第21話 夏休みの過ごし方
日中は猛暑日で
額から流れる汗をハンカチで
そんな状況にも関わらず僕の足取りは軽かった。
その理由は、今日で夏休みの補習前半戦が終わったから。明日から待ちに待った盆休みが始まるのだ。
僕の勤める高校は、希望者に向けて夏休みに補習を行なっている。盆を挟み前半と後半に分かれており、日数にしてそれぞれ10日ずつの合計20日間。他校と比べても長めの行程となる。
塾に通うよりも費用が安いと、一部の保護者からのウケも良い。
夏休みを利用して、有給休暇を消化する先生もいる。家庭を持つ先生方の中には、この時期を利用して家族サービスを行なっている人もいるそうだ。
そんな経緯もあり夏補習を担当するのは、独身の先生や3年生を担当している先生が必然的に多くなる。
僕はクラス担任ではないので、有給も比較的消化しやすい。そこに加え独身なので、例に漏れる事なく毎年こうして補習を受け持っているのだった。
補習後半戦の事を考えると盆休みは家でゆっくりしたいと思う反面、6日間もあるので実家に帰るべきか悩む所だ。
雪さん達はどうするのだろうか?帰ったら尋ねてみようと思った。
そういえば今日も小春ちゃんの友達が家に来るという話だったか。朝に報告を受けていた事をふと思い出した。
平日は補習があるので僕は家にいない。小春ちゃんも気兼ねする事なく家に友達を呼んでいるのだと雪さんが言っていた。
期末試験の前に勉強会の誘いを断った時はどうなる事かと心配したが、今ではすっかり我が家を溜まり場としてよく4人で集まっていると報告を受けている。
全員補習を受けてないので、暇を持て余しているのだろう。
夏休み前に小春ちゃんが補習を受けないと言い出した時は、お金を気にしているのかと心配した。だが、それは杞憂だった。
将来の事を気にせず遊べるのは1年生の時だけと友達の1人が言い出したのをきっかけに、それに追従する形で補習を受けないと決めたらしい。
教師という立場でこんな事を言うのはアレだが、勉強だけが全てではないと思っている。
僕の助言もあり、課題さえやれば問題ないと雪さんも了承したのだった。
そんな事を考えていると、いつの間にか家の近所まで来ていた。小春ちゃんの友達が帰っているかを確認する為に一旦立ち止まる。
雪さんに連絡を入れると、すぐに『もう帰ってます』と返事が来た。
「ただいま」
「お帰りなさい優君」
家に入ると、玄関には雪さんの姿があった。僕から連絡が来たので、こうして待ってくれていたそうだ。
そこでいつもと様子が違う事に気づく。小春ちゃんの姿がなかったのだ。
ショッピングモールに買い物に行った翌日から、2人揃って出迎えてくれる様になった。
それが今日はいくら待っても来る気配がない。何かあったのだろうか?
僕が疑問に思っている事を察してくれた雪さんは、事情を説明してくれる。
「小春でしょ?ごめんね優君。今リビングで不貞腐れているからそっとしておいてあげて……」
雪さんはそう言って、小さく溜息を吐いた。
理由を尋ねると、雪さんが小春ちゃんの友達に『小春といつも遊んでくれてありがとう』と言ったのが、事の発端らしい。
何を揉める事があるのかと首を傾げていると、雪さんは苦笑いを浮かべる。
『小春ちゃんのお母さんのご飯が食べたくて遊びに来ているんです』
皆が口を揃えて言ったらしい。冗談で言ったつもりなのだろうが、小春ちゃんはそれを真に受けてしまったようだ。
友達が帰るまでは気にした素振りを見せなかったらしいが、帰った途端不貞腐れ始めたとの事。
一連の流れを聞いた僕も、雪さんと同じ様に苦笑いを浮かべるしかなかった。
リビングへ行くと、小春ちゃんがソファーに体操座りをした状態で俯いていた。
彼女は一見強そうに見えるが、意外と繊細な性格をしている。
今は、子供みたいな癇癪を起こした事を後悔している真っ最中といった所だろうか?
最近はこうして素を見せてくれる機会が増えた事を嬉しく思いながら、彼女の隣に座る。
「小春ちゃん、ただいま」
「優さん、お帰りなさい……」
返事は一応してくれるものの、その声は明らかに元気がない。
さてどうしたものかと思っていると、ローテーブルの上に置かれたハガキに目が留まる。
先日買い物をしたブランドの秋物販売のお知らせだった。
「小春ちゃん、明日から盆休みだから補習がないんだ。もし良かったら、また3人で出かけないか?」
「えっ……?」
小春ちゃんが勢い良く顔を上げた。
「こないだのショッピングモールにまた行かないかなって。雪さん、盆の予定はあったりする?何かあるならそっちを優先してくれて良いのだけど……」
キッチンで夕食の準備をしている雪さんに尋ねると彼女の表情が曇った。
聞いてはいけない内容だったのだとすぐに理解したが、他の話題が思い浮かばず言葉に詰まってしまう。
「優さん、お盆の予定はないです。買い物に連れて行ってくれるならお願いしたいです!!」
そんな僕を見かねた小春ちゃんが助け舟を出してくれた。
「了解。話は変わるけど小春ちゃんは花火大会に行く予定はあるの?」
「あ……そういえば陽奈がそんな事を言ってました。8月18日でしたっけ?」
「うん。結構賑わっているらしいけど……僕は行った事がないんだよね」
「それならお母さんと一緒に行ってきたらいいんじゃないですか?私も誘われているから陽奈達と行ってくるので」
「……っ!?」
考えてもいなかった提案に、僕は目を見開いた。
恐る恐る雪さんの方へと目を向けると、彼女もまた驚いた様子で固まっている。
一緒に住み始めて以来、雪さんと2人で出かけた事はなかった。出かけるのが嫌な訳ではない。
僕の知らない空白の期間の話が出るのではないかと無意識のうちに2人きりになる事を避けていたのだ。
よくよく考えてみれば、おかしな事である。家の中で2人で過ごす時間はこれまでに何度もあった。
話そうと思えば雪さんは話せたはず。だけどその気配はなかったので、家の中なら安心だといつの間にか僕は思い込んでいた様だ。
彼女がどんな気持ちで僕との日々を過ごしているのかを考えていない訳ではない。
それでも今だに踏み込む勇気を持てずにいる。
生活を保障したからと言って、これからもずっと2人を繋ぎ止められるとは限らない。
雪さんの苗字が昔と変わっていないとしても、誰かが連れ戻しに来ないと断言できる訳ではないのだ。
事実を知らない事で手遅れとなるのか、そうではないかは分からない。
ただもう少しだけ……この幸せな時間に浸っていたいと思った。
「小春ちゃん。今度買い物に行った時に、せっかくだから浴衣を買おう。雪さんって着付けは出来るの?」
「うん、もちろん出来るよ」
「そっか。もし2人に予定がないなら明日にでも見に行こうか」
本当は直ぐにでも雪さんと向き合わなければいけないと分かっているのに……こうして物品を買い与える事しか出来ない自分をつくづく情けないと思った。
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