第31話 夕凪の過ち②―神谷視点―
1学期の終業式も終わり、明日から夏休みが始まる。去年の今頃とはあまりにも違う環境に、自然と笑みが溢れてしまう。
去年は、追試と補習が確定して自暴自棄になりかけていた。そんな私が今年は希望制の補習を受けるのだから、人生何が起こるか分からないものだ。
そんな私とは対照的な生徒も一定数いて『来年は受験だから今年は遊びを優先する』そんな生徒も少なくはない。その証拠に、私のクラスメイトの補習参加率は半分ぐらいだった。
家と学校の往復を繰り返し、勉強に明け暮れる毎日を過ごしているとあっという間に夏補習前半が終わりを告げた。
補習の前後半の間に挟まれるお盆休みを、私は例年通りおばあちゃんの家で過ごす事にした。
久しぶりに会うおばあちゃんは私の変化を心から喜んでくれた。こうして誰かに努力を認めてもらえるというのは嬉しいものである。
私は勉強に対するモチベーションを更に上げ、補習後半に臨んだ。
この夏は思い出になる様な出来事こそなかったけど、勉強に関しては確かな手応えを感じた。
充実した日々を過ごせたと、満足出来る夏休みだった……。
2学期の始業式の日。朝のホームルームまでの間、教室内は夏休みの話題で盛り上がっていた。
私には無縁な世界……このまま仲の良い友達も出来ずに青春とは程遠い学生生活を送り卒業する。そんな風に漠然と考えていた私に、思わぬ転機が訪れる事となる。
きっかけは文化祭のクラス責任者を決める日の事だった。誰も立候補はいないが、かと言って推薦というのも押し付けるみたいで体裁が悪い。公平を期すなら抽選がベスト。言葉にせずとも誰もがそう思っていた事だろう。
私以外なら誰でも良い。そんな風に他人事と思ったのがいけなかったのだろうか……。
稲葉先生が突然とんでもない事を言い始めたのだ。
「神谷。お前部活も入ってないし暇だろ?先生も協力するからやってみたらどうだ?」
「…………」
クラスメイトの視線が一斉に私に向いた。『嫌だ』と言いたかったけど、注目される事に慣れてない私は言葉に詰まってしまう。
「内申点も上がるぞ。どうだ神谷?」
内申点が上がる言われても、ハイリスクローリターンにしか思えない。
断るつもりで稲葉先生に視線を向けると、普段の彼からは想像出来ない真剣な顔をしていた。
断るなと目で訴えかけられている気がした。
「分かりました。他にやりたい人がいないなら私がやります」
結局私はこの提案を受ける事にした。彼には授業外で勉強を教えてもらっている恩義があったからだ。
これは後から聞いた話だが、私がクラスに馴染めていなかった事を稲葉先生は気にしていたらしい。担任としてはこの状況をどうにか打開したいが名案も浮かんでこない……人知れず葛藤していたと聞かされた。
私を責任者にする事でクラスメイトと強引に接点を作れば何か変わるかもしれない。
そんな行き当たりばったりな考えに呆れはしたけど、気にかけてもらっていたのは素直に嬉しかった。
文化祭のクラス責任者の最初の仕事は、クラスでやりたい出し物を決める事。多数決を取ると、飲食店が圧倒的に多かった。
ただ飲食店は毎年競争率が激しい為、やれる見込みは薄い。その事を踏まえ、第3希望まで決めておいた。
平静を装ってはいたけど、クラスメイトの期待を一身に受けた私は抽選のプレッシャーに押し潰されそうだった。
どうやら私は自分で思っていたよりも繊細な性格をしていた事を、この日初めて気づかされた。
そして迎えた抽選日、予想していなかった問題が起きてしまう。なんと稲葉先生に教えてもらった抽選時間が違っていたのだ。
私が行った時には抽選は既に始まっており、遅れて来た私の順番は当然ながら最後となってしまう。遅れてしまった結果抽選に漏れた……最悪の事態を想定した私はクラスメイトに謝罪する事しか頭になかった。
箱の中に残った最後の一枚を引く。全員で一斉に開封する流れなので、引いてすぐに開封できるこの順番はある意味心臓に優しいと言えなくもない。もういっそ喜んでしまった方が楽なのかもしれないな……。
そんな事を考えながら、ホッチキスで閉じられた三角形のくじを開く。
そこには『◯』と書いてあった。
「◯が書いてあるクラスが飲食店の権利獲得だ」
どうやら私は無事やり遂げたらしい。クラスメイトをがっかりさせずに済んだ事に安堵したのも束の間。精神的ストレスを与えてきた元凶に対して、段々と怒りが込み上げてくる。
嬉しさと怒りが混在する状態のまま、職員室へ向かった。目的の人物は……居た!!
