第15話 お礼と冗談

 採点作業から解放された事もあり、いつもより早い時間に学校を出る事となった。

 この時間であれば閉店までには間に合うはず。お土産を買いに行く為、僕は家と反対方向の電車に飛び乗った。

 向かう先は最近出来たばかりのケーキ屋だ。


 ここのチーズケーキが美味しいと評判らしく、テレビで紹介されていた。

 雪さんが珍しくジッとテレビを見つめていたので、何となく店の名前を覚えていたのだ。



「いらっしゃいませ」


 閉店まであと10分というタイミングで到着した。

 お目当ての品は……良かった。2個だけ残っている。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「チーズケーキを2個、ガトーフレーズを2個。それとガトーショコラ2個とプリンを3個。以上でお願いします」


 好みがわからなかったので、定番を選んだ。好きなケーキを電話で聞くべきか悩んだが、お土産なのでサプライズを優先した形だ。

 少し買い過ぎてしまったが、もしも余ったら責任持って僕が処理すればいいだろう。

 

 2人に渡す予定のものはこのケーキ以外にもう1つある。日々の弁当と家事のお礼として現金を渡すつもりでいるのだ。


 小春ちゃんは夏休みになれば友達と遊びに行く機会があるだろう。

 母娘おやこで出かける機会も増えるだろうし、雪さんだってお洒落に興味がないとは思えない。

 2人に必要な物を買い足してもらおうと考えている。


 ボーナスも入った事で金銭面の心配はない。前回の失敗を活かして渡しやすい様に、封筒に入れてある。準備は万端だ。

 あとは上手く説得出来ればいいのだが……そんな事を考えながら、僕は家路を急いだ。

 



「ただいま」


リビングからパタパタと足音が聞こえてくる。


「優君お帰りなさい!あっ……」


 雪さんの視線が僕の顔から持っている箱へと向けられる。心なしか目が輝いている様に見えた。


「気づいたみたいだね。雪さんが食べたいと言っていた店のケーキを買って来たんだ。食後に皆で食べようと思って」

「優君、ありがとう。凄く嬉しいよ」


 雪さんはすごく喜んでくれた。彼女に箱を渡して、僕は手を洗いに洗面所へと向かう。リビングに入ると、カレーの匂いが立ち込めていた。


「今日はカレーなんだね」

「ええ、そうなの。隠し味にフルーツを入れたから少し甘く感じるかも。小春の好みに合わせたのだけど大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。自分じゃそういうのは作れないから楽しみだ」

「優君、小春を呼びに行って来るから寛いでて」

「僕が行くよ。雪さんは準備を続けて」


 雪さんを制止し、僕は小春ちゃんの部屋へと向かった。


「小春ちゃん、そろそろご飯だけど来れる?」

「はーい、すぐ行きます」


 声をかけるとすぐに出て来てくれた。

 リビングに入ると、小春ちゃんは雪さんの元へと駆け寄る。

 僕も何か手伝った方がいいよな……。


「何か手伝える事はある?」

「先生は座っててください。すぐに終わるので」


 僕の問いかけに答えてくれたのは小春ちゃんだった。その言葉通りあっという間に支度が終わる。


 雪さんの作ってくれたカレーは甘さと辛さが混在する絶品だった。

 おかわりもあるとの事だったので当然お願いした。普段おかわりしない小春ちゃんが恥ずかしそうにお皿を出す姿に、僕と雪さんの頬が緩む。



 食事が終わり、2人はケーキに舌鼓を打っている。僕の選んだケーキは好評だった。

 

