第15話 同じ顔の二人の男
フランツの楽器店にクラリネットを持ち込むと、店主は驚いた顔をした。ジュディドと悠人が瓜二つだったからだ。
「生き写しですね」
そう言ったものの、店主はすぐに仕事に取り掛かり、クラリネットを魔法で修理してくれた。
「ありがとうございます。ところでお代なのですが…」
「あ、先輩、それなら私が」
「いや、僕自身のことだから」
悠人は店主に頭を下げて頼んだ。
「直していただいたクラリネットで何曲か吹きます。それで代金としていただけないでしょうか?」
店主は口髭を撫でて
「ほう、それはそれは」
と言って
「いいとも。やってごらん」
と了承し、クラリネットを悠人に手渡した。
悠人のクラリネットは懐かしい優しい音がした。懐かしいと感じたのは久しぶりに悠人の音色を聴いたからだけではないだろう。その場にいた店主やジュディドも郷愁を感じているようだった。
「これは素晴らしい音色ですね。奈央さんに劣らない」
「悠人先輩は私よりずっとずっと上手いんです。コンクールで何度も受賞していますし。期待の新人って、向こうの世界の音楽業界でも言われていたんです。」
「奈央さん、褒めすぎだよ」
はにかみながら悠人は謙遜した。
「こんなに良い演奏を聴かせてもらえるのなら、リードをサービスしようかね。持っていくといいよ」
店主はそう言うとリードを戸棚から取り出し悠人に渡した。
「ありがとうございます」
悠人は再びお辞儀をした。
ジュディドはその姿を見て、奈央と重ねて何故か切ない思いに駆られた。
店を出て、散歩を兼ねて下宿先に向かって三人で歩く。
「久しぶりに先輩の演奏を聴きました。やっぱりいい音色!」
奈央ははしゃいでいた。
「今度、奈央さんとも一緒に吹きたいな」
「それは楽しそう!是非是非」
「何を吹こうか」
二人は盛り上がった。ジュディドは黙って二人の会話を聞いていた。
「なぁ、よければ悠人は私の屋敷に泊まらないか?奈央の下宿にいつまでも居着くわけにもいかないだろう?」
唐突にジュディドが提案した。ジュディドは奈央の元に年頃の男を置いておきたくはなかったのだ。
「そうさせて頂けると大変ありがたいです」
だがそんなことは気にも止めず、悠人はありがたく好意に甘えた。
そういう訳で奈央は下宿先に、ジュディドと悠人は屋敷へと向かうこととなった。
屋敷に向かう道のりでもジュディドは一人黙っていた。ツカツカと早歩きで進むジュディドに、何と声をかけるべきか悠人は迷っていた。そこで悠人はジュディドに聞きたかったことをぶつけた。
「あなたにとって奈央さんはどういう存在なのですか?」
「婚約者だ」
「こんやく…?……彼女は16歳になったばかりのはずです。早くはないですか?」
「この国では生まれた瞬間に婚約させられる例もある。まぁとは言え、私と奈央のそれは名義上のものだ」
「そうですか」
悠人はほっとした。
「ただし」
「ただし?」
「いずれは正式なものにしたいと思っている」
「……」
悠人はしばらく黙ったが、
「それは彼女のことを好きだということですか」
「いや、違うね。そんなものじゃない」
「では、どうい」
「愛している」
「えっ?」
「だから、愛している」
「……。いや、でも、彼女はこの世界に来てまだ日が浅いはずです。そんな中でどうやって彼女の良さが分かると言うんです?」
「わかるさ」
「僕は、中学の時から彼女と音楽で共に戦ってきた。ひたむきに努力する彼女の良さを僕は分かっているつもりです」
「ほう、おまえは奈央に惚れているのかな?」
「……ええ、好きです」
「ふっ、奇妙なものだな。同じ顔の男が同じ女性を想い合っている。別々の世界の者なのに。だが私は奈央を手放すつもりはない。奈央が私を好いていてくれる限りな」
「今の僕は今夜の宿も自力で探せない力のない男です。その宿をあなたに借りる不甲斐ない男です。そんな僕が何かを言う立場ではないかもしれない。でも、僕は彼女を連れて帰ります。必ず」
「もしかしておまえは奈央を探すために池に落ちたのか?」
「そうです。彼女がいじめられていたと噂に立ったあの池を探せば、彼女の手がかりが見つかるかも知れないと思った。……まぁ、この樣ですが。でもお陰で彼女に会えました」
「そうか。……奈央はおまえのことを憧れだと言っていた。奈央の大切なものは私も大切にしたい。客人として大いにもてなそう。遠慮はするな」
「……ありがとうございます。でもいずれ出て僕も下宿を探しますので」
「そうだな」
二人はしばらく黙って歩いた。
屋敷に着くと、エミルとベルナールが出迎えた。姉弟は瓜二つの二人にやはり驚いた。
一番驚いたのは長兄の大男の兄だった。驚きはしたが、兄は同時に喜んだ。
「こんなに我が弟にそっくりな客人を迎え入れれるなんて光栄だ。今夜はご馳走を用意しなくてはな」
そう言って大いに盛り上がった。
晩餐を抜け出してジュディドは奈央の下宿先に急いだ。一緒に夕飯をと思ったからだ。晩餐に出たローストビーフを手土産に、ジュディドは奈央の家のドアを叩いた。
「ジュディ!待ってたの」
この笑顔を見て抱きしめたくなるのを堪え、部屋に入る。
「お土産だ」
「わ、美味しそうね。ありがとう」
「なぁ奈央、悠人に会って、おまえ帰りたくなったんじゃないか?」
「うーん、そうね。ちょっと元の世界が懐かしくなったかな」
本当は懐かしいどころではなく恋しくなったのだが、それはジュディドには言わないことにした。
「奈央は私のそばにいたいのだろう?」
「もちろん」
「悠人が好きか?」
「大事な先輩ではあるわね」
「私よりも?」
奈央はそれには答えずに
「ジュディ、どうしたの?今日は少し様子がおかしい」
ジュディドの態度がいつもと違うことを言及した。自信満々のいつものジュディではない、と。
「おまえを取られるんじゃないかと心配なんだよ。おまえが元の世界に帰ってしまうのではないかと。私は魔法が使えても音楽はてんでダメだ。音楽でおまえと繋がることはできない。その点、あいつは羨ましいよな」
「ジュディってば」
「いいんだ。元の世界が恋しい気持ちはわかるんだ。私にも家族がいるように奈央にもいる。それを捨てろなんて言えるわけがないだろう?私は奈央が私のそばにいることを望んでくれたことを感謝しなければならない。それだけで充分なはずだ」
そう。充分なはずなのに。ジュディドは確証が欲しかった。奈央が自分を捨てない確証を。
「ジュディ……」
奈央は何と言ってジュディドを慰めれば良いのか分からなかった。元の世界に帰りたくないと言えば嘘になるからだった。
元の世界に帰りたい気持ちとジュディドを捨てられない気持ち。奈央の揺れ動く心が、ジュディドを不安にさせるのだった。
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