第14話 お弁当

 期末試験も無事に終わり、ここ数日続いていた採点作業もようやく完了した。

 幸いにも僕の受け持つクラスから赤点対象者が出なかった事に安堵した。


 赤点対象者は夏休みに補習と追試を課される。

 本人の努力不足と言ってしまえばそれまで。

 だけど毎年見かける補習が決まった生徒の悲壮感溢れる顔、あれはいつ見ても心が痛む。


 補習は終業式の翌日から約2週間。その後に行われる追試で合格しなければ留年が確定してしまうのだ。


「瓜生先生。受け持ちのクラスの結果はどうでしたか?」


 そう言って声をかけてきたのは、隣の席の桐崎先生だった。

 彼女は、眼鏡をかけている事もあり知的な美人といった印象だ。手入れのなされたストレートの黒髪は肩と腰の中間ぐらいまで伸びている。歳も20代と若い事もあって男子生徒にとても人気があるという話を耳にした事がある。


「僕の受け持つクラスには赤点の生徒は居ませんでしたよ。桐崎先生の方はいかがでしたか?」

「私の方は1人……出てしまいました」


 対象者を出してしまった責任を感じているのだろう。桐崎先生の表情は暗かった。


「そんなに悲観しなくていいと思いますよ。桐崎先生の授業が受けられるのですから、案外その生徒も落胆しないかもしれませんよ」

「え……?」


 何か信じられないものを見たとばかりに、彼女の目が見開いている。

 少しでも気が楽になればと思っての発言だったが、流石に不謹慎過ぎたか……。僕は慌てて謝罪する。


「冗談のつもりでしたが失言でした。不快にさせてしまい申し訳ありませんでした」

「あっ、そうじゃないんです。瓜生先生もそんな冗談言うんだなって驚いてしまっただけですよ」


 そう言って彼女は微笑んでくれた。確かに桐崎先生にこの手の冗談を言った記憶はない。

 それも当然の事か。隣の席でありながらこうやって彼女から話しかけられる事は今まではなかったのだから。


「最近の瓜生先生は見た目が爽やかになって、前より雰囲気も柔らかくなりましたね。何か良い事でもありましたか?」


 彼女はそう言って、僕の食べている弁当に視線を落とした。こないだの山田先生の言葉もあって、ようやく視線の意味を理解した。

 なるほど、1人暮らしの男がいきなり弁当を持ってくれば気にもなるものなんだな……。


 もし周りの先生方に同じ事が起きても、僕は気にならないだろう。

 仲が良い訳でもない僕に対しても、こうして興味を持てる性格を少しだけ羨ましいと思った。


 下手に隠すのも変だが、かと言って正直に打ち明ける必要性もない……。

 どう答えるべきか悩んでいると、周りの先生方の視線が明らかに僕の方に向いていた。


 気になっているのは、他の先生方も同じという事か……。今後も好奇の視線を向けられるのは好ましいとは言えない。

 そう結論づけた僕は、当たり障りのない範囲で話しておく事に決めた。

 

「最近、もう会う事もないと思っていた幼馴染が近所に越してきたんです」

「本当ですか?それは良かったですね。私は親が転勤族でしたので、幼馴染と呼べる人が居ません。だからそういうのを聞くと凄く羨ましいです」

 

 そう言って屈託のない笑顔を向ける桐崎先生の姿に自然と警戒心が緩む。

 

「ええ。この髪もその人に切ってもらっ……」


 僕はつい口が軽くなり余計な事を口走ってしまう。慌てて口を閉じたがほとんど言った様なものだった。


「お上手ですね。もしかしてプロの方だったりします?」

「ええ……そうですね」


 彼女の視線は僕の顔と弁当を行き来している。聞きたいのはそれじゃないと……その行動が物語っていた。


「降参です。おそらく桐崎先生の想像通りですよ。この弁当は、その人に作ってもらってます」

「やっぱり!!こないだからすごい手間暇かけて作ってるなって思っていたんです。私のはお恥ずかしいながら冷凍食品の詰め合わせなんです。瓜生先生のはたぶん手作りのおかずですよね?」