「ちょっと話があるのだけどいいかな?」


 僕が唐突に話を切り出すと、2人は揃って小首を傾げた。


「雪さんに聞きたい事があるんだ。弁当に入れてくれているおかずってもしかして全部手作りなんじゃないかな?」

「うん、そうだけど……嫌いな物があったかな?それともあんまり美味しくなかった?」


 雪さんの瞳が不安気に揺れている。


「違う、そうじゃない。いつも美味しく頂いてるよ。単刀直入に聞くけど、大変じゃない?」

「…………」

「今日、隣の席の先生から言われたんだよ。おかずが弁当用に作られているって。夕飯に出された覚えがない品がいつも入ってるからさ。てっきり冷凍食品だと思ってたんだ。手作りって気づかなくてごめん。今まで大変だったよね?これからは遠慮なく市販の冷凍食品を使ってくれていいから」

「そっちの方が良かった?」


 雪さんはポツリと呟くと、顔を俯かせてしまう。


「そんな事ないよ。だけど、僕は雪さんにゆっくりして欲しいんだ。ただでさえ夕食も手間をかけて作ってくれている。最初に言ったはずだよ。今はゆっくり休んで欲しいから仕事を急いで探す必要はない、家事についてもやれる範囲でいいと」

「優君、心配しないで。夕食を作る時に一緒にやってるだけだから負担にはなってないよ」


 雪さんは慌てた様子で顔を上げて弁解を始める。僕はそんな雪さんをじっと見つめる。

 隣に座る小春ちゃんも僕の態度に戸惑っている様だ。


「それは冷凍食品は使う気は無いって事かな?」

「うん……」

「それなら1つ条件を出させてもらうよ」


 僕はそう言って封筒を取り出すと、そっと雪さんの前に置いた。


「僕からの条件はこれを受け取ってもらう事だよ。いつもありがとう」

「これは……?」

「先月ボーナスの支給があって少し余裕が出来たんだ。小春ちゃん、夏休みに友達と遊びに行く予定は?」

「クラスメイトから誘われていますが……」


 その返答を聞き、僕は無言で頷く。


「次は雪さんに質問。最初に言っておくけど嘘は絶対ダメだよ。2人がここに来た時、あまり荷物がなかったね。買い物も1回しか行ってないけど洋服や必要な物は足りてるの?」

「…………」


 僕の質問に対し、黙ったままの雪さん。なるほどその手があったかと感心しつつも小さく溜息を吐いた。


「無言でやり過ごそうとしてもダメだ。だけどその態度でよく分かったからもう答えなくてもいいよ」

「ごめんなさい……」


 責めるつもりはないので、そんなに落ち込まれてしまうとこちらが困ってしまう。


「小春ちゃんの終業式が終わったら2人で夏物の服や靴、他にも必要な物を買ってきて。予算はそれで足りるだろうか?」

「ダメだよ優君。食費から学費までお世話になっているのにこれ以上はしてもらう訳には……」


 雪さんは中を見る事なく封筒を押し返してくる。隣では小春ちゃんが無言で頷いている。

 前回と同じ展開。簡単には受け取ってもらえないとは思っていたけど、さてどうしたものだろうか……。


「一緒に行ければ支払いは僕が出来るんだけど、そういう訳にもいかないからさ。だから受け取って欲しい。嫌だと言うなら変装でもして無理にでも連れて行く……。と言うのは冗談だけど」


 何気なく言った言葉だったのだが、それを聞いた2人は何故か真剣な顔になった。


「お母さん?」

「多分大丈夫だと思うわ」


 短い言葉で意思疎通が出来ている様だ。僕だけが蚊帳の外らしい。


「優君、バレなければ一緒にお出かけしてくれるんだよね?だったら私に任せて。ウィッグさえあれば大丈夫だから」


 予想外の雪さんの言葉に、今度は僕が黙り込んでしまう。さっきまでの乗り気じゃなかったのに、この心変わりは一体……。


 買い物を渋っていたはずの2人が笑顔で話している光景を見て、今更『やっぱり無理』とは言い難い状況になってしまった。


 バレた時のリスクが一瞬頭を過ぎったが、校長に話を通しているので特に問題はないだろう。


 これはある意味良い機会かもしれない。

 2人と一緒に出かけたいと、心の中では僕自身も望んでいたのだから……。

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