「稲葉先生、ちょっといいですか?」
「神谷か。抽選はどうだった?残り物に福はあったか?」
「ええ……まぁ。ってそうじゃなくて!!稲葉先生のせいで私は生きた心地しなかったんです。何で間違った時間を伝えたんですか!?そういう事はちゃんとして下さい!!」
悪びれた様子を見せない彼を散々罵倒した私は職員室を後にした。
後ろから足音が聞こえてきた気がして振り返ると優先生が私を追いかけてきた。
「神谷さん。ちょっと待ってくれ」
「優先生?私に何か用ですか?」
「言っておきたい事があってね。どうか稲葉先生を怒らないでやってくれ。君に間違った時間を伝えたのは理由があるんだ」
「どういう事ですか?」
間違った時間を私に伝えた理由があると言われてもピンと来ない。
「君は抽選に少なからずプレッシャーを感じていたのだろう?彼はそれに気づいていたんだ。もしも抽選に外れたら悪いのは君に間違った時間を教えていた自分だ。そうやって生徒達に伝えるつもりでいたんだ。君が責められないで済む様にね」
そんな意図があったなら言えばいいのに……。弁解ぐらいすればいいじゃないですか。
「……稲葉先生って馬鹿ですね」
「否定はしない」
優先生と顔を見合わせて苦笑した。稲葉先生の本心を聞いた後、心拍数が上がった様に感じたのはきっと気のせいだろう……。
自分達のやりたかった企画が出来る事となり、クラスは大いに盛り上がった。皆が私のくじ運を称賛してくれたので、本当の事を言う機会を逸してしまった。
稲葉先生の功績を奪ってしまった。そんな負い目を払拭する意味も込めて、私は文化祭実行委員とクラスの架け橋としての役目に奔走した。
文化祭の準備を通して、私はクラスメイトと普通に会話が出来る様になった。
このクラスには私に対して嫉妬心や身勝手な好意を向けてくる人は居なかった。
あれだけ警戒していたのは何だったのだろうか……と拍子抜けしてしまった。
最初の宣言通り、稲葉先生も色々と協力してくれた。作業も手伝ってくれたし、下校時間を過ぎても目を瞑ってくれた。
頼り甲斐があるのに子供みたいな人……とても不思議な感じだった。
私達と一緒に毎日遅くまで作業しているものだから、見回りに来た先生によく怒られていた。
彼の大きな体が縮こまって反省している姿が面白くて、私は笑いを堪える事が出来なかった。
そんな彼を気づけば目で追っていた……。
優しくされて好きになる……そんなのは物語の中だけの話だと、私は心の中で馬鹿にしていた。
だけど、どうやら私もそんな馬鹿の1人だったらしい。
文化祭は大成功に終わり私にも友人と呼べる存在が出来た。放課後に一緒に遊びに行く機会も増え、充実した日々を送っていた。
その一方で稲葉先生への不満が募っていく。女子に対して頭をぽんぽんとする行為を目撃する度、私の中にドス黒い感情が湧いてくる。
あの日以来、私にはしないくせに……。
「神谷。俺は何でお前に睨まれているんだ?」
「…………」
こんな風に聞いてくる所が、余計に私の神経を逆撫でるのだった。
友達が出来たとは言え、恋愛について相談するのは抵抗があった。
そんな私が頼ったのは教師と生徒の恋愛を題材にした小説や漫画だった。
稲葉先生に好意を持っている女子は私以外にも居るのは知っていたし、彼に付き合ってる人がいない事も確認した。
誰かに先を越される前に行動しないと……本気でそう思っていた。初めての恋に舞い上がりこの時の私は冷静な判断が出来ていなかった。
「教師である俺が教え子とは付き合えない。悪い事は言わない。神谷はモテるんだし、同じ年頃の男子と付き合うべきだ」
私の初めての告白は失敗した。あまりのショックに言葉が詰まり、一筋の涙が頬を伝う。
「神谷……せっかく告白してくれたのに悪かったな」
そう言って彼は私の頭に手を置くと、ぽんぽんと2回叩いた。
ずっと望んでいたはずの行為。こんな時にして欲しかったんじゃない……。
色々な感情が混ざり訳が分からなくなった私は彼の首に手を回して唇を重ねた。
突然の出来事に稲葉先生は固まってしまったが、事態を理解した彼は慌てた様子で私を引き剥がそうしてきた。
その力に必死に抗っていると……突然扉の開く音が聞こえてきた。
音がした方を見ると、そこには私の知らない先生が立っていた。
そこから先の事はあまり覚えていない。私は1週間の自宅謹慎となり、その後復学した。その時には既に稲葉先生の姿はなかった。
後から知ったのは、稲葉先生が全ての責任を自分が被って退職したという事。
彼の退職については優先生と益田先生が反対してくれたそうだが、引き止められなかったと聞いている。
私の自分勝手な行動のせいで、1人の先生の未来を奪ってしまった。
許してもらえないのは分かっていたけど、どうしても謝りたかった。私は稲葉先生の連絡先を優先生に尋ねた。
だけど彼は『教えられない』の一点張り。諦めきれずに幾度となく尋ねたが、結局教えてもらえないまま卒業する事になった。
こうなる事も想定していた私は、進路を大学の教育学部にしていた。
教育実習という形で高校に潜り込み、今度こそ優先生に彼の連絡先を白状させる。
4年越しの計画……チャンスは1度きり。失敗は許されない。
何を犠牲にしても絶対に成し遂げてみせる。そう意気込んでいた私は運命の出会いを果たす事になる。
教師に恋する生徒
いつかの私と同じで危うい雰囲気を感じさせる少女。彼女を正しく導く事こそが、私に出来る贖罪なのかもしれない。
それを成して……今度こそ彼に会いに行く。
「名取さん、これで分かったでしょ?生徒が教師に恋しても相手に迷惑をかけるだけなの。そんな馬鹿げた話が成立するのはフィクションだけよ。悪い事は言わないから優先生の事は諦めなさい」
私の言葉を聞いた瞬間、目の前の少女はあからさまに顔を顰めるのだった……。
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