「そうなんですか?」


 昨夜の残り物も入ってはいるが、見覚えのないおかずが毎回弁当には入っている。

 平日は基本的に雪さんが料理をしている姿を見る事はないので、それらのおかずは冷凍食品を使っていると思っていた。


「人に誇れる事じゃないんですけど……冷凍食品の知識については結構自信があるんです。色んなお店で見て回っているので。見た感じ手作りっぽいですし、市販の冷凍食品は1つもない気がするんですよね。もしかしたら私が間違っているかもしれないので、何かの機会にその方に確認してみても面白いかもしれません」

「…………」


 僕は弁当をマジマジと見つめる。雪さんがどれ程の気持ちを込めてこの弁当を作ってくれていたのか。僕は全く理解していなかったのだ。


「桐崎先生、1つ質問してもいいですか?」

「もちろん。私に答えられる範囲で良ければ」

「これ作るのに結構時間かかりますよね?」

「冷凍して作り置きしている分もあると思いますが、おかずの種類を見てもそれなりに手間暇かかっていると思いますよ。作り置きで時間短縮していると勘違いする人が大勢居ますが、手作りであれば結局どこかの時間で作っているという事に変わりありませんからね」

「なるほど……」


 弁当にかける時間を本当に短縮するなら……既製品の冷凍食品を利用し、自分で作る時間を削ってこそ意味がある。確かに自分で作るなら、作り置きは短縮と言い切れない。普段料理をしないから考えた事もなかったけど、とても納得できた。


「その方の家庭の料理を知らないので鵜呑みにしないで下さいね。まず、ハンバーグって自分で作ると結構面倒臭いんです。だからそれはおそらく夕飯の残り物だと思うのですが、そうするとちょっと気になる事があるんです」

「気になる事ですか?」


 桐崎先生は、そこで一度ジッと僕の弁当の中身を見る。


「そこに入ってるハンバーグ、一口サイズで作られてますよね?それが変なんですよ。普通お家で食べるハンバーグってそこそこ大きいのを作りませんか?その場合、お弁当に入れるのは小さくカットしたものになります。私が作り慣れていないだけかもしれませんが、一口サイズを作るよりそっちの方が楽です。それと瓜生先生のお弁当ってバランスも彩りも良いですよね?他のおかずを見ても明らかにお弁当用に作っている品があります。もしかしたら夕飯のおかずを、お弁当に入れる前提で作っているかもしれませんね。それなら納得です」


 確かにその方が楽だと思った。だけど、そうなると納得どころか疑問が生じてしまう。


 雪さんが家で作ってくれるハンバーグで一口サイズを出された記憶もなければ、昨夜はそもそも青椒肉絲や麻婆豆腐といった中華だったので残り物でもない。それにこのオムレツだって家で出された覚えがない。夕食をで作っているなんてあり得ないのだ。

 だから、お弁当用に作り置きをしておいて冷凍した。こう考えるのが辻褄が合う気がした。


 1度考え始めたら気になってしまった。これは帰ったら本人に聞いてみよう……。


「ご、ごめんなさい。悪気はなかったのですが詮索し過ぎてしまいました」


 急に黙り込んでしまったせいで、どうやら彼女は僕の機嫌を損ねたと勘違いしている様だ。


「こちらこそすいませんでした。ちょっと考え事をしてました。色々教えていただいてありがとうございます。とても勉強になりました。お弁当の件は、本人に改めて尋ねてみようと思います」

「いえいえ。また何かありましたらいつでも言ってください。あ、それと市販の冷凍食品かどうか分かったら教えてくださいね。私間違えてない自信あるので」


 そう言って彼女は食事に戻った。

 時間を確認すると、昼休みの時間も残り僅かとなっている。


 今日は雪さんに何かお土産を買って帰ろう。そんな事を考えながら残りの弁当をゆっくりと味わった……。

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