第12話 仁王立ち

 放課後の職員室は試験前の慌ただしい雰囲気に包まれている。まだ多くの先生方が残っている状況。それを横目に見ながら職員室を出た。

 

 時刻は既に20時を過ぎている。朝早く来ていたにも関わらず、結局はいつもより遅くなってしまった。


 今日だけは早く帰りたかったのだが……。


 僕は空を見上げると、小さく溜息を吐いた。


 あらかじめ雪さんへチャットを送っておいて正解だった。

 こうなる事を見越して、先に食事を済ませておいて欲しいと伝えていたのだ。

 向こうはそろそろ食事を終えた頃だろうか?

 僕を待っているかもしれないというの可能性も考慮し、念の為に駅へと急ぐ。


 足早に歩きながら、僕は今日一日の出来事を思い返していた。真っ先に浮かんだのは、周囲から向けられていた謎の視線。


 特に顕著だったのは昼休み。昼食を摂っている時に何人かの先生と目が合ったのだが、そのほとんどが微笑ましいものを見る様な目だった。

 とりあえず無視する訳にもいかず、こちらも曖昧に笑いかけてはみたものの……何となく気まずかった。

 

 普段これと言った会話をする事がない山田先生から『良かったですね』と言われた時は、反射的に身構えてしまった。


 もしかして、小春ちゃんの事がバレてしまったのではないか……と緊張が走った。

 

 結局、続く言葉が『転入』ではなく『お弁当』だった事で緊張はすぐに解かれる事となったのだが……あの時は本当に心臓が止まるかと思った。

 そんな感じで心労の多い1日だったのだ。



 

 電車を降りたタイミングで改めて雪さんへチャットを送る。


『今電車を降りました。そろそろ帰宅します』

『ご飯の準備をして待ってるね!!家に帰っても油断しないでね!?』 


 雪さんの返事を見て思わず笑みが溢れた。慌てて返事をしてくれたのだろうか、文章におかしな点を見つけた。そこはと入れる所だよと送られてきた文章に心の中でツッコミを入れる。


 雪さんのチャットのおかげで気持ちが上向いた事もあり、家までの距離はあっという間に感じた。鍵を取り出し玄関のドアを開けると……


「お帰りなさい」


 そこには、小春ちゃんが仁王立ちで出迎えてくれるというシュールな光景が広がっていた。


 予想していなかった状況に固まっていると、小春ちゃんの瞳が……スッと細められる。 


 そこでようやく彼女の不可解な行動の意味を理解した。おそらく僕に文句を言いたくてこんな所で待っていたのだと。

 それと同時に先程の雪さんのチャットが頭に浮かぶ。アレは間違えたのでなく、この状況を示していたのか……。


 ここは小春ちゃんに玄関先にいる理由を尋ねるべきなのだろうか?


 とりあえず状況を整理してみる。まず怒っている理由も分からず謝るのは悪手である。誠意が伝わらないだけではなく火に油を注ぐ事になりかねない。かと言って彼女に怒っている理由を尋ねるのも、同じ結果になりそうで怖い。


 八方塞がり。進むも地獄退くも地獄。万事休す。頭をフル回転させて考えてみたものの、怒っている理由に心当たりが見つからないし、浮かんでくるのは救いのないワードばかりという始末。


 少し悩んだ結果、気付かないフリをするという差し障りのなさそうな選択肢を選んだ。

 具体的に言えば、何事もなかったかの様にさり気なく挨拶をして靴を脱ぐ。そのまま勢いを殺す事なくリビングへと逃げ込むという作戦だ。


「………た、ただいま。出迎えありがとう」

「…………」


 返事はなく、小春ちゃんの目元が緩む……という変化の兆しもない。

 この状況で靴を脱いで小春ちゃんの横を通り抜けて行く勇気を、残念ながら僕は持ち合わせていない。


 選択を間違えてしまったのだと気づき、作戦の失敗を悟る。

 このままでは埒が明かないと判断した僕は、お伺いを立てる決意を固めた。


「小春ちゃん。もしかしてだけど、怒ってる?」

「怒ってるに決まってるじゃないですか!!なんで期末試験が始まる事を教えてくれなかったんですか!?あとです。何回も言わせないで下さい」


 彼女の怒りが爆発した。ああ、なるほど。怒っている理由はそれだったのか……。


「環境が変わったばかりだし、成績はそんなに気にしなくても良いのかなと……」

「良い訳ないに決まってるじゃないですか!!こういうのは最初が肝心なんです。成績悪くてがっかりさせたくなかったのに……」


 なるほど。雪さんをがっかりさせたくないと言われてしまえば非を認めざるを得ない。申し訳ない事をしてしまった。


 こんな事を言える立場でないが、出来る事なら玄関先ではなく部屋で話をして欲しかった。未だ靴を履いたままの僕がそんな事を考えていると、リビングから援軍が駆けつけてくれた。


「ほら、小春。優君はお仕事して疲れているんだからそれぐらいにしなさい。いつまでも拗ねてないでご飯にするわよ。折角あなたが作ったハンバーグが冷めても知らないわよ?」

「……っ!?お、お母さん!?私が作ったのは内緒にするって話だったじゃない」


 小春ちゃんが料理を作ってくれるのは、この家に来て初めての事だった。

 普段よりもどこかテンションが高いのも、それが理由なのかもしれない。

 彼女は照れた素振りを見せ、小走りでリビングへと戻って行った。


「優君、お帰りなさい。それとごめんなさい。小春ったら学校が楽しかったみたいで、帰ってからずっとあの調子なのよ」


 なるほど、そっちが理由だったのか。そんなに喜んでもらえると思っていなかっただけに僕も嬉しくなる。


 雪さんと一緒にリビングに入ると、テーブルの上には沢山の料理が並んでいた。


「小春の転入のお祝いで…張り切っちゃった」

「2人とも待っていてくれたんだね。こんなに沢山の料理をありがとう。それと遅くなってすまなかった……」


 僕の言葉を聞いた2人が、照れ臭そうに微笑んでいる。彼女達には、そうやって幸せそうにしていて欲しい。

 2人の笑顔を見て、そう思わずにはいられなかった……。

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