第26話 私と同じ匂いがします
午前中最後の授業が終わり教壇で片付けをしている僕の元に、1人の生徒が質問にやって来た。
熱心に尋ねてきた事もあり、職員室に戻るのが少し遅くなってしまった。
午後からの授業の前に、神谷を説教をしておきたいのだが、実習生用の待機室も職員室も周りの目が気になる。怒られている所を見られるのは彼女としても体裁が悪いだろう……。
考えた結果、空き教室で食事を取りながら話すのがベストという結論に至った。
念の為、隣の席の桐崎先生に行き先を伝えて神谷と一緒に職員室を出た。
彼女の昼食を取りに行く為、待機室を経由して目的の空き教室へと向かった。
「へぇ〜優先生ってお弁当持参なんですね」
「ああ……ここ最近は弁当だな」
あまり追求して欲しくないので素っ気なく返したのだが、彼女はそんな僕の心境を無視してさらに踏み込んでくる。
「遂に彼女が出来たんですね!!どんな人ですか!?」
「いや、彼女って訳ではないよ」
そう言って苦笑する僕。
「彼女じゃないのにお弁当作ってもらってる……それっておかしくないですか?」
彼女の追求は止まる気配がない。気づけば彼女に主導権を握られてしまっていたが、授業中の態度に言及する為に呼び出したのだ。その目的を思い出し、強引に話題を変える。
「おかしくても神谷には関係ないだろ。それよりも午前中の授業態度について言いたい事がある。あんな風に誤解を招く態度は改めてくれ」
「優先生を困らせる為にやっているのだから改めませんよ。それが嫌だったら私が知りたい事をさっさと白状して下さい」
「それは無理な相談だ。卒業式の日にも教える気はないと言っただろ?」
彼女が知りたいのは僕の元同僚の居場所についてだ。神谷が実習に来る事を彼に伝えた所、本人からは絶対に教えるなと釘を刺されたのだ。
「そうですか……気は変わらないと。それなら私も好きにやらせていただきます。何を言っても無駄ですからね」
「…………」
僕が睨みつけても、彼女は意に介さない。どうしたものかと悩んでいると、当然扉をノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
「失礼します」
入室してきたのは小春ちゃんだった。おそらく桐崎先生に場所を聞いて訪ねて来たのだろう。
「お話があって来ました。先生達の仲が良いのは結構ですが、授業中にイチャつくのは止めてもらっていいですか?見ていて気分が悪いです」
彼女はそれだけ言うと、深々とお辞儀をして出て行ってしまった。呆気に取られる僕の横で、神谷が声を出して笑っている。
「優先生、モテモテですね」
「そういうのじゃない。何でもかんでも恋愛に結びつけようとするな」
「そうですかね?あの子が仮に真面目な生徒だったとして、それだけでここまで文句を言いに来ますかね?余計なお世話かもしれませんが……彼女からは私と同じ匂いがします」
「そんな事になれば僕は……って、すまない。今のは失言だった」
小春ちゃんは、生徒側から見た率直な感想を伝えに来てくれたのだろう。
神谷と同じ過ちをするとは到底思えない。それよりも余計な事を言ってしまったせいで、神谷が気落ちしてしまった。
情けはかけるなと偉そうに言っていた彼を恨めしく思った。
気まずくなった僕だが、彼女に掛ける言葉が上手く出てこない。結局気づかないフリをして昼食を取るという卑怯な手口に逃げてしまった。
午後の授業も、午前同様に彼女の自己紹介の後に授業を行うという流れで進行した。
神谷に対する質問の内容についても午前中とあまり変わらず、授業に関係ないものばかりだった。
昼休みに行った説得が少しぐらい効果があるのでは……と期待したが、残念ながら彼女はそんな殊勝な心がけは持ち合わせていなかった。
昼間に同情した僕の気持ちを返してくれと文句を言いたくなるのをぐっと堪えた。
こうして、彼女の実習初日の授業は終わりを迎える事となった。
