直に答えた。

「そうか。そんな道が見つかるといいね」

 悠人はニコリと笑ってクラリネットを吹き始めた。魔法祭で演奏する曲だった。

 奈央もフルートで追いかける。二重奏はしばらく続いた。


「おおーい」

 遠くから二人を呼ぶ声がする。近づいてくる影はビルアーニャだった。

「大変だ、ジュディドが溺れたと魔法連絡が入った」

「ジュディが!?」

 泳ぎは得意なはずだ。溺れるなんて余程のことだ。

「どうしてジュディが溺れるなんて…」

 奈央はビルに詰め寄ったが、

「すまんが詳しいことは分からんのだよ。とにかく早く行ってやれ。午後の練習はいいから。悠人は合奏に参加しなさい」

 ビルはそう言うと悠人を連れて楽隊の庁舎に戻っていった。


 奈央はすぐにジュディドの屋敷に向かった。平日の昼過ぎだったせいか、家人はなく、執事が出迎えてくれた。

「奈央樣、こちらです」

 通されたジュディドの居室で、部屋の主はびしょ濡れの身体をバスタオルで拭いていた。何か考え事をしているかのように、目は虚ろだった。

 服は溺れた時のままのようだ。髪が肌にぴったりと吸い付き、額は汗ばんでいる。水も滴るいい男とはジュディドのことを言うのだろうと、奈央は見惚れたが、今はそれどころではない。

「ジュディ!濡れたものを着ていると風邪をひくよ!」

 ジュディドは奈央に気付くと虚ろだった目に光が差し、咄嗟に奈央を抱きしめようとしたが、自分が濡れていることを思い出して躊躇した。

「ああ、乾かすのならすぐにできるさ」

 そう言うと魔法で温風を起こし、一瞬で服も髪も身体も乾かした。

「何があったの?ジュディが溺れるなんて…!」

「いや、魔力溜まりの泉を調べていただけだ」

「魔力溜まりの泉?私が初めてこの国にきた時の?」

「そう。おまえは元の世界から魔力溜まりの泉を通ってやって来ただろう?だからあそこに双方向の道がないかと探していたんだが……この様さ」

 ジュディドは自嘲気味に嘲笑った。

「一人前の魔法使いが溺れるなんてな、名折れだよ」

 ソファにドサリと座って前に屈んむ。

 奈央はジュディドに近づくと、そっと肩を抱いた。

「私のために溺れたんでしょう?名折れなんかじゃない。……探してくれてありがとう」

 ジュディドは顔を上げると、直ぐ目の前にあった奈央の唇を吸った。

「おまえのためだったらな、何でもしてやるさ」


 しばらくキスの雨が続いた後、ジュディドは今日の出来事を語った。

「泉の深いところに魔力が溜まっている場所があった。魔力溜まりというだけあって、強力な魔力だ。だがあの程度の魔力なら大人の魔法使いでは溺れたりしないはずなんだ。

 私は近づいて確かめようとした。ここからお前がやってきたとしたら、ここには向こうの世界と繋がる道があるはずだと。

 だが魔力溜まりの魔力は押し出すようにこちらに向かってきてなかなか近づけられない。色々な魔法を試して押さえつけようとしたがだめだった。全て吸い取られてしまうんだ。そこで力尽きて溺れてしまったと言うわけさ」

「そうだったのね」

「我々魔法使いはどうあっても向こうの世界に行かせてもらえぬらしいよ」

「……」

 奈央は黙ってしまった。

「魔力溜まりの泉、竜の根城、魔法使いの扉。どれをとっても、魔法使いは通さぬようだ」

「つまり、ジュディが私の世界に来れない以上、私がこことあちらを行き来しないといけないのね」

「……そのようだ。奈央はできるか?」

「やってみるよ。私達のために」

「そうか」

 ジュディドは奈央の頭を抱いて呟いた。

「すまない。おまえばかりに負担をかけて」

「負担だなんて思ってない。私達のためにやることだもの」

「……ありがとう」

 ジュディドはもう一度奈央の頭を抱いてそこにキスを落とした。奈央はそれを静かに受け止めたが、思い付いたように顔を上げると、

「ねぇ、ジュディ」

「なんだ?」

「私も魔力溜まりの泉に潜ってみたい」

「何だって!?……だめだ。危険すぎる」

「ジュディと一緒でも?魔力を使い過ぎなければ、ジュディは魔力溜まりの泉では溺れることはないんでしょう?」

「それはそうだが」

「今日でなくともいいの。今日はジュディ、疲れていると思うから」

「そうだが……いいだろう。明日、就業後に待ち合わせしよう。連れていってやる」


 翌日の夜、二人は魔力溜まりの泉にいた。

 夜の泉は深い藍色をしており、静かに滔々と水を湛えていた。あたりは林となっており、どこからかフクロウの鳴く声が聞こえてくる。

「奈央、おまえが一人でこの泉に入るのは非常に危険だ。魔法で空気の膜を作るから二人で潜ろう。潜水していられる時間は10分だ。いいな」

「うん。お願い」

 ジュディドは奈央を抱えると呪文を唱えて二人の周りに風船のような透明な膜を作った。

「水に入るぞ」

 言うなり、ジュディドは奈央を抱いたまま泉に飛び込んだ。二人は泉の底に向かって沈んでいく。

 泉の中は何もなかった。魚でも泳いでいるのだろうかと奈央は思ったが、生物らしきものはいない。

 底に近づくにつれ、身体が重くなるような感覚に陥る。

「身体が重くなるのは水圧もあるが、魔力溜まりに近づいている証だ」

 ジュディドはそう説明した。

 魔力溜まりに到着した時、押し出されるような強い圧力を二人は感じた。

「ここだ」

 ジュディドは視界を明るくすべく、魔法で目の前だけ灯りを灯した。

「ジュディ、あの渦を巻いている中心に、何か見える。もう少し近づける?」

「私にはただの渦に見えるが。……奈央にだけ見えるのかもしれない。おまえの見ているものを覗いてもいいか?」

「うん」

 奈央の了解を得ると、ジュディドは透視魔法で奈央の視界を覗いた。渦の方に少しずつ近づいていく。するとそこには中年の男女が映っていた。

「お父さん、お母さん」

 奈央が呟くのを聞いて、ジュディドはそれが奈央の両親だと知れた。

 中年の男女は奈央の写真を見ていた。そして二人で支え合っている。奈央が失踪して悲しみに暮れているだろう様子が垣間見えた。

 その次に見えたのは学校だった。吹奏楽をする生徒たち。きっと奈央はあの中にいたのだろうとジュディドは想像した。それから二人の女子生徒も登場した。二人とも楽器を持っている。他の生徒に妙に高圧的な女子生徒だ。

 その時、奈央が何か言った。

「あの人たち、私を池に突き落とした人……」

「えっ?」

 ジュディドはわずかに聞き取れたその言葉に驚いた。と同時に、奈央がパニックに陥り、ジュディドの腕を引き離し、渦の方へと向かおうとした。

「許せない!許せない!」

 奈央はジュディドの結界を破った。大量の水が奈央に向かって流れ込む。奈央はいとも簡単に溺れた。

「奈央!」

 ジュディドは溺れる奈央を掴まえ、岸に向かって必死に引き上げた。


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