「神谷先生、明日からは授業をお願いする事になります。この後は授業についての打ち合わせと今日の反省会を行います」
「分かりました。それでは手取り足取り教えて下さいね」
放課後の職員室、今日の残りの予定を伝えると彼女は僕を揶揄う様な返事をしてきた。
隣に居た桐崎先生の笑い声が聞こえて、僕は頭を抱える。
彼女は真面目に実習する気があるのだろうかと疑問を覚えるが、とりあえず無視する事にした。
「では早速始めます。神谷先生、今日の自身の行動について反省する事はありましたか?」
早速今日の反省から始める。昼休みは彼女の体裁に気を遣ったが、そんな気を回すのは止める事にしたのだ。
「ありません、順調なスタートを切る事が出来たと思ってます!!」
こう答える事は何となく予想はしていた。少しぐらいは反省しろ……と心の中で悪態を吐く。
「生徒とのコミュニケーションも大切ですが、今日のは度が過ぎていました」
「あれぐらいであれば問題ないかと思います」
「いいえ、流石にあれはやり過ぎです。明日からは授業以外の余計な質問に答えないで下さい。いいですね?」
「それは、約束しかね「いいですね」」
彼女が反論しようとしていたので、最後まで言わせない様に念を押した。
「もう、分かりましたよ」
彼女は不機嫌を隠そうともせずに、渋々といった感じで同意した。その様子からこれ以上言った所で意味はないだろうと判断した僕は、明日の授業について簡単に説明し、帰宅の途についた。
「ただいま」
「優君、お帰りなさい」
いつも通り雪さんが玄関まで出迎えに来てくれた。これだけで荒みかけていた僕の心が癒やされる。
しかし、そんな幸福感は長くは続かなかった。理由は、リビングに居た小春ちゃんが不貞腐れた顔で僕を睨んできたからだ。
「小春ちゃんただいま」
「……おかえりなさい」
雪さんに視線を送ると、困った様に肩を竦め小さく溜息を吐いた。
「小春、いい加減にしなさい。優君も帰ってきたからご飯にするわよ。いつまでも不貞腐れてないで少しは手伝いなさい」
「…………」
雪さんが呼びかけても、ピクリとも動かない。
「雪さん、手を洗ったら僕が手伝うから」
「優君は無理しないで。今日から実習始まったから疲れてるでしょ?」
確かに気苦労があった分、いつもよりは疲れている。だからと言って、雪さんに全てやらせるのも気が引けてしまう。
急いで手を洗い、夕食の準備を手伝う事にした。料理を運んだだけなのでこれを手伝ったと言って良いかは微妙ではあるが……。
小春ちゃんは『いただきます』すら言わずに黙々と食事を始める。
その態度を見かねた雪さんが彼女を叱ろうとしたので、僕はその必要はないと視線で訴えかけた。
「それで優君。担当する学生さんはどんな感じだったの?」
気まずい雰囲気を打開しようとしてくれたのは分かるが、ピンポイントで今1番して欲しくない質問が飛んできた。
だからと言って答えないのは不自然だ。僕は当たり障りのない範囲で答える事にした。
「神谷って言う昔の教え子で、在学中はかなりの問題児だったんだ……」
「そんな子が教師を目指すなんて凄いね。もしかして、優君に憧れて教師を目指してたりするのかしら?」
黙々と食事をしていた小春ちゃんの目つきが鋭くなった気がした。
「どうだろう?多分違うと思うよ……」
僕が曖昧に返事したのを、雪さんは照れているのだと勘違いした様だ。
「そんな事ないよ!!きっとそうに違いないわ」
雪さんは目を輝かせてそう言ってくるが、残念ながら本当に僕ではないのだ。
その事を説明出来ない事を歯痒く思いながらも僕は何も言えずにいた。
無言を肯定と捉えた雪さんは笑みを浮かべながら食事を再開している。
こうして小春ちゃんからの圧を感じながらの夕食は、何とも味気ないものとなってしまった……